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K312|試合を三毒からどう読むか――勝ちたい心と結果への染着を分ける


1.試合では、一本の意味が変わる

普段の稽古では、一本を失敗しても次の矢がある。

射法を確認し、条件を変え、もう一度試すことができる。

しかし試合では、一本ごとに結果が加算される。

自分の的中が勝敗に影響する。
相手の的中が見える。
団体戦では仲間の結果も加わる。
やり直すことはできない。

そのため、

この一本を中てたい。
ここは外せない。
相手に負けたくない。
仲間に迷惑をかけたくない。

という心が強くなりやすい。

試合で射が早くなると、

勝ちたい気持ちが強すぎた。
中て気に負けた。
欲が出た。

と説明されることがある。

しかし、勝利や的中を目指すこと自体を、直ちに貪とすることはできない。

本稿では、競技上の正当な目的と、結果への染着を区別しながら、試合における早気を貪・瞋・無明の観点から検討する。

これは倶舎論が直接説く競技心理ではなく、三毒早気論としての応用である。


2.勝ちたい心は悪いのか

試合は勝敗を競う場である。

勝ちたい。
中てたい。
よい成績を残したい。
団体に貢献したい。

という目的がなければ、競技として成立しにくい。

K303で確認したように、何かを求める欲と、対象へ染着する貪は同じではない。

勝利を目標に稽古する。
一本でも多く中てるために射技を磨く。
競技条件の中で実力を発揮する。

これらを、それだけで貪とは呼べない。

問題になるのは、勝敗や的中への染着が、現在の射法を追い越す場合である。

中りを得るために射を最後まで進めるのか。

それとも、

中りという結果を早く確保するために、射の途中で離れを出すのか。

この違いを見る必要がある。


3.試合は条件であり、勝敗は所縁になり得る

K308で確認したように、試合という状況そのものと、心が取る所縁は区別される。

試合には、

得点が記録される。
相手や仲間の的中が見える。
順位が決まる。
射順を自由に変えられない。
一本をやり直せない。

という条件がある。

その条件のもとで、心はさまざまなものを所縁とする。

目の前の的。
自分の射法。
次の一本。
現在の的中数。
相手との差。
団体の勝敗。
仲間から見られる自分。
失敗した自分。
勝った自分。

したがって、

試合だから貪が強くなった

というだけでは不十分である。

試合という条件のもとで、心が何を所縁とし、それにどのように関わったのかを見なければならない。


4.試合における貪の可能性

試合で貪との関係を検討できるのは、単に中てたいと思った場合ではない。

この一本を、どうしても自分の中りにしたい。
よい成績を失いたくない。
勝った自分を確保したい。
周囲から強い射手として認められたい。
今のうちに中りを取っておきたい。

というように、結果や自己像へ染着する場合である。

この染着が強くなると、会は射を進める場ではなく、

中りを得る直前の待ち時間

のように感じられることがある。

まだ詰合い・伸合いが進んでいない。

しかし、狙いが合ったように感じる。

すると、

今なら中る。
これ以上引くと外れるかもしれない。
この機会を逃したくない。

という心が現れ、離れを前倒しする可能性がある。

ただし、これを外見だけから貪と断定することはできない。

引分けの不足や、特定の位置で離れる運動習慣が中心である可能性もある。


5.「一本を取りたい」と「早く取りたい」

試合で一本を取りたいと思うことは自然である。

問題は、その一本をどのように取ろうとしているかである。

射法を最後まで進め、その結果として中りを得ようとする。

この場合、一本を取るという目的と、射法の進行は対立しない。

一方、

まだ離れの時機ではないが、今なら中りそうだ。
これ以上続けると崩れそうだから、先に結果を確保したい。

と考えるなら、中りを早く自分のものにしようとする染着が関係する可能性がある。

三毒早気論が問題にするのは、

一本を取りたいことではなく、
射の途中を飛ばして一本を取りに行くこと

である。


6.外したくないという瞋

試合では、「中てたい」と同時に「外したくない」と感じる。

しかし、この二つは同じ方向ではない。

中りを得ようとする働きには、貪との関係を検討できる。

外れや失敗を退けようとする働きには、瞋との関係を検討できる。

ただし、「外したくない」と思っただけで瞋になるわけではない。

競技上、失敗を避けようと工夫することは自然である。

瞋との関係を考えるのは、

外れという結果を強く嫌悪する。
失敗した自分を認めたくない。
外す不安を直ちに消したい。
会の苦しさから早く逃れたい。

というように、不快な対象を排斥しようとする染汚心が生じる場合である。


7.貪と瞋が一射の中で交替する

たとえば、試合で次のような変化が起こる。

この一本を中てたい。
まだ結果が決まらない。
外したらどうしよう。
このまま会を続けるのが苦しい。
崩れる前に離したい。

ここには、

結果を得ようとする方向と、
不快や失敗を退けようとする方向がある。

しかし、K306で確認したように、貪と瞋を一つの心刹那に同時に俱起させることはできない。

一射という時間幅の中で、

貪と無明を伴う染汚心から、
瞋と無明を伴う染汚心へ、

あるいはその反対へ、心が短時間に相続した可能性として考える。

三毒早気論では、このような心の変化を「連鎖」と表現する。

ただし、これは倶舎論が直接説く固定的な因果法則ではない。


8.団体戦における責任感

団体戦では、

仲間に迷惑をかけたくない。
自分の一本で流れを切りたくない。
前の射手に続きたい。
後ろの射手を楽にしたい。

という心が生じる。

これは団体の一員としての責任感であり、それだけで貪や瞋とは言えない。

むしろ、仲間のために自分の役割を果たそうとする健全な動機になり得る。

しかし、

外した自分を責められたくない。
役に立つ自分として認められたい。
自分の失敗で負けることだけは耐えられない。

という自己像への染着や拒絶へ変わる場合がある。

団体への責任と、評価される自己への執着を区別する必要がある。

同じ「仲間のため」という言葉でも、心が何を所縁としているかは異なり得る。


9.相手の的中は自分の射をどう変えるか

試合では、相手の的中が見える。

相手が連中している。
自分より先に皆中した。
相手が外したため、ここを中てれば勝てる。

この情報は、競技上必要である。

得点状況を理解し、戦術を考えること自体は煩悩ではない。

しかし、その情報が、

相手に負けたくない。
自分の方が上だと証明したい。
相手の成功が面白くない。

という心へつながる可能性がある。

ここには、貪・瞋だけでなく、慢や嫉との関係も考えられる。

相手と自分を比較する心には慢が関係する可能性がある。

相手の成功を喜べない心には、纏の一つである嫉との関係を検討できる。

三毒早気論だからといって、すべてを貪・瞋・痴の三つへ押し込むべきではない。


10.勝っているときにも射は崩れる

試合の早気は、負けているときだけに起こるとは限らない。

勝っている。
あと一本中てれば決まる。
皆中が見えている。
自己最高記録に届きそうだ。

このようなときにも、結果への染着は強くなり得る。

今の成績を失いたくない。
最後の一本を外したくない。
よい結果のまま終わりたい。

という心が前面に出る。

すると射手は、射を進めるよりも、

大きく崩さない。
早くまとめる。
中りそうな時機で離す。

という方向へ動くことがある。

勝っている安心が、貪を弱めるとは限らない。

得た結果を保持しようとする染着が強まる可能性もある。


11.負けているときの「取り返したい」

外したあと、

次は必ず中てたい。
今の失敗を取り返したい。
この一本で流れを戻したい。

と思うことがある。

失敗を修正しようとする意欲は必要である。

しかし、前の外れを次の中りによって消そうとすると、前の射を観察する前に結果を取りに行きやすい。

何が崩れたのか。
どこから引分けが止まったのか。
何を所縁としていたのか。
身体に異常はなかったか。

を確認せず、

次を中てればよい。

と考える。

ここでは、

失敗を退けようとする瞋の方向と、
中りを得ようとする貪の方向が、

一射から次の一射へ相続する可能性がある。


12.試合における無明の可能性

試合後は、結果によって射を評価しやすい。

勝ったからよい射だった。
中ったから問題はなかった。
負けたからすべて悪かった。
外れたから技術が足りなかった。

しかし、勝敗と射法上の内容は同じではない。

早い離れでも中ることはある。
射法を進めた射が外れることもある。
相手の結果によって勝敗が決まる場合もある。

K305で確認したように、この誤認を直ちに無明と断定することはできない。

しかし、

勝敗や自己像に覆われ、射の原因と条件を如実に捉えられない染汚心

を検討するために、無明の教理を参照できる。

試合結果を無視するのではない。

結果と過程を分けて記録する。

そのうえで両者の関係を見る。


13.緊張と高揚を三毒にしない

試合では、緊張や高揚が生じる。

心拍が上がる。
身体が震える。
周囲の音が大きく感じられる。
集中が鋭くなる。
あるいは注意が散る。

これらは生理的・心理的な反応であり、それ自体を貪・瞋・痴と呼ぶことはできない。

緊張しているから瞋がある。
興奮しているから貪がある。

という判定はしない。

倶舎論の纏に掉挙があるからといって、競技中の高揚を直ちに掉挙とすることもできない。

見るべきなのは、緊張や高揚がある条件のもとで、

心が何を所縁としていたか。
どのような煩悩が相応した可能性があるか。
身体の運動がどこから変わったか。

である。


14.競技上の判断と射の操作を分ける

試合では、得点状況を把握する必要がある。

場合によっては、射順、時間、戦術を考えることもある。

このような競技上の判断を捨てる必要はない。

しかし、射位へ入ったあとまで得点計算を続け、

ここは絶対に中てなければならない。
相手が外したから、今が勝機だ。
この一本を早く決めたい。

という心に占められると、現在の射を進めにくくなる。

競技上の情報は、射に入る前に処理する。

射位では、その情報を理由に離れの時機を操作しない。

勝敗を忘れるのではなく、勝敗を射の途中へ持ち込み、離れを直接支配させないことが重要である。


15.試合の一本を観察する四層

試合後は、次の四層に分けて振り返る。

条件

個人戦か、団体戦か。
何本目か。
得点差はどうだったか。
相手や仲間の直前の結果はどうだったか。
疲労や身体状態に問題はなかったか。

所縁と心

的、勝敗、一本、仲間、相手、自己記録など、何へ心が向いていたか。
何を得ようとしていたか。
何を失いたくなかったか。
何を退けようとしていたか。

射法と身体

目通り以後も引分けが続いたか。
頬付けまで引き収めたか。
狙いがついたところで動きが止まらなかったか。
馬手が離れを探していなかったか。

結果と解釈

中ったか、外れたか。
勝ったか、負けたか。
その結果だけで射を正当化または否定していないか。

この四層を分けることで、「試合で弱かった」という結論から、具体的な修正へ進める。


16.三毒早気論としての見立て

以上を踏まえ、三毒早気論では試合の心を次のように扱う。

勝ちたい、中てたい、団体へ貢献したいという競技上の目的を、それだけで貪とはしない。

的中、勝利、記録、評価、勝った自己像へ染着し、それを早く確保するために射法の途中を切り上げる場合に、貪との関係を検討する。

外したくない、負けたくないという願いを、それだけで瞋とはしない。

失敗、敗北、緊張する自分を嫌悪し、直ちに退けようとする場合に、瞋との関係を検討する。

試合結果の原因を説明できないことを、それだけで痴とはしない。

勝敗や自己像に覆われ、条件と射法を如実に捉えられない染汚心について、無明との関係を検討する。

慢・疑・嫉・掉挙など、三毒以外の随眠や纏が関係する可能性も除外しない。

これは倶舎論が直接説く競技論ではない。

倶舎論の煩悩論を参照して、試合における早気を観察する三毒早気論の応用である。


17.おわりに

試合で勝ちたいと思うことは悪くない。

中りを求め、勝利を目指し、仲間へ貢献する。

それが競技である。

問題は、勝利を求めたことではない。

勝敗や的中が、現在の射をどのように変えたかである。

勝つために、射法を最後まで進めるのか。

それとも、勝ちという結果を早く確保するために、射を途中で終えるのか。

外れを次の課題として受け取るのか。

それとも、外れた自分を否定し、次の中りで直ちに消そうとするのか。

試合における三毒を見る目的は、競争心をなくすことではない。

競争の中でも、射の主導権を結果へ渡さないことである。

得点状況を知る。
勝敗を受け止める。
そのうえで一本に入り、詰合い、伸合い、彀へ至るところまで射を進める。

勝ちを求めながら、勝ちに射を奪われない。

そこに、試合を三毒から考える意味がある。


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