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イカズチ物語第四十六章

緋華姫が五歳を迎えた春。

二階堂城の桜が満開となり、家臣たちは姫の成長を祝い、盛大な宴を開いていた。

その最中、父・景綱は一振りの小さな木刀を差し出した。

「これは、お前だけの木刀だ。」

家臣たちは驚いた。

「姫君に剣術を?」

しかし景綱は静かに答えた。

「剣とは人を斬るためだけのものではない。守るための力を学ぶものだ。」

幼い緋華は、小さな両手で木刀を受け取ると、深く頭を下げた。

「ありがとうございます、お父上。」

その姿には幼さが残っていたが、どこか凛とした武家の気品が宿っていた。



翌朝。

まだ夜明け前の冷たい空気が流れる道場。

師範・柳生玄十郎は、幼い姫を前に苦笑した。

「姫様、木刀は重うございますぞ。」

しかし緋華は笑わなかった。

黙って木刀を構えた。

「お願いいたします。」

その一礼は、武士そのものであった。

最初の一太刀。

勢い余って転ぶ。

二度目。

また転ぶ。

三度目。

木刀を落とした。

侍女たちは駆け寄ろうとしたが、景綱が手で制した。

「見守れ。」

緋華は涙を浮かべながらも、自分で木刀を拾った。

「もう一度。」

その日だけで百回以上、木刀を振り続けた。

小さな手には豆ができ、血が滲んでいた。

それでも姫は言った。

「あと一回だけ。」

その「あと一回」は、何度も繰り返された。



数か月後。

家臣の子どもたちと竹刀を使った稽古が行われた。

相手は年上の少年ばかり。

体格では敵わない。

最初は何度も負けた。

砂まみれになり、着物も泥だらけ。

少年たちは気まずそうに頭を下げた。

「申し訳ありません、姫様……。」

すると緋華は立ち上がり、笑顔で言った。

「謝らなくていいです。」

「負けたのは私が弱いから。」

「次は勝ちます。」

その言葉に、少年たちは心を打たれた。

身分ではなく、一人の剣士として接してくれる姫。

その日から皆は、本気で稽古をつけるようになった。



八歳の夏。

緋華は初めて城下町へ降りた。

市場では子どもたちが楽しそうに遊び、商人たちが活気ある声を響かせていた。

しかし橋の下で、一人の幼い少女が泣いていた。

履物が壊れ、家へ帰れないという。

緋華は迷わず、自分の新しい草履を脱いだ。

「これを履いてください。」

少女は驚いた。

「でも、お姫様は?」

緋華は裸足で微笑んだ。

「私は歩けます。」

その姿を見ていた町人たちは静かに頭を下げた。

「二階堂家には、本当に良い姫様がお生まれになった。」

その日以来、領民は彼女を親しみを込めてこう呼んだ。

「紅姫(くれないひめ)」

武勇だけではなく、人を思いやる心を持つ姫。

その名は、国中へと少しずつ広がっていった。



その夜、父・景綱は満天の星空を見上げながら娘に語った。

「強さとは、人を倒す力ではない。」

「誰かを守るために立ち上がれる心こそ、本当の強さだ。」

緋華は静かに頷いた。

そして木刀を胸に抱き、夜空へ誓う。

「私は必ず、この国と、人々の笑顔を守ります。」

その幼い誓いは、やがて二階堂家を支える柱となり、多くの人々が「紅姫」の名を語り継ぐ始まりとなった。

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