見出し画像

K405|頬付けがついた瞬間に来るもの―― みぞおちのムラムラを越えて伸合いへ入る ――


頬付けがついても、それで終わりではない

頬付け矯正をしていると、的前で実際に引いた時、頬付けがついた瞬間に、みぞおちのあたりがムラムラすることがある。

ただ苦しいというのとも少し違う。
ただ怖いというのとも違う。
何かが内側からざわつき、そこで早く終わらせたくなるような感じである。

この感覚は、軽く見ない方がよい。
少なくともこの型では、かなり大事な感覚である。

ここで扱うのは、頬付けのあとに第一波が来る型である

もちろん、頬付け不成立や早気の現れ方は一つではない。
頬付けまで届かない型もあれば、頬付けはついても、その直後にそこで終わらせたくなる型もある。

ここで扱うのは、後者である。
つまり、頬付けはつく。
だが、その直後に身体の内側で「ここで確定させたい」「ここを早く抜けたい」という第一波が立ち上がる型である。

みぞおちのムラムラは、ただの気分ではない

この感覚は、ただの気分ではない。

頬付けがついたあと、まだ会に住しておらず、まだ伸合いにも渡っていない。
その、わずかな未決の時間に対して起きる反応である。

少なくともこの型では、早く終わらせたい反応の立ち上がりが、かなりはっきり身体感覚として現れていると見てよい。
みぞおちのムラムラは、その目印である。

頬付けがついたから良い、では足りない

ここを曖昧にすると、矯正は進みにくい。

頬付けがついた。
それで良し。
そう見てしまうと、その直後に来る第一波を見落としてしまう。

だが実際には、頬付けがついた瞬間に、そこで確定へ吸われるように終わってしまうことがある。
そうなると、頬付けは伸合いの入口ではなく、離れの直前の合図に変わってしまう。

この型がなかなか抜けないのは、頬付けそのものより、この第一波の方に本体が残っているからである。

矯正の判定は、第一波を越えられたかどうかで決まる

したがって、頬付け矯正の成否は、「頬付けがついたかどうか」だけでは決まらない。

頬付けがついた。
そこでみぞおちがムラムラする。
そのまま放してしまう。
これなら、まだ矯正は途中で終わっている。

頬付けがついた。
みぞおちがムラムラする。
しかし、その第一波をやり過ごして、なお狙いが残り、そこから伸合いへ渡る。
これなら、矯正は一歩進んでいる。

この違いは大きい。
頬付けがついた直後の第一波を越えて、伸合いへ入れたかどうか。
そこが、実際の判定基準になる。

ここを「我慢」で押さえ込もうとしない

ただし、ここで注意しなければならないことがある。
それは、このムラムラを力で押さえ込もうとしないことである。

よくあるのは、「ここを我慢しなければならない」と考えることである。
言葉だけ見れば、間違いではない。
だが、我慢に意識が寄りすぎると、会は自然な働きの場ではなく、「ここで何とか止めなければならない場」に変わる。

すると、みぞおちのざわつきはかえって強くなり、未決の時間はさらに重くなる。
これでは、早く終わらせたい反応を、別の形で強めてしまう。

必要なのは、我慢ではなく渡し方である

必要なのは、我慢ではなく、渡し方である。

頬付けがついた。
そこでムラムラが来る。
その時に、「このムラムラを消そう」とするのでなく、そこから何へ渡すかを先に決めておく。

弓手の狙いを残す。
押しを切らさない。
馬手は何かをしに行かず、収まりを壊さない。

つまり、頬付けの直後に来る第一波を、伸合いへの入口として通過させるのである。
頬付けがついた瞬間は、まだ終点ではない。
そこが本当の入口である。

このムラムラは、敵ではなく目印である

だから、このムラムラは敵ではない。
むしろ、どこで反応が起きているかを教えてくれる目印である。

矯正が進んでいない時は、頬付けがついた瞬間にこの第一波で終わる。
矯正が進み始めると、この第一波を越えたあとにも射が続く。
そう見れば、自分がどこにいるかがかなりはっきりする。

実際の稽古では、ここを見分ける

実際の稽古では、ここをこう見ておくとよい。

頬付けがついた瞬間に、みぞおちがどうなったか。
その第一波を越えられたか。
越えたあとに、狙いがまだ残っていたか。
馬手が収まりのまま伸合いへ渡ったか。
それとも、ムラムラのまま離れて終わったか。

この見分けができるようになると、矯正の記録も変わる。
単に「頬付けがついた」「つかなかった」では粗い。

「頬付けはついたが、第一波で終わった」
「頬付けがつき、第一波を越えて伸合いへ入れた」

この違いを言い分けられるようになると、矯正の進み具合がかなり見えやすくなる。

頬付け矯正の山場は、ここにある

言い切れば、頬付け矯正の山場はここである。

頬付けがつくこと。
それだけでは、まだ足りない。
頬付けがついた直後に来る第一波を越えて、射がなお続くこと。
そこまで行って、初めて頬付けは「離れの合図」ではなく、「伸合いの入口」に変わり始める。

頬付け矯正とは、顔を合わせることではない。
頬付けがついた直後に来る反応を越えて、なお射を続けられるようにすることなのだ。


いいなと思ったら応援しよう!