「SHOWBYROCK!! ましゅまいれっしゅ!! キセキかもしれないレゾナンス」で整う
先日、サンリオVfesの「SHOWBYROCK!! ましゅまいれっしゅ!! キセキかもしれないレゾナンス(以下、キセレゾ)」を観てきた。
俺の SHOWBYROCK!! に関する知識は DOKONJOFINGER の「移動手段はバイクです」という楽曲のみだったが、それが何百回と聞いているお気に入りの一曲であったため二つ返事で誘いに乗ったのがきっかけだ。
楽しみだ。音楽アプリで聞いているから知っているのは声のみで、キャラの見た目すら知らなかった。曲は好きだが、ヒプマイのような女性向けコンテンツだと思っていたのであまり食指が動かなかったのだ。とはいえこれだけ聞いているとストーリーの予想くらいはしてしまっている。恐らく大筋はこんなところだろう。
主人公であるロックバンド "DOKONJOFINGER" のリーダーは現状に満足していた。少数ではあるがライブに来てくれるファン達、粗削りで難解だが自分たちを表現できた楽曲、自分の無茶にも楽しげに付いてきてくれる気の合うメンバー達。
そんな中、病気がちだった妹の容態が急変した。医者によると非常に珍しい難病であることが判明し、海外で保険対象外の手術をするしかないそうだ。
急に大金が必要になり焦燥するリーダー。どうすればいい、俺にできるのはロックくらいなのに……。いや、そのロックがある。
彼の目つきが変わった。覚悟を決めたのだ。これまでの楽しい趣味のロックを捨て、金のためのロック(商売ロック)を始める覚悟を。
商売ロックのタイトル回収が憎いね。
「移動手段はバイクです」は全くいやらしさがない熱い曲であるから、路線変更でひと悶着あった後に結局自分たちのロックで売れる道を選んだのだろう。どこかで聞いたことがあるようなコテコテの展開だが嫌いじゃない。こういうのでいいんだよ。
こんなことをのんきに考えていたものだから、舞台が始まって数秒でケモ耳のかわいい女たちが主人公ヅラでキラキラしたロックを当然の権利かのように歌い出したのには心底驚かされた。(ちなみに DOKONJOFINGER は最後まで出てこなかった。)
さらに驚いたのはその後である。状況説明のために簡潔にあらすじを書くと、キセレゾは "ましゅまいれっしゅの4人が音楽を諦めた少女を励まし再起させた話" なのだが、驚いたのは励ます際の文句の一つだ。
「音楽を続けるのが、また音楽に裏切られるのが怖い」と蹲る少女に「自分のためなら怖くない!」という旨を言い放つのだ。
この女、凄いことを言う。なんの説明もなく現れた怪物になんの説明もなく極太ビームを撃ったあたりから「この女は凄いぞ」と思っていたが本当に凄い。
真逆だろう。自分のためだから怖いのだ。
プライドは自分にしか乗らないから。自分のためだから傷つくのだ。自分のために努力をして、自分のために犠牲を捧げて、もしそれで結果が出なければこれまでの過程は意味のないものとして否定される。いや、自分が否定してしまう。それがわかっているから怖いのだ。
でも、正解だなぁ。誰に聞いたって向こうが正解だと言うだろう。怖いからなんて言って立ち止まっていても何も始まらないんだから、吹っ切って何かやってる方が良いに決まってる。やらない後悔よりやる後悔だ。実際に少女はうじうじするのをやめて音楽活動を再開し、ライブハウスでましゅまいれっしゅの4人とにこやかにギターを弾くまでになっているので(あれは実際の出来事ではなく少女の心象風景かもしれないが)、あの場面はあの言葉でよかったのだ。もしあそこで「確かに怖いよね……。無理に続けなくてもいいと思う。」なんて言ってたらこの未来はなかった。
俺は、こういった白すぎる綺麗事で圧倒的成功者の立場から殴りつけられるのがある意味で好きだ。こんな正論をぶつけられたらその後に俺がなんて反論しても負け犬の遠吠えであることを客観視して痛感してしまうが、この惨憺たる負けっぷりは一周して自傷的な快感を兼ね揃えているのだ。サウナのような忍耐と解放による悦。サンリオのコンテンツはよくこれを味あわせてくるから良い。
初めてこの感覚を覚えて好きになったのは「ソフィーのアトリエ」というゲームをプレイしてからだ。これは本当に印象深く、何周もプレイした思い出のゲームである。
こちらは主題とは関係ない話なのでさらに簡潔に書くが、主人公のソフィーは明るく親しみやすく、困っている人がいれば自分の身を顧みず助けてしまうタイプだ。世界にとてつもない災害をもたらそうとしているラスボスでさえもただ倒すのではなく誰も傷つかない解決策を探す優しさを持ち、天涯孤独の身でありながらも健気に夢を目指して前を向く。ましゅまいれっしゅの4人と同じく、 “正解” ど真ん中のキャラクターだ。
プレイする度に打ちのめされた。彼女のまっすぐな姿勢に元気づけられるとか、正論ばっかりでウザいとかではない。そういったプラスやマイナスの次元ではなく、圧倒的な正しさの質量の前にはただただ打ちのめされる。
それに比べて己の情けなさたるや。自覚の後は決まってうじうじしてしまう。「そりゃその方が正しいけどね? 俺にはそんなことは中々できないな。そこまで白々しい正論を話すのはむしろ相手を攻撃してるみたいで後ろめたさすら感じるよ。君たちにはわからないだろうけど……。」といった調子だ。これを長く続ければ続けるほどみじめになるのはわかっているのだが、じくじくと気持ちがいい……。
ここまで書いて、この感覚は宇宙規模の話を聞いた時のものと似ていることに気づいた。銀河系が生まれてから死ぬまでの時間だとか、この宇宙は想像もできない速度で広がって縮まっていくのだとか、人間ひとりなんて比べ物にならない規模感の話だ。つまり俺は、そういう時に自分をちっぽけな存在だと感じているのかもしれないな。
別に自分に自信が無い訳ではない。俺は大抵の状況で自分が正しいと信じて行動しているし、己で積み上げたものに誇りを持っていると言い切れる。
だが、それでもと言うか、それだからと言うか、自分の正しさからズレた正しさを心から正しいと認めてしまうとこうなるようだ。実際は俺が正しくないことに気づいているのだろう。
キセレゾはYouTubeに全編公開されているから、これを書きながら裏で流していたら泣けてきた。ここまで沈んでいても勝手に救い上げられた気分にさせてくる。なんて眩しいんだ。嫌だなぁ……。
嫌になるくらい、良い作品だった。
