K210|会は止める場ではない
1.早気を考える前に、会を考える
早気は、一般に「会が短い」「すぐ離してしまう」と説明される。
外から見れば、確かにそのように見える。
しかし、早気を会の秒数だけで捉えると、改善もまた、
もっと長く持つ
離れを我慢する
一定時間、身体を止める
という方向へ進みやすい。
だが、会は単に弓を引いた姿勢を止めておく時間ではない。
早気を考えるためには、まず「会とは何が行われる場なのか」を整理する必要がある。
会をどう捉えるかによって、早気の見え方も、その矯正方法も変わるからである。
2.会には、詰合いと伸合いがある
弓道における会は、矢束を十分に引き取り、詰合いと伸合いが働く段階である。
引分けによって一定の形に到達しただけでは、射が完成したとは限らない。
会では、
胴造りが崩れていないか
縦横十文字が保たれているか
左右の働きが釣り合っているか
弓手と馬手が、それぞれの方向へ働いているか
狙いが定まり、矢筋が通っているか
呼吸と気力が途切れていないか
といった条件が、詰合いと伸合いによってさらに充実していく。
したがって、会は「引き終わった後の停止」ではない。
引分けによって開いてきた射を収め、さらに離れへ向かって働かせていく場である。
3.外から静かに見えることと、止まっていることは違う
会に入った射手は、外から見ると静止しているように見える。
弓の位置は大きく変わらない。
矢も目立って動かない。
射手の姿勢も、一定の形に収まっている。
しかし、外形が静かであることと、射の働きが止まっていることは同じではない。
会では、目立つ動きが小さくなる一方で、身体の内側では働きが続いている。
縦に伸びる。
左右に張り合う。
関節を詰める。
狙いを通す。
呼吸を整える。
気力を充実させる。
こうした働きが失われ、ただ形だけを動かさずに残しているなら、それは会を深めているのではなく、停止した姿勢を維持しているだけかもしれない。
会の静けさは、働きがなくなった静けさではない。
働き続けながら、外形としては静かに見える状態である。
4.「持つ」という言葉が生む誤解
早気の射手に対しては、しばしば「もっと持て」と指導される。
この言葉は、離れを急がず会を成立させる必要を伝えるものとしては理解できる。
しかし、射手が「持つ」を、
身体を止める
離れを押さえ込む
苦しさに耐える
秒数を稼ぐ
という意味に受け取ると、会の本来の働きが失われやすい。
射手の意識が詰合いと伸合いから離れ、「まだ離してはいけない」という抑制だけへ向かうからである。
すると、表面上は会が長くなっても、その中では射が進んでいないことがある。
離れたい反応と、それを止めようとする意志がぶつかり、会が綱引きの場になってしまう。
必要なのは、ただ離れを遅らせることではない。
離れを止めている間にも、詰合いと伸合いが働き、射そのものが進んでいなければならない。
5.会を長くすることと、会を成立させることは違う
会の秒数は、射を観察する一つの手掛かりにはなる。
頬付けがつく前に離れる。
口割まで矢が下りない。
狙いが定まる前に離れる。
詰合いと伸合いへ入る前に離れる。
このような場合、会の短さは重要な問題として現れる。
だからといって、秒数だけを増やせば会が成立するわけではない。
三秒を五秒に延ばしても、その二秒間が単なる我慢であれば、射法上の問題が解決したとは言えない。
逆に、外から見た時間がそれほど長くなくても、詰合いと伸合いが働き、射が離れへ向かって滞りなく進んでいる場合もある。
したがって、見るべきなのは秒数だけではない。
その時間の中で、
詰合いが成立していたか
伸合いが続いていたか
矢筋へ働けていたか
身体が縮んでいなかったか
離れを待ち伏せしていなかったか
ただ反射を押さえ込んでいなかったか
を確かめる必要がある。
会を長くすることと、会を成立させることは同じではない。
6.会では、離れを待つのではなく射を進める
会に入ると、射手の注意は離れへ集まりやすい。
いつ離れるのか。
離れそうではないか。
まだ離れてはいけない。
どこまで持てばよいのか。
しかし、離れだけを見張り始めると、会の中で行うべき射法上の働きが薄くなる。
会で行うことは、離れの時機を待つことではない。
詰合いを整え、伸合いを続け、射を進めることである。
離れを起こそうとする必要もない。
反対に、離れを力で封じ込め続けることも、本来の目的ではない。
射手が働かせるべきものは、離れそのものではなく、そこへ至るまでの射法である。
詰合いと伸合いが十分に働き、射が離れへ通じるところまで成熟する。
その過程を途中で放棄しないことが、会を成立させるということである。
7.早気では、会が止まる前に射技が途切れている
早気では、離れが早く起こる。
しかし、問題は最後に現れた離れだけではない。
その前に、
引分けが十分に続かなかった
頬付けや口割が成立しなかった
狙いが定まらなかった
詰合いへ入れなかった
伸合いを働かせる前に離れの支度が始まった
身体が矢筋へ働く前に、馬手が反応した
という変化が起きている可能性がある。
早気によって失われるのは、単なる会の秒数ではない。
射手が自ら射技を働かせて、射を先へ進める機会である。
射手が会へ入り、詰合いと伸合いを働かせる前に離れが反射として起これば、射技は十分に発現できない。
だから早気の矯正では、最後の離れだけを止めようとするのではなく、どこまで射技を継続できていたかを遡って見なければならない。
8.会は「静止」ではなく「静かな進行」である
会は止める場ではない。
ただし、これは無闇に身体を動かし続けるという意味でもない。
外形は静かであってよい。
むしろ、身体の構成が整えば、見た目には静かになる。
しかし、その静けさの中で、
身体は詰め合い
縦横へ伸び合い
狙いは通り
呼吸と気力が充実し
射は離れへ向かって進んでいる
必要がある。
会とは、動きを完全に止める時間ではない。
射法上の働きを失わず、静けさの中で射を進める場である。
早気を直すとは、単に離れを遅らせることではない。
止まった形を長く維持することでもない。
引分けから会へ入り、詰合いと伸合いを働かせ、射が成立するところまで自ら射技を進められるようになることである。
その意味で、会は止める場ではない。
会とは、射を止めずに進めるための、静かな働きの場である。
次稿では、この会を「結果がまだ決まっていない時間」という別の側面から考える。
