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K356|正精進――早気と戦わず、崩れを生む条件を少しずつ減らす


はじめに

K351の正見では、早気を人格の弱さと決めつけず、条件によって起こる現象として見た。

K352の正思惟では、中りや失敗回避ではなく、射を成立させる方向へ意図を置き直した。

K353の正語では、自分と他者の射を縛る言葉を減らし、身体の働きへ移せる言葉を選んだ。

K354の正業では、崩れた射を漫然と反復せず、射が成立しやすい条件から稽古を組み直した。

K355の正命では、疲労や焦りなど、道場外の生活条件も射と無関係ではないことを考えた。

ここまで見直しても、早気はすぐには変わらない。

一度、目通り後まで引分けられたからといって、次もできるとは限らない。

巻藁でできたことが、的前ではできないこともある。
稽古では引けても、審査形式へ入ると元へ戻ることもある。

そこで射手は思う。

今日こそ早気を出したくない。
今度こそ会を成立させたい。
この方法で一気に直したい。
もう元の射には戻りたくない。

しかし、その強い努力が、かえって射を急がせることがある。

早く直りたいという貪。
できない自分への瞋。
何が起きたか見ないまま方法を替える痴。

努力そのものが、三毒を強める場合がある。
必要なのは、努力をやめることではない。
努力の量と方向を見直すことである。

三毒早気論における正精進は、この問題を扱う。


正精進とは、ただ懸命に努力することではない

正精進は、八正道の第六に置かれている。

仏教における正精進は、一般に四つの働きから説明される。

  • まだ生じていない不善を生じさせない

  • すでに生じた不善を離れる

  • まだ生じていない善を生じさせる

  • すでに生じた善を育て、保つ

ここでいう善・不善は、単純に「良い人」「悪い人」を分ける道徳的な評価ではない。
貪・瞋・痴を強め、苦へ向かわせる働きと、それらを弱め、苦から離れる働きに関わる。

したがって、正精進を、

強い意志で長く会を保つこと
毎日休まず稽古すること
何本でも根気強く引くこと

と定義することはできない。

努力量が多いことと、正精進であることは同じではない。
本稿では、正精進が示す四つの働きを、早気の稽古へ応用する。

三毒早気論における正精進とは、

早気と力比べをするのではなく、崩れを生む条件を減らし、射が成立する条件を生じさせ、それを少しずつ育てていくこと

である。


早気を直す努力が、早気を強めることがある

早気に悩む者は、努力していないわけではない。
むしろ、人一倍努力していることが多い。

離れを必死に止める。
苦しくても会を保つ。
射数を増やす。
さまざまな矯正法を試す。
自分へ厳しい言葉をかける。

それでも直らないから、さらに努力を強くする。
しかし、その努力が何を反復しているかを見なければならない。

「離れるな」と力を入れれば、会は離れとの戦いになる。
「もっと持て」と耐えれば、会は苦しい時間になる。
「今日こそ直す」と結果を急げば、一射ごとの成否が気になる。

崩れるたびに自分を責めれば、次の射は失敗を恐れた状態から始まる。

努力していること自体が問題なのではない。
努力が、射を成立させる方向へ働いているか。
それとも、離れを抑え込み、結果を急ぎ、自分を追い詰める方向へ働いているか。

正精進が問うのは、努力の強さよりも、その方向である。


第一の働き――崩れを生じさせる条件を減らす

正精進の第一は、まだ生じていない不善を生じさせない働きである。

これを早気へ応用するなら、

早気の反応が強く現れる条件をあらかじめ知り、避けられる負荷を減らす

ことになる。

ただし、早気を道徳的な「不善」と断定するのではない。
ここでは、射の主導権を失わせる反応を生じにくくする、という機能上の応用である。

たとえば、

  • 稽古開始直後から審査形式へ入らない

  • 課題を一射にいくつも持ち込まない

  • 強い疲労の日に無理な射数を課さない

  • 会の秒数を毎射数えない

  • 的中を取り戻すために本数を重ねない

  • 崩れた直後に同じ条件で急いで引き直さない

という準備が考えられる。

早気が出てから離れを止めるよりも、その反応が強く出る条件を減らす方が有効な場合がある。

これは、難しい条件から永久に逃げることではない。
最初から最大の負荷をかけず、射が成立する余地を確保することである。

正精進は、崩れてから根性で耐えるところだけにあるのではない。
崩れを予測し、稽古を適切に準備するところから始まっている。


第二の働き――起きた崩れを力で押さえ込まない

正精進の第二は、すでに生じた不善を離れる働きである。

早気の反応が起きたとき、多くの射手はそれを直接抑えようとする。

離れたい。
しかし、離してはいけない。
苦しい。
しかし、耐えなければならない。

この力比べによって、一時的に離れを遅らせられることはある。

だが、身体を固め、息を止め、射の進行まで止めてしまえば、早気から離れたとは言いにくい。
離れたい反応を、強い意志で蓋をしただけだからである。

三毒早気論において「起きた崩れを離れる」とは、反応を消去することではない。

結果を急いでいる。
会の苦しさから逃げたくなっている。
狙いがついた瞬間に離れを考えた。
目通り以後の引分けが止まった。

と気づき、射を成立させる働きへ戻ることである。

射中に戻れる場合もある。

目通り以後の引分けを再び続ける。
左右の張り合いへ戻る。
離れではなく詰合いと伸合いへ仕事を戻す。

すでに射が崩れ、戻れない場合もある。

そのときは無理に成功させようとせず、一度引き戻す、条件を軽くする、巻藁へ戻るなど、次の行為を選ぶ。
起きた反応を離れるとは、その反応と戦い続けることではない。

それに射全体を支配させず、別の行為を選べる余地を取り戻すことである。


第三の働き――射が成立する条件を生じさせる

正精進は、崩れを防ぎ、悪い状態を取り除くだけではない。

まだ生じていない善を生じさせる働きも含む。

早気の稽古でいえば、

早気を出さない

だけでは不十分である。

離れを止めた後に、何が生じればよいのかを考えなければならない。

  • 目通り後も引分けが続く

  • 頬付けまで馬手が自然に収まる

  • 頬付けを終点にせず、詰合いへ入る

  • 狙いが定まっても左右の働きが止まらない

  • 離れを直接操作せず、伸合いが続く

  • 射後まで力の方向がつながる

こうした働きが生じて、初めて射は別の道を持ち始める。

正精進は、古い反応を否定するだけの稽古ではない。
古い反応に代わる、新しい身体の働きを作る稽古である。
そのためには、K354の正業で述べたように、成立しやすい条件から始める。

巻藁で引分けの継続を確かめる。
近距離で狙いが加わっても同じ働きを保つ。
的前で結果への意識が生じても、射を続ける。

早気を消すことだけを目標にすれば、射手の注意はいつまでも早気へ向いたままである。

射が成立する働きを育てることで、初めて注意の中心が早気から射法へ戻る。


第四の働き――成立した射を保ち、育てる

一度よい射が出ると、射手はすぐ確認したくなる。

直ったのではないか。
次も同じようにできるか。
的前でもできるか。
審査形式でも通用するか。

そこで急いで条件を上げる。

巻藁で一度できたら、すぐ的前へ戻る。
近距離で引けたら、すぐ審査形式へ入る。
一射で長く会ができたら、次は的中まで求める。
しかし、新しく生じた働きは、まだ不安定である。

成立したばかりの射へ急に大きな負荷を加えれば、古い反応へ戻りやすい。
正精進の第四は、すでに生じた善い状態を保ち、育てる働きである。

早気への応用では、

一度できたことを、すぐ次の結果へ使わず、同じ条件で再現できるようにする

ことになる。

目通り後も引分けが続いたなら、その働きを数射確認する。
頬付けまで自然に収まったなら、その前後で何が違ったかを見る。
会が成立したなら、長さを競わず、詰合いと伸合いが続いたか確かめる。
そのうえで、少しずつ距離、的中、立、審査形式などの条件を加える。

一度の成功を「克服」と呼ばない。
一度の失敗を「元へ戻った」とも決めない。
成立した働きを、異なる条件でも失わないところまで育てる。

正精進は、変化を起こす努力であると同時に、起きた変化を急いで壊さない努力でもある。


一気に直したい心もまた、貪になり得る

早気を克服したいと思うことは自然である。

長く苦しんできた者ほど、早く自由になりたいと思う。

しかし、

今日で直したい。
この方法で決着をつけたい。
次の審査までに完全に克服したい。

という思いが強くなりすぎると、改善そのものが獲得すべき結果になる。

中りを早く得たい貪が、「克服を早く得たい貪」へ姿を変える。
少しよくなれば、その成果へ飛びつく。

一射崩れれば、すぐ失望する。

思うように進まなければ、今の方法を捨てて別の方法を探す。
すると身体が一つの働きを覚える前に、稽古の方針が変わり続ける。
早気を直したいという願いは否定しなくてよい。

しかし、願いの強さと、改善の速さは同じではない。
変化には、確認と反復が必要である。
一気に直そうとするのではなく、今日変えられる一つの条件へ手を入れる。

目通り後の引分けが、前より少し続いた。
離れたいと気づく位置が、少し早くなった。
崩れた後、結果を取り戻そうとせず巻藁へ戻れた。

この程度の変化を積み重ねる。

正精進とは、改善を諦めることではない。
改善を急ぐ貪によって、改善の過程を壊さないことである。


「少しずつ」は、妥協ではない

小さな変化を重視すると、

それではいつまでも直らない
甘い稽古になる
本番に間に合わない

と感じることがある。

しかし、「少しずつ」とは、曖昧に続けることではない。課題を小さく分け、変化を確認できる形にすることである。

たとえば、

早気を克服する

という目標は大きすぎる。
できたか、できなかったかの二択になりやすい。

これを、

目通り後も引分けを続ける
頬付け前に馬手で離れを探さない
狙いが定まった瞬間の反応に気づく
崩れた後、同じ条件で急いで引き直さない

という課題に分ける。

これなら、何が変わり、何が残っているかを確認できる。
小さく分けることは、最終目標を下げることではない。
彀へ至る射を取り戻すために、工程を検証できる単位へ分けることである。

むしろ、何となく「もっと持つ」と繰り返すより、厳密な稽古になる。


微かな変化を、見落とさない

早気の改善は、いきなり長い会として現れるとは限らない。
最初の変化は、もっと小さいことがある。

打起しから急ぐ感じが少なかった。
目通りを過ぎても、少し引分けを続けられた。
頬付け前に馬手が探り始めたことへ気づいた。
離れたい反応が、以前より手前で分かった。
一射崩れても、次の一本を急がなかった。
射後に自分を責める言葉が減った。

これらは、すぐ的中へ表れないかもしれない。
会の秒数にも、はっきり現れないことがある。
しかし、射の主導権を取り戻す過程としては重要な変化である。

一方、小さな変化を過大評価してもならない。
一度気づけたからといって、克服したわけではない。
一度引分けられたからといって、すべての条件でできるわけではない。

正精進は、小さな変化を無視しない。
同時に、一度の変化へ飛びつかない。
観察し、反復し、別の条件でも保てるか確かめる。

微かな変化を、地味なまま育てる。


方法を頻繁に替えない

早気には、さまざまな矯正法がある。

会で数を数える。
息合いを整える。
巻藁へ戻る。
近距離で引く。
引き戻しを使う。
目を閉じる。
あえて中てない。
指導者に合図を出してもらう。

どの方法にも、適する射手と適さない射手がいる。
問題は、一つの方法で思うような結果が出ないと、すぐ別の方法へ移ることである。
身体が変化する前に方法を替えれば、何が有効だったか分からない。

複数の方法を同時に試
せば、どの条件が射へ影響したか判断できない。

正精進とは、一つの方法へ盲目的に固執することではない。しかし、結果を急ぐあまり、方法を次々と替えることでもない。

何を変える方法なのか。
どの条件で行うのか。
何を成功の基準にするのか。
何射、何回の稽古で傾向を見るのか。

を決めて試す。

うまくいかなければ、射手の努力不足と決めず、方法と課題が合っているかを見直す。

精進には、続ける力だけでなく、検証する力も必要である。


戻ったように見える日を、失敗と決めない

早気の改善は、一直線には進まない。

昨日は引けたのに、今日は離れる。
巻藁では安定したのに、的前へ戻ると崩れる。
普段の稽古ではできたのに、審査形式では元へ戻る。

このとき、

やはり何も変わっていなかった
今までの稽古は無駄だった
最初からやり直しだ

と考えやすい。

しかし、条件が変われば反応の強さも変わる。
難しい条件で古い反応が現れたからといって、それまでの変化がすべて消えたとは限らない。

見るべきなのは、

以前と同じように、何も分からないまま離れたのか。
それとも、崩れる入口へ少し早く気づけたのか。
崩れた後に、自分を責めず条件を戻せたのか。
次の一射を結果の取り戻しに使わずに済んだのか。

である。

早気が出たか、出なかったかだけで見れば、すべて元へ戻ったように見える。

しかし、反応との関係が変わっていることもある。
正精進とは、崩れを一度も出さないことではない。
崩れたときに、以前と同じ反応を重ねないことである。


休むことも、精進になり得る

精進という言葉から、休まず努力する姿を想像しやすい。

しかし、疲労によって観察も修正もできない状態で射数を重ねれば、崩れた射を反復することになる。

肩や肘に痛みがある。
集中が続かない。
何を課題にしているか分からなくなった。
一本崩れるたびに怒りが強くなる。
結果を取り戻すためだけに引き続けている。

そのようなときには、稽古を軽くする、巻藁へ戻る、射数を減らす、稽古を終えるという判断も必要になる。

ただし、苦しくなればいつでも休めばよい、という意味ではない。
瞋によって不快から逃げているのか。
それとも、続けても崩れの反復にしかならないと判断しているのか。

そこを見分けなければならない。

休むことと逃げることは、外形だけでは区別できない。
何のために休み、次にどう戻るかによって意味が変わる。

正精進は、休まないことではない。
必要な努力を持続できるように、休止も含めて行為を選ぶことである。


稽古で正精進を使う

正精進を稽古へ応用するなら、四つの問いに分けると分かりやすい。

一 崩れを生じさせないために、何を減らすか

課題を増やしすぎていないか。
最初から難しい条件へ入っていないか。
疲労したまま射数を求めていないか。
毎射、会の秒数や的中を確認していないか。

二 崩れが生じたとき、どう離れるか

離れを力で止めようとしていないか。
結果を取り戻そうと急いで引き直していないか。
一段軽い条件へ戻る必要はないか。
射中で戻れる身体の働きは残っているか。

三 射が成立するために、何を生じさせるか

目通り後の引分けを続ける。
頬付けを終点にしない。
狙いがついても左右の働きを保つ。
離れではなく詰合いと伸合いへ仕事を置く。

四 生じた変化を、どう育てるか

同じ条件で再現できるか。
条件を一度に上げすぎていないか。
一度の成功を克服と呼んでいないか。
微かな変化を記録しているか。

この四つを循環させる。

防ぐ。
離れる。
生じさせる。
育てる。

これが、早気に対する正精進の基本構造になる。


正精進と正業の違い

正業は、

何を、どのような順序で行うか

を扱う。

正精進は、

崩れを減らし、成立した働きを育てるために、その行為をどう継続するか

を扱う。

巻藁から近距離、的前へ段階的に進むのは正業である。
どの段階で留まり、いつ条件を上げ、崩れたときにどう戻るかは正精進に関わる。

課題を一つに絞るのは正業である。

一度で完成させようとせず、その課題を反復しながら育てるのは正精進である。

実際の稽古では両者を完全に分離できない。

しかし、行為の選択と、努力の方向を区別することで、ただ頑張るだけの稽古から離れやすくなる。


正精進から正念へ

適切な条件を整え、課題を一つに絞り、焦らず稽古を続けても、会では実際に反応が起こる。

中てたい。
外したくない。
苦しい。
早く離れたい。
また失敗するかもしれない。

その反応が起きたことに気づかなければ、射手は再び同じ流れに呑まれる。

正精進は、何を育てるかを示す。
しかし、そのためには、

今、何が起きているか

を見失わない働きが必要になる。

次のK357では、正念という視点から、反応を抑え込まず、それに呑まれ切らないための気づきを考える。


まとめ――精進とは、早気に勝つことではない

早気に悩む者は、努力が足りないのではない。
努力の方向が、早気との力比べへ向いていることがある。

離れを止める。
苦しさに耐える。
一度で直そうとする。
崩れるたびに自分を責める。
すぐ別の方法を探す。

それでは、努力そのものが貪・瞋・痴を強めることがある。

三毒早気論における正精進とは、

早気と力比べをするのではなく、崩れを生む条件を減らし、射が成立する条件を生じさせ、それを少しずつ育てていくこと

である。

まだ起きていない崩れを防ぐ。
起きた崩れに射全体を支配させない。
引分け、詰合い、伸合いが働く条件を作る。
一度生じた変化を、急いで壊さず育てる。

一射で勝とうとしない。
一日で克服を証明しない。
一度の成功へ飛びつかない。
一度の失敗ですべてを否定しない。

今日の一射で、崩れを一つ減らす。
射が成立する働きを一つ育てる。
その変化を観察し、反復し、少しずつ異なる条件へ広げる。

精進とは、根性で早気を押し切ることではない。
彀へ至る射が育つ条件を、途切れず整え続けることである。

これが、三毒早気論における正精進である。


※本稿は、八正道の伝統的教義と弓道の射法を同一視するものではありません。正精進における「不善を防ぎ、離れ、善を生じさせ、育てる」という四つの働きを、早気の稽古を段階的に進めるための補助線として参照する試論です。


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