高校水泳部以来の親友である象🐘とお別れ😭
親友が急逝した。彼とは高校水泳部で一緒だった。水泳部の同期は異常なくらいに仲が良かった。毎年2〜3回は集まって宴会していた(崎陽軒本店が多い)。キャプテンの丸チンが、チームメイトに渾名をつけるのが得意だった。亡くなった友人は腕を振り回して泳ぐのが、象🦣が鼻を振り回しているのに似ていて「ぞうひと」と呼ばれていた(以下、象🦣)。ちなみに自分は泥鰌みたいに黒く焼けていることで「どじょうひと」と呼ばれていた。若くして亡くなった同輩は、狸になぞらえて「たぬひと」。痩せていたチームメイトは、ピノキオみたいで「ピノ人」、背泳のターンの姿を見て「(ガッ)チャマン」、他にも佇まいから「和尚」なんてネーミングもいた。象も丸チンも私もフリー(クロール)だったので、横浜市民大会の8継(800mリレー)で3位🥉に入って賞状を貰えた時は、メンバーで抱き合って喜んだ記憶が鮮烈に残っている。卒業後、象は東工大に、私は東京都立大に進んだが、お互いに水球をやっていたので、試合で対戦することもあった。





象は大学卒業後に、東レに勤めて執行役員まで務めた。その代償として海外勤務が多かった(インドネシア🇮🇩、中国🇨🇳など)。ずっと単身赴任だった。象の奥さまは、象が学生時代に家庭教師をしていた方だった。奥さまは漫画好きだったので、私は復刊漫画やノベルティを贈って励ましていた。しかしその奥さまも数年前に先に亡くなってしまっていた。象🐘は子供もいなかったので、寂しかったのだろう。最近でも崎陽軒本店で、先輩も後輩も参加して水泳部同期会をやったばかりだった。もちろん象も参加していた。それどころか、その前後に2回も拙宅に来てくれた。7月下旬に、象🐘が買ってきてくれた今半の高級牛肉🥩で作ったすき焼きを、みんなで囲んで食べたのが、最後に会う機会になった。ぶっきらぼうに見えて、とってもシャイで、寂しがり屋の奴だった。亡くなる前には、やたらとよく喋っていて『これが象🐘⁉️』とビックリしたものだった🫢。
①象🦣とすき焼きレポート↓
②象🐘とフルーツデザート記↓
元気で活発だっただけに、逝去と葬儀の報は信じられなかった。あまりの衝撃に、思わず本人のスマホに電話した。電話口で、ご家族から5日前に亡くなったことを聞いた。舌下癌だったが、一週間前から急に容態が悪化したそうだ。たしかに頬が腫れて膨れたりしていた。それでも本人は次週のインドネシア🇮🇩出張にも行くつもりだったそうだ。8/24(月)に癌検診へご家族と行く約束で、本人が現れなかったので、自宅に行くと亡くなっていたそうだ。
葬儀には水泳部から8人が参加。祭壇には「横浜翠嵐高校水泳部一同」で生花を出した。弔電では水泳部女子部員たちからのメッセージが、真っ先に読み上げられた。会場には生前の象夫妻🐘🦣の写真が飾られていた。象🦣のお姉様とも、ずいぶんと懇意に話せた。出棺のお別れに際して、象🦣の絵が描かれたタオルを棺の中に入れさせてもらった。お姉様が「象🦣って言われていたのよね」と涙ぐまれていた。このところずいぶんとあっち側に行った人が増えてきた。もうわれわれの歳だと、会える時に会っておく必要があると実感した次第。そんなに遠くない将来に、彼岸で再会できるだろうけれど。












