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美人とは何か──夢二の美人画から、いまの時代へ【連載エッセイ#05】「ことばのひみつ」山口謠司

『日本語を作った男 上田万年とその時代』『もう恥をかきたくない人のための正しい日本語』『面白くて眠れなくなる日本語学』『文豪の語彙力』『光と闇と色のことば辞典』など多数の著作を通じて日本語の奥深さを伝え続けてきた文献学者、山口謠司さん。本連載では、ことばの由来や漢字の成り立ち、古典の世界をたどりながら、日本語の「ひみつ」を紐解いていきます。
※当記事は連載の第5回です。第4回はこちら↓


漢文でいう「美人」は、美しい女性ではなかった

「美人」とは、漢文にもよく出てくる言葉である。
ただし、漢文の世界でいう「美人」は、必ずしも美しい女性を意味しない。『詩経』や楚辞の世界で「美人」と言えば、それは徳のある人、理想の人物、あるいは君子を指すことがある。

美とは、顔かたちのことではなく、その人の内側に宿る品格、志、清らかさを表す言葉だった。

つまり「美人」とは、本来、見る者の心を正すような存在だったのである。

江戸の美人画は、「時代」を描いていた

ところが江戸時代になると、「美人」は絵の世界で大きく花開く。浮世絵の美人画である。菱川師宣、鈴木春信、喜多川歌麿らによって描かれた女性たちは、遊里や町の暮らしのなかに生きる女たちであった。そこには、着物の柄、髪形、しぐさ、目線、うなじ、指先までが、時代の感覚として描きこまれている。

浮世絵の美人は、ただ美しいだけではない。

江戸という都市が生み出した流行、欲望、あこがれ、そして物語を背負っていた。

美人画とは、女性の肖像であると同時に、時代そのものの肖像だった。

夢二が変えた「美人画」

その系譜を近代において受け継ぎ、新しい姿へと変えたのが竹久夢二である。夢二の女性像には、江戸の美人画に通じる細い線、しなやかな身体、物思うまなざしがある。

しかし夢二は、江戸の余情をそのまま繰り返したのではない。

明治末から大正にかけて流れ込んできた西洋美術、とくにロートレックのポスター表現、ビアズリーの装飾的な線、クリムトやラファエル前派の幻想性、そして都市の広告文化や雑誌文化を吸収した。夢二の美人は、江戸の浮世絵から生まれながら、パリの街角を通り、東京のモダンな空気のなかで新しく息をしたのである。

江戸の美人画を、近代のグラフィックへ

ここに夢二の革新があった。

夢二は、雑誌の挿絵、装幀、絵葉書、ポスター、商品デザインのなかに、美人画を広げていった。つまり夢二は、江戸の美人画を近代のグラフィックへと変換した人だった。

夢二が描いたのは、「心」の美しさ

夢二の女たちは、どこか寂しげで、伏し目がちで、細い肩をしている。
しかしその弱さは、単なる感傷ではない。

新しい時代のなかで、自分の居場所を探している人間の姿でもあった。

夢二の美人は、顔の美しさではなく、時代の不安や希望を抱えた心のかたちだった。

いま、「美人」とは誰のことだろう

 では、いまの時代に「美人」は、何を意味するのだろうか。

外見の美しさは、写真や映像やSNSによって、かつてないほど拡散され、比較され、消費されている。

しかし漢文の「美人」が君子を意味したことを思い出すなら、美とは本来、もっと深いものだったはずである。

江戸の美人画が都市の夢を映し、夢二の美人画が大正の心を映したように、現代の「美人」もまた、時代の価値観を映す鏡である。

「美人」とは、生き方のことである

いま求められる美人とは、整った顔の人ではなく、自分の内側に言葉を持ち、他者へのまなざしを持ち、時代の不安のなかでも自分の輪郭を失わない人ではないか。

美人とは、見られる人ではなく、世界をどう見るかを持っている人である。

夢二の美人画は、その問いを静かに私たちへ投げかけている。

美とは何か。美人とは誰か。その答えは、顔の上ではなく、生き方のなかに描かれている。
 

プロフィール
山口謠司(やまぐち・ようじ)

現在、平成国際大学情報デザイン学部教授。大東文化大学名誉教授。宝塚医療大学観光学部客員教授。中国山東大学客員教授。博士(中国学)。
大東文化大学大学院、フランス国立高等研究院大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員を経て現職。専門は、書誌学、音韻学、文献学。
1989年よりイギリス、ケンブリッジ大学東洋学部を本部に置いて行なった『欧州所在日本古典籍総目録』編纂の調査のために渡英。以後、10年に及んで、スウェーデン、デンマーク、ドイツ、ベルギー、イタリア、フランスの各国図書館に所蔵される日本の古典籍の調査を行なう。
またその間、フランス国立社会科学高等研究院大学院博士課程に在学し、中国唐代漢字音韻の研究を行ない、敦煌出土の文献をパリ国立国会図書館で調査する。
文部科学省科学研究費助成を受け、第一次世界大戦後に行われた昭和天皇(当時は皇太子)によるベルギー王国、ルヴァン大学に寄贈された日本古典籍についての研究なども行なっている。
広い視点から、わかりやすく話をするスタイルで、テレビやラジオの出演も多く、NHK文化センター、朝日カルチャーセンター、中日文化センターなどでも定期的に講演や講座を開いている。
ベストセラー『日本語の奇跡』『ん』『日本語通』(新潮社)、『てんてん』(KADOKAWA)、『日本語にとってカタカナとは何か』(河出書房新社)、『日本語を作った男』(集英社)『光と闇と色のことば辞典』など著書多数。