K212|早気は会の秒数の問題ではない
1.会の短さは、早気を知らせる重要な徴候である
前稿では、会を「結果がまだ決まっていない中で、射法を働かせ続ける時間」として考えた。
射手は会に入り、詰合いと伸合いを働かせ、射が成立するところまで進めていく。
ところが早気では、その途中で離れが起こる。
外から見て最も分かりやすく現れるのは、会の短さである。
頬付けがつく前に離れる
口割まで矢が下りない
狙いが定まる前に離れる
会に入った直後に離れる
詰合いと伸合いへ移る前に離れる
こうした射では、会の短さは明らかな問題として現れる。
したがって、会の秒数を見ること自体が間違いなのではない。
秒数は、射に何らかの異常が起きていることを知らせる重要な観測値である。
ただし、観測された短さを、そのまま早気の本質や原因と考えることには注意が必要である。
2.短いから早気なのではなく、途中で離れるから短くなる
早気について、
会が短いから早気である
と考えることがある。
しかし、因果関係としては逆に見た方がよい場合がある。
射手が詰合いと伸合いを十分に働かせ、彀へ至る前に離れてしまう。
その結果として、会が短く観測される。
つまり、
会が短いから早気になるのではない。
射が成立する前に離れるため、結果として会が短くなる。
ということである。
会の短さは、早気を外から確認する徴候ではある。
しかし、その短さの前には、
引分けが途中で止まった
頬付けが成立しなかった
馬手が収まらなかった
狙いが定まらなかった
離れの支度が早く始まった
身体が矢筋へ働く前に反射が起きた
といった変化が存在する可能性がある。
秒数だけを原因と考えると、その前に何が起きたのかが見えなくなる。
3.何秒なら正常なのか
早気を秒数で判断しようとすると、次に「何秒持てれば正常なのか」という問いが生じる。
二秒では短い。
五秒ならよい。
十秒なら立派である。
しかし、このように一律の基準を置くことは難しい。
射手によって、
弓力
矢束
射法
身体条件
呼吸
射の運行
詰合いと伸合いの現れ方
が異なるからである。
また、同じ射手でも、体調や稽古環境によって射の時間は変化する。
したがって、特定の秒数を超えれば正常で、それより短ければ早気だと機械的に判定することはできない。
ただし、だからといって秒数を無視してよいわけではない。
以前は会に入って詰合いと伸合いを働かせていた射手が、頬付けと同時に離れるようになった。
巻藁では一定時間射を進められるが、的前では口割へ下りる前に離れる。
普段の稽古では会に入れるが、審査では引分けの途中から離れが始まる。
このような変化を捉えるうえで、会の長さは重要な資料になる。
必要なのは、一律の合格秒数ではなく、その射手の射がどこまで進んでいたかを秒数とともに見ることである。
4.短い射と早気は同じではない
外から見て会が短い射が、すべて同じ内容であるとは限らない。
射の運行が速くても、
矢束を十分に取っている
頬付けと口割が成立している
狙いが定まっている
詰合いと伸合いが働いている
射手が射技を継続している
射が彀へ至っている
のであれば、単に時間が短いという理由だけで早気とは言えない。
反対に、外から数秒の会があるように見えても、その間に、
離れたい反応を押さえ込んでいる
身体を固めている
詰合いも伸合いも止まっている
離れの時機を待ち伏せしている
秒数だけを数えている
のであれば、射が成立しているとは限らない。
早気の反対は、単に時間の長い射ではない。
見るべきなのは、時間の長短だけでなく、その時間の中で射法が働いていたかどうかである。
5.長く持てても、早気が直ったとは限らない
早気の矯正では、まず会の時間を作るために、離れを出さずに引き戻す稽古や、一定時間離さない稽古を行うことがある。
こうした方法には意味がある。
離れが反射として起きる前に、
頬付けをつける
口割まで引き収める
狙いを確認する
会に入る
射を戻す
という経験を重ねられるからである。
しかし、長く持てたという事実だけで、早気が直ったと判断することはできない。
離れたい反射を強い意志で押さえ込み、身体を硬直させて秒数を延ばしただけなら、射の主導権を取り戻したとは言いにくい。
その稽古によって、
引分けを最後まで継続できたか
頬付けと口割が成立したか
馬手が離れの支度へ移らなかったか
詰合いと伸合いを働かせられたか
必要なら自分の判断で引き戻せたか
を見る必要がある。
時間を延ばすことは、射法を取り戻すための手段になり得る。
しかし、時間を延ばすこと自体が最終目的ではない。
6.秒数は原因ではなく、工程の結果として見る
早気を工程として考えると、会の秒数の位置づけが分かりやすくなる。
離れまでの流れには、
打起し
大三
引分け
目通り
頬付け
口割
会
詰合い
伸合い
離れ
という一連の過程がある。
斜面打起しであっても、打起しから引分け、会、離れへ至る射の流れがあることは変わらない。
この工程のどこかで、射手が射技を進める前に離れの支度へ移れば、その後の工程は十分に成立しない。
目通りを過ぎたところで引分けが止まる。
頬付けがつく前に馬手が反応する。
口割りに収まらない。
狙いが定まる前に離れる。
その結果として、会の秒数が短くなる。
したがって秒数は、早気を生み出した直接の原因というより、射の工程が途中で変化した結果として現れる。
秒数だけを延ばそうとするのではなく、どの工程から射技を継続できなくなったのかを見る必要がある。
7.秒数を測るなら、ほかの事実も一緒に残す
会の秒数を記録することには意味がある。
ただし、秒数だけを記録すると、
三秒だった。
だから駄目だった。
という評価で終わりやすい。
稽古記録としては、少なくとも次の事実を併記した方がよい。
稽古場所
巻藁・近距離・的前の別
弓と弓力
疲労や身体状態
頬付けの成立
口割の位置
狙いを定められたか
引分けをどこまで継続できたか
詰合いへ入れたか
伸合いを働かせられたか
離れが反射として出たか
自分の判断で引き戻せたか
的中したか
会のおおよその秒数
こうして記録すると、秒数が単独の評価点ではなく、射の工程を調べるための測定値になる。
例えば、同じ二秒でも、
頬付け直後に反射的に離れた二秒
詰合いと伸合いが成立し、射が彀へ至った二秒
では中身が違う。
また、同じ五秒でも、
射技を働かせ続けた五秒
離れたい反射を押さえ込んだ五秒
射が止まり、モタレになった五秒
では意味が異なる。
秒数は、それだけで評価するのではなく、ほかの観察事実と組み合わせて読む必要がある。
8.中ったかどうかとも分けて考える
会が短くても中ることはある。
早気の射が中ったからといって、その射が成立していたことにはならない。
反対に、会に入り、詰合いと伸合いを働かせた射が外れることもある。
外れたからといって、会を成立させる試みが無意味だったことにもならない。
ただし、これは的中を軽視するという意味ではない。
弓道において、的中は射技を検証する重要な結果である。
一射の的中だけで射の成立を断定せず、継続的な的中率と射法の再現性を見ていく必要がある。
早く離して偶然中った一本と、射法を働かせた結果として中った一本は、同じ「一中」であっても工程が異なる。
その違いを見なければ、射技の改善にはつながらない。
秒数と同様に、的中も重要な測定結果である。
しかし、秒数だけでも、的中だけでも、射の全体を説明することはできない。
9.早気の本質は、射技を継続できなくなることにある
早気とは、単に会が短いことではない。
射手が詰合いと伸合いを働かせ、彀へ至るまで射を進める前に、離れが反射として起こることである。この結果として、会が短くなる。
したがって、早気で本当に問題になるのは、
短かったことだけではない
長く持てなかったことだけでもない
中らなかったことだけでもない
射手が自ら射技を働かせて、射を進めることができなくなった点にある。
会に入る。
詰合いを整える。
伸合いを働かせる。
射が成立するところまで進める。
成立しないまま離れたなら、その射を振り返り、次の一本を立て直す。
早気では、こうした選択より先に離れが起こる。
射技の発現ではなく、反射によって射が終わってしまう。
これが早気の中核である。
10.秒数を見るが、秒数だけを見ない
会の秒数は無意味ではない。
早気の程度や変化を観察するうえで、有用な測定値である。
しかし、
何秒なら正常か
何秒持てば改善したか
何秒ならよい射か
という基準だけでは、射の中身を判断できない。
見るべきなのは、
その時間の中で、射手が何を行うことができたか。
である。
頬付けは成立したか。
口割まで収まったか。
狙いは定まったか。
詰合いと伸合いは働いたか。
彀へ向かって射を進められたか。
それとも、その前に反射として離れが起きたか。
秒数は射を知るために使う。
秒数を作ることを射の目的にしない。
早気は会の秒数に現れる。しかし、早気の本質は秒数そのものではなく、
射が成立する前に射技の継続を失うことにある。
次稿では、会を意志で保とうとすることが、なぜかえって射の流れを壊すことがあるのかを考える。
