見出し画像

池袋ラブホ時空診療所1

あらすじ

池袋北口のラブホテル「ラビットホテル」にできた時空の裂け目。
無認可診療所の看護師・佐伯は、医師の井上と歴史オタクの丸山に振り回されながら、MRIとCTを使って過去へ飛ぶ。
沖田総司、狩野永徳、藤原道長。
歴史上の人物たちの最期に立ち会い、ほんの少しだけその命に触れていく。
しかしある時を境に、池袋は色も熱も失った世界へ変わっていた。
静かに終わりへ向かう街。
失われたものは何だったのか。ラビットホテルとは何なのか。物語の行き着く先とは。
佐伯は再び裂け目を探しながら、「人が生きた証」とは何かを問い始める。
歴史、文学、医療、そして池袋の猥雑な熱気が交差する、ハードボイルド・ジェットコースタージャンクション!

1:ラビットホテル
  看護師を懲戒解雇されて半年。SNSのリール動画を見続けている。
 一日見続けても何か影響があるわけではない。それが悪いことだとも時間を無駄にしているとも思わない。スワイプする指先だけが動いている。
 小学生の頃は本のページだった。学校の図書室にこもり、窓の外が暗くなるまで「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」や「大どろぼうホッツェンプロッツ」、そして「銀河鉄道の夜」を貪るように読んでいた。中学に入りそれが紙から液晶の画面へと変わった。特に意味はない。それだけのこと。
 解雇されて半年。クビになるということは「あなたは私たちの組織に必要ありません」という宣告だ。それを喰らうと大抵の人は怒り、落ち込むらしい。でも俺はそんな事を特には感じていない。結局リール動画を見ている。

 同じく病院をクビになった医師の井上から連絡があった。メッセは実に簡単なものだった。

・池袋北口 ラビットホテル 6/25 19:00 

 場所は池袋ラブホテル街のど真ん中。そんなところに呼び出すのは普通じゃない。何かしら性的な意味を持つかもしれないと少し考えたが、先生の指示だと行きたい気持ちが上回った。俺にとって井上先生だけは例外だった。

 井上先生は三十三歳の外科医師。無駄な肉が削ぎ落されたシャープな体型だ。クロスカントリースキーと射撃を組み合わせたバイアスロン。心拍数が最大に達する激しい滑走と、冷静で正確な射撃のバランス。その両方が似合う。
 彼は周りから一目置かれる凄腕だった。若いので医局長や他のベテランの手前大っぴらに賞賛はされなかったが、高度医療を提供する巨大病院では随一だった。
 俺はオペ室に勤務する手術看護師だったからそれがよくわかる。彼が持つメスや鉗子は身体の一部になっていた。動きに一切の躊躇がない。指示はぶれない。スタッフへの指示の「間」は絶妙だ。そして検査ではわからなかった患部を見つけ出し、あらかた処置してしまう。
 評判を聞き、他院の先生が見学に来る。しかし皆首を傾げ、横に振る。
「何でああなるのか、わからない」
「手順から脇道にそれる。でも上手くいく」
「別の眼があるみたいだ」
 彼らはいつもこう言って終わる。
「カンでやっているのか?」
 俺は井上先生から気に入られていた。彼のオペには必ず呼ばれるようになった。二十八歳、オペ看護師としては新人だ。でも井上先生は他のベテランを差し置いて俺を重宝した。
 なぜ新人同然の俺を呼ぶのか聞いてみた。先生は珍しく少し間を置いて言った。
「お前は余計なことを考えてない。俺のやることだけを考え、俺の指示通りになめらかに動く。あの場を仕切る人間が俺だということを理解し、余計なことをしない。それを見抜くカンみたいなものがよく働く」
 共通点もあった。俺たちはコーラが無くては生きていけない。オペが終わった後のレストルームでは俺たちの周りに何本かの赤いラベルのペットボトルが転がっていた。
 終わりは唐突だった。井上先生は業者との癒着と収賄を理由に懲戒解雇された。手術室に新しいMRIを設置する大掛かりな改修の際、出入りの業者に便宜を図ったと。MRIの選定はどう考えても先生の力が及ぶ範囲ではなく、病院側の何らかの意図があったとしか思えなかった。しかし井上先生はそれに対し特に異議申し立てもせず、病院を去った。
 何故か俺まで解雇された。井上先生の近くにいたから収賄に関わったはずだと。とんでもない話だが、懲戒解雇なのに退職金は全額支給された。上乗せまでされていた。口止め料だったのだろう。俺は井上先生の気配を感じる事に充実感を感じていたので先生がいない病院に未練はなかった。
 先生にはlineのidを渡していたのでそのうち連絡をくれるかと思っていたが、半年経っても何の連絡もなかった。
 だから先生から連絡があった時、俺が犬なら涎をたらして尻尾を振っていたはずだ。

 指定された「ラビットホテル」の入り口に先生がいた。ラビットホテルは赤と金と紫というありえない配色をしているが、周りに埋もれている。個性的にしようとすればするほど無個性になってしまったようだ。入り口に佇む先生は以前より相当痩せていた。肌もかさついている。トレーニングで締まった身体ではない。何かの疾患だろう。嫌な予感がする。
 先生は俺と目を合わせるとそのまま中に入って行った。相手が男だろうが女であろうがこの状況は周りの目が気になるが、先生の姿が見えなくなってしまうので慌てて追いかけた。
 中は長いこと換気をしていないかび臭い匂いがする。南国を模した安っぽい飾りつけ。たぶんバリのイメージだと思うが、失敗に終わっている。廊下は毛足の長いカーペットだったはずだが、真ん中は擦り切れ、下地が見えている。照明は点いている方が少ない。色鮮やかな観葉植物があったが当然造花だった。フロントには誰もいなかった。
 先生は振り返りもせず建物の奥に進む。他の客が見当たらないと思ったが、ラブホテルだから当たり前だ。井上先生は一階の奥の部屋の扉を開けた。
 部屋に足を踏み入れた俺は呆然と立ち尽くした。
 天井の照明からは青みがかった白い光に満たされている。大きめのモニターやデスクトップPCが乗るデスク、医師が座るOAチェアと診断が出来る簡易的なベッド。少しくたびれてはいるがエコーやネブライザーまである。かび臭いラブホテルに突然現れた診察室。
 壁に「池袋北口診療所」とぺらぺらの立て看板が立てかけてある。
「悪くないだろ」と井上先生が言った。
 立ち尽くす俺に誰かが声をかけた。
「お久しぶりです。僕が揃えたんですよ、佐伯さん」
 見ると色白の小柄で小太りの男が特大の袋を抱えてたまごボーロをつまんでいる。丸山だった。彼が収賄の首謀者と言われていた。
 丸山は医療機器や消耗品を扱う医療商社の営業だった。それもとびきり優秀。俺が欲しいとつぶやいた高額な機器をいつの間にか病院上層部に手を廻し、稟議まで通過させ納入した。備品などは恐ろしい速さで納品する。十時に依頼すると昼前に届く。扱う商材も幅広い。医療機器以外に事務機器、it機器まで素早く安価に調達した。おまけにサーバーのセッティングまでこなす。病院の誰もが頼りにしていた。
 彼の肌は白い陶器のように滑らかだ。化粧水、美容液、乳液そして日焼け止め。シートマスクも使っているはずだ。育ちが良いのかもしれない。俺は調達能力について聞いてみた。
「もしかしたらクマとかも扱える?」
 丸山はもちもちとした唇をほころばせて嬉しそうに言った。
「もちろんです。意外と簡単です。ツキノワグマなら秋田あたりから簡単に持って来れます。生きたままですよ。駆除されたけど自治体に報告されていない個体はたくさんあります。何なりとお申し付けください。あ、そうそう、佐伯さん車いりません?人気の一年待ちのミニバン、二週間で納品しますよ。色とグレードは選び放題」
 一つ難点があった。日本史の話になると止まらない。恐ろしいほどの博識だ。なので俺たちは注意深くその手の話を避けていた。しかし近所に「黒船」という焼肉屋と「坂本」というラーメン屋、そして「池田屋」という居酒屋があるおかげで病院スタッフは幕末の歴史に詳しくなった。
 丸山はたまごボーロを俺に勧めた。俺は袋に手を突っ込みながらも、この古いラブホの診療所に頭が追いついていなかった。
 井上先生が診察室を指さして「全部中古だけどな」と言った。
「先生、中古集めるのも大変だったんですよ」と丸山が言う。
 丸山は井上先生の懲戒に関わったとされていたが、細かいところは知らない。彼の事だからうまく立ち回ったのだろう。
「ここで何やってるんですか」
 俺はようやく口を開いた。
「診察だよ。当たり前だろ」と井上先生が言う。
「先生ほどの人が診察だけで終わると思います?」と丸山が目線を奥のドアに向けて言った。
 井上先生は俺を手招きしてその部屋に入った。無機質なステンレスの什器、頭上の巨大な無影灯。壁にはいくつかのモニターが並んでいる。簡単な手術ができる。馴染のある光景だ。
 そして目の前には久々に味わう現実があった。
 手術台に茶色の浴衣を着た老人が横たわっている。頭を丸め、額や目尻、口元に深く刻まれたシワ。鼻筋は通り、その風貌からは知性のようなものも感じる。八十歳ぐらいだろうか。でも、もう長くはないだろう。皮下脂肪や筋肉が減少し、皮膚の水分が失われている。鼻呼吸が出来ないため呼吸が浅く、口が少し開いている。
「誰ですか、これ」
 井上先生は言った。
「杉田玄白先生」

 確かにここ最近、先生には色々あった。でも目の前の老人を玄白先生とか言うほどおかしくなるとは思えない。そもそも井上先生のメンタルは昔から安定している。
「で、誰なんですか」
「だから、杉田玄白。杉田玄白先生だ」
 久しぶりに井上先生に会った嬉しさがあったが、少ししぼんだ。
「で、どうするんですか」
「二日間ほどこちらで経鼻栄養をさせて頂いた。もうお帰りになるが、あと一回ぐらい短時間でもやっておきたい」
「ご家族は?」
「江戸時代だから、そこに帰す」
 先生の顔はマジだ。
「全然意味がわからないんですけど」
「杉田玄白先生はどんなお方かわかるだろ」
「解体新書」
 後ろで丸山が「うふふ」と笑っている。
「杉田先生は日本の近代医学の礎を築いたお方だ。俺たちが全力を尽くすのは当然だ」
 井上先生の顔はマジだ。余計たちが悪い。
「俺、処置終わったら帰っていいですか?」
「なんだよ、おもしろいの見れるのに」と先生が言う。丸山が俺を覗きこんで言った。
「これはマジですよ。佐伯さん、解体新書とか蘭学事始、当時のもの見たくないですか? もしかしたら東海道中膝栗毛とかあるかもしれませんよ。同じ時代です」
 丸山は続けた。
「杉田玄白先生のお友達だった平賀源内の根無草もあります。エレキテルは無いと思いますが」
 丸山の姿は小四男子が好きなものについて喋るのと変わらない。
「他にもですね、杉田玄白先生と怪談の上田秋成先生はほぼ同時代ですよ。上田先生の雨月物語、枕元にあるかもしれません」
 頭が痛くなった。


いいなと思ったら応援しよう!