「モテる・モテない」に振り回されない恋愛観について考えてみた
恋愛の話をしていると、「モテる・モテない」という話題がどうしても出てくる。
恋愛経験が多い方がいい。
モテる男はこうする。
モテない男には共通点がある。
今の令和男子は恋愛に消極的。
令和女子は結婚にコスパを求める。
SNSを見ていると、こうした言葉がたくさん流れてくる。
勿論、恋愛に経験値があること自体は悪いことではないと思う。人と付き合えば、そのぶん相手との距離感や、自分自身のことを学ぶ機会も増える。
ただ、最近になって私は、「モテない」ということの意味を少し違う角度から考えるようになった。
もしかすると、本当に人を拗らせるのは「モテないこと」そのものではなく、モテる・モテないという物差しに振り回され、他人と比較し続けてしまうことなのではないかと思うようになったのだ。
恋愛経験の多さと、人間関係を築く能力は別物
例えば、何人もの異性と付き合った経験がある人が、必ずしも恋愛上手とは限らない。
逆に、恋愛経験が少ない人でも、
相手の話をきちんと聞く
約束を守る
相手の嫌がることをしない
自分の感情を一方的にぶつけない
相手を自分の所有物のように扱わない
意見がぶつかった時に話し合える
相手の気持ちを想像出来る
こうしたことが出来る人は、十分に成熟した恋愛が出来る。
結局、「恋愛経験値」という言葉も、交際人数や性的経験の数だけで測れるものではないのだと思う。
人と親密な関係を築く中で、自分と相手について何を学んだか。
本当の意味での経験値は、そちらなのではないだろうか。
「モテる=人間として価値がある」になってしまう怖さ
「モテる」というのは、本来なら「異性からどれくらい好意を持たれるか」という一つの側面にすぎない。
ところが、いつの間にか、
「モテる=魅力がある」
「モテない=魅力がない」
「恋愛経験が多い=人間として優れている」
というところまで話が広がってしまう。
ここに少し怖さがある。
モテない人が、
「自分はモテない」
↓
「だから自分には価値がない」
と思ってしまうこともある。
一方で、モテる人も、
「以前は異性からたくさん求められた」
↓
「最近モテなくなった」
↓
「自分の価値が落ちた」
となってしまうことがある。
一見正反対に見えても、どちらも「異性から選ばれること」を自分の価値の基準にしてしまっている点では同じなのかもしれない。
「モテる人」と「恋愛が上手い人」は同じではない
ここは意外と重要だと思う。
異性から注目されることと、一人の相手と良い関係を築くことは別の能力だ。
モテる人は、沢山の人から好意を持たれる能力が高いのかもしれない。
でも結婚生活で必要になるのは、
「自分がどれだけモテるか」
ではなく、
「目の前にいる一人の人と、どうやって一緒に生活していくか」
だったりする。
仕事で落ち込むこともある。
機嫌が悪い日もある。
価値観がぶつかることもある。
病気になることもある。
長い結婚生活では、お互いに変化していく。
その時必要なのは、「自分はモテる男だから」「私はいい女だから」という自己イメージではない。
相手の気持ちを理解しようとすること。
話し合うこと。
我慢するところと譲れないところを見極めること。
そして、相手を一人の人間として尊重すること。
長い関係では、そちらの方がずっと重要なのだと思う。
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実るほど頭を垂れる稲穂かな
