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K303|貪は何を求めているのか――「中てたい」を直ちに貪としない


1.「中てたい」は貪なのか

弓道で弓を引く以上、中てたいと思うのは自然である。

試合では勝ちたい。
審査では合格したい。
稽古では前よりよい射をしたい。
外すよりは中てたい。

このような願いを、すべて貪と呼ぶことはできない。

もし「何かを求める心」をすべて貪とするなら、上達したいという意欲も、正しい射を身につけようとする精進も、仏道を修めようとする志も、すべて貪になってしまう。

しかし、倶舎論では、何かを求める働きと、煩悩としての貪は区別される。

したがって三毒早気論でも、

中てたいから貪である

とはしない。

問題にするべきなのは、中りを求めたかどうかだけではない。

中り、合格、成功、安心などに対して、心がどのように関わったのかである。


2.大地法の「欲」と煩悩の「貪」

K302で見たように、倶舎論では「欲」が十大地法の一つに数えられる。

ここでいう欲は、

なすべき事業を希求する働き

として説明される。

何かをしようとする。
ある行為を成し遂げようとする。
目的へ向かおうとする。

この働きは、善い心にも、不善な心にも、善悪のどちらとも定められない心にも伴い得る。

したがって、「欲」という文字があるだけで、煩悩の貪を意味するわけではない。

一方、貪は煩悩である。

倶舎論の心所分類では、貪は不定地法に含まれる。ここでいう「不定」とは、善悪が決まっていないという意味ではなく、すべての心に必ず伴うものではないという分類上の意味である。

欲と貪は、ともに何かを求めるように見えるが、同じ心所ではない。

たとえば、

正しい射を学びたい。
課題を修正したい。
審査に向けて稽古したい。
一本を大切に引きたい。

という希求を、それだけで貪と断定することはできない。

貪であるかどうかは、対象に対する染着の有無を含め、その心全体から判断しなければならない。


3.随眠としての貪

倶舎論では、六随眠の一つとして貪随眠が挙げられる。

さらに貪を二つに分けると、

  1. 欲貪

  2. 有貪

となり、七随眠になる。

欲貪は欲界に関係する貪である。

有貪は、色界・無色界における貪であり、とくに定やその存在状態への染着に関係する。

上二界にも貪があることを示すのは、色界・無色界や禅定を真の解脱と誤認しないためでもある。

この分類から分かるのは、貪が単なる物欲に限定されないということである。

物を所有したい。
快楽を得たい。
名誉を得たい。

という分かりやすい欲求だけでなく、ある境地や存在状態への染着も貪になり得る。

しかし、このことから、

結果を求める心は、すべて貪である

と結論することもできない。

貪は、単なる目的意識や行為への意欲ではなく、対象に染着する煩悩として考える必要がある。


4.中りを求めることと、中りへ染着すること

弓道において、中りは射の結果として重要である。

的中を無視して射技を評価することはできない。
中る射を求めて稽古することにも正当な意味がある。

したがって、

中てようとするな。
結果を求めるな。
合格したいと思うな。

というだけでは、弓道の実践として成立しにくい。

三毒早気論が問題にするのは、中りそのものではない。

中りに対する心の関わり方である。

たとえば、

射法を正しく進め、その結果として中りを得ようとする。

という場合と、

この一本だけは、何としても中りという結果にしたい。
中ったという安心を、すぐに得たい。
外れた自分を認めたくない。
中りを確保できるところで、早く離したい。

という場合とでは、心のあり方が異なる。

前者は、目的に向かう欲として理解できる。

後者には、結果を自分のものとして確保しようとする染着が含まれている可能性がある。

この染着の側面を、三毒早気論では貪の方向から検討する。


5.「早く結果を知りたい」は、それだけで貪ではない

従来の三毒早気論では、貪を次のように説明してきた。

中るか外れるか、早く知りたい。
未確定の状態を終わらせたい。
結果を早く回収したい。

この説明は、早気の経験を表す言葉としては分かりやすい。

しかし、厳密には、

結果を早く確定したいという心は、すべて貪である

とは言えない。

未確定の状態を終わらせたいという反応には、複数の可能性がある。

よい結果を自分のものにしたいという染着。
悪い結果への不安。
会の苦しさから逃れたいという拒絶。
射を終えたいという単純な希求。
どう動くべきかという迷い。
反復によって定着した運動習慣。

これらは同じものではない。

よい結果を確保しようとする働きには、貪が関係する可能性がある。

一方、未確定の状態が不快だから終わらせたいのであれば、瞋の方向から考える余地がある。

また、単に離れの動作が習慣化している場合には、貪や瞋だけでは説明できない。

したがって、「早く結果を知りたい」という自覚だけから、貪と判定することはできない。


6.悪い結果でもよいから終わらせたいのは貪か

早気では、ときに射手自身が、

中らなくてもよい。
もう外れてもよい。
とにかく早く離して、この苦しさを終わらせたい。

と感じることがある。

これを、

よい結果でも悪い結果でも、結果そのものを得たい貪である

と説明することには注意が必要である。

貪は対象への染着である。

悪い結果でもよいから終わらせたいという場合、中心にあるのは結果への染着ではなく、現在の不快な状態を退けようとする反応かもしれない。

その場合は、貪よりも瞋の方向が強い可能性がある。

ただし、

早く終わったという安心を得たい。
失敗が確定してもよいから、未確定から解放されたい。

という「安心」や「解放感」を求めているなら、その求め方には貪の側面が関係する可能性もある。

つまり、一つの言葉だけで判定することはできない。

「早く終わらせたい」という反応の中で、

何を得ようとしているのか。
何を退けようとしているのか。

を分けて見なければならない。


7.貪と瞋は方向が異なる

三毒早気論では、貪と瞋を次のように区別する。

貪は、対象を得ようとし、保持し、染着する方向である。

瞋は、対象を嫌い、遠ざけ、消し去ろうとする方向である。

弓道でいえば、

中りを自分のものにしたい。
合格という結果を確保したい。
よい射をした自分でありたい。

という方向には、貪が関係する可能性がある。

一方、

苦しい会から逃れたい。
外す不安を消したい。
崩れる前に射を終わらせたい。

という方向には、瞋が関係する可能性がある。

ただし、一射という時間幅の中では、両者が短時間に交替することがある。

中てたい。
しかし、まだ結果が決まらない。
外すのが怖い。
この状態を続けたくない。
崩れる前に離したい。

という変化である。

ここで、

中てたいという心。
不安を嫌う心。
早く終わらせたい心。

が、一つの心刹那に貪と瞋として同時に存在すると、直ちに考えてはならない。

一射という時間幅の中で、異なる心が短時間に相続している可能性として見る必要がある。


8.「合格したい」も直ちに貪ではない

審査で合格を願うことも、それだけでは貪ではない。

審査を受ける以上、合格を目指すのは当然である。

合格するために稽古する。
審査基準に即した射を身につける。
体配や射法を整える。

これらは目的に向かう行為であり、直ちに不善とは言えない。

問題になるのは、

合格しなければ自分には価値がない。
今回の合格だけは絶対に失いたくない。
射を進めるより、失敗しない形で早くまとめたい。
審査員によく見られる射を作りたい。

というように、合格や評価への染着が射を支配する場合である。

このとき、心は現在の射そのものよりも、

合格した自分。
評価された自分。
失敗しなかった自分。

を得ようとしている可能性がある。

三毒早気論では、このような結果や自己像への染着を、貪の方向から考える。

ただし、個々の射手の内心を外部から貪と断定することはできない。

判断のためには、本人が何を所縁とし、どのように執着していたのかを観察する必要がある。


9.貪は的そのものだけを所縁とするとは限らない

早気で心が向く対象は、的だけではない。

中り。
合否。
順位。
指導者の評価。
周囲から見られる自分。
失敗しなかったという安心。
早気を克服した自分。
前回より進歩したという実感。

このようなものが所縁となる可能性がある。

したがって、

自分は中てようとしていないから、貪はない

とは必ずしも言えない。

的中を捨てたつもりでも、

会を持てた自分でありたい。
早気ではないと証明したい。
先生に改善したと認められたい。
今日は成功した稽古にしたい。

という別の対象へ染着している可能性がある。

しかし、ここでも「求めているから貪」とはしない。

上達を確認したいという自然な欲と、それを失うことに耐えられない染着とは区別する必要がある。

問題は、何を求めたかだけでなく、その対象にどのように縛られていたかである。


10.貪を見分けるための問い

一射の中で貪が関係した可能性を検討するときは、「中てたかったか」だけを問わない。

次のように分けて考える。

何を得ようとしていたのか

中りか。
合格か。
勝利か。
安心か。
他者からの評価か。
早気を克服したという証明か。

それを、どのように求めていたのか

射法を尽くした結果として求めていたのか。
ただちに自分のものとして確保しようとしていたのか。
失うことを強く恐れていたのか。
それがなければ自分の価値が損なわれると感じていたのか。

その求めが、射にどう働いたのか

詰合い・伸合いを支えたのか。
射の途中を省略させたのか。
離れの時機を意識的に操作させたのか。
身体の状態を無視させたのか。
失敗への瞋へ転じたのか。

このように見ることで、目的を持つことと、結果に染着することを区別できる。


11.貪をなくそうとする貪

早気を直そうとすると、別の執着が生まれることがある。

早気を完全になくしたい。
今日は必ず持ちたい。
前回より長い会を作りたい。
早気ではない射を見せたい。

改善を願うこと自体は必要である。

しかし、

早気が出てはならない。
改善したという結果を、今日中に得なければならない。
会を持てた自分にならなければならない。

と結果へ染着すると、早気を直そうとする心が、かえって射を拘束することがある。

これは、

貪をなくしたいという願いは、すべて新たな貪である

という意味ではない。

改善への正当な欲と、改善した結果への染着を区別する必要があるということである。

早気の克服を求めながら、その成果を急いで確保しようとしない。

この難しさも、貪を考えるうえで重要である。


12.三毒早気論としての見立て

以上を踏まえ、三毒早気論では貪を次のように扱う。

「中てたい」「合格したい」「上達したい」という願いを、それだけで貪とはしない。

貪の教理を参照するのは、中り、合格、評価、安心、成功した自己像などに心が染着し、それを直ちに確保しようとする働きが、射の進行を追い越す場合である。

また、

未確定を終わらせたいという反応を、すべて貪とはしない。

そこには、

結果を得ようとする貪。
不快を退けようとする瞋。
状況を正しく捉えられない無明。
射法や身体上の問題。
反復によって形成された運動習慣。

などが関係する可能性がある。

貪は、早気の唯一の原因ではない。

早気の中に現れ得る、対象への染着を分析するための一つの観点である。


13.おわりに

貪は、単に何かを欲しがることではない。

また、「中てたい」と思っただけで貪になるわけでもない。

弓道では、中りを目指す。
審査では、合格を目指す。
稽古では、上達を目指す。

その目的を否定する必要はない。

問うべきなのは、その目的が、現在の射とどのような関係にあるかである。

中りを目指しながら、射法を最後まで進めているのか。
それとも、中りという結果を早く確保するために、射の途中を切り上げているのか。

合格を目指しながら、詰合い・伸合いを尽くしているのか。
それとも、崩れない形を早くまとめ、安心を得ようとしているのか。

上達を目指しながら、今の射を観察しているのか。
それとも、改善した自分という結果を急いで証明しようとしているのか。

貪を見るとは、目的を捨てることではない。

対象への染着によって、射の進行が支配されていないかを見ることである。

中りを求めることと、中りに縛られることは違う。

その違いを見分けるところから、早気における貪の分析が始まる。


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