H01|なぜ現代日本の仏教は「死」しか扱えなくなったのか――僧侶の堕落でも、信者離れでもない
現代日本で「仏教」と聞いて思い浮かぶものは、だいたい決まっている。葬式、法事、戒名、墓、先祖供養。もちろん例外はあるが、社会の中で仏教が存在感を持つ場面は、ほとんどが「死」に関わる局面だ。生きている人間の迷い、怒り、欲、恐れ、仕事の苦しさ、家庭の崩れ、社会の閉塞――そういうものに対して、仏教が公の言葉として力を持っているとは言いがたい。
この状況は、よく「僧侶が堕落したから」「寺が金儲けになったから」「信者が信仰を失ったから」と説明される。だが、私はこの説明に納得していない。なぜなら、それは原因ではなく結果に見えるからだ。もし仏教が本来、社会の根幹を支える思想であり続けていたなら、僧侶が堕落しようが、信者が減ろうが、何らかの形で「生」を語る回路は残ったはずだ。ところが日本では、そうならなかった。つまり、個々人の努力や美徳の問題ではなく、もっと大きい仕組みが、仏教を「死の担当」に固定してしまったと考えるほうが筋が通る。
ここで本連載の結論を先に言ってしまう。少し挑発的に聞こえるかもしれないが、これが全体の骨格である。
日本の仏教が「死」しか扱えなくなったのは、仏教が弱かったからではない。むしろ逆で、仏教が強すぎたからだ。人を動かし、共同体を作り、時に権力に対抗し得る思想だったからこそ、国家にとっては「管理すべき危険物」になった。そして江戸時代、徳川政権は宗教を無害化する仕組みを完成させた。以後、その構造は形を変えながらも生き残り、明治でも戦後でも根本は清算されず、現代まで続いている。だから私は言う。日本はまだ江戸時代を終えていない、と。
もちろん、これは「江戸時代の政治制度が残っている」という意味ではない。残っているのはもっと深いところ、つまり人々の行動原理、秩序の作り方、責任の回避の仕方、空気の支配、役割の固定、逸脱への恐怖――そういうものだ。これを私はここでは便宜上「統制OS」と呼ぶ。思想として学ばれなくなっても、習慣として残り、言葉ではなく空気として動く仕組みである。
この統制OSの特徴は、誰も悪者がいないのに、誰も抗えない点にある。命令があるわけではない。法律で禁じられているわけでもない。だが「それは言わない方がいい」「波風を立てるな」「余計なことをするな」という圧が、自然に立ち上がる。宗教が生の意味を語ろうとすることも、この圧の中で「押し付け」「危ない」「面倒」として退けられる。結果、宗教は私事化され、仏教は社会の中心から退場し、残された仕事だけを粛々と担うことになる。葬送、供養、儀礼。誰もが必要とし、しかし誰もそこに思想を求めない領域である。
では、なぜこのような構造になったのか。ここから先は、いきなり現代批判に飛ばない。むしろ逆で、徹底して歴史を追う。聖徳太子から始め、奈良・平安の国家仏教、中世の思想としての復活、戦国期の政治化、徳川政権の宗教統制、朱子学の採用、寺請制度による管理機関化、葬式仏教の完成、明治の破壊、国家神道による序列化、戦後の自由化と無力化、そして現代の「空気」へ。遠回りに見えるが、この遠回りをしない限り、現代仏教の問題は必ず「僧侶が悪い」「信者が悪い」で終わってしまう。
この連載は、仏教を礼賛するためのものではない。逆に、仏教を叩くためのものでもない。仏教が生を語れない社会とは、社会の側が何を失っているのか。その問いを、思想史として整理したい。宗教的覚醒がない社会は、倫理を持っていても、主体を育てにくい。正しさはあるのに、責任がない。空気はあるのに、決断がない。そういう病理が、現代のいたるところに滲んでいる。仏教問題は宗教の話に見えて、実は社会の話なのである。
次回(H02)は、すべての起点に戻る。
「仏教は救済思想として日本に来たのではない」――聖徳太子と国家統合の技術。
ここで最初の誤解を壊す。そこからでないと、この話は始まらない。
