勝手な決めつけを捨ててみる話
「想像力ってほんま大事やんな」って、つくづく思う日があるねん。
世間ではよく「どこからが料理なん?」って
いう、果てしない物議があるやんか。
で、その議論で必ずと言ってええほど引き合いに出されるのが「卵かけご飯(TKG)」なわけよ。
まあ普通に考えたらさ、「熱々のご飯に生卵ぽん
と落として醤油垂らしただけやん!そんなん料理ちゃうわ、ただの素材の組み立てや!」って言いたくなる気持ちも分からんでもない。
料理番組で「本日のレシピ:卵かけご飯」なんてやられたら、思わずテレビにツッコミ入れるやん?
でもな、ちょっと待ってや。それってほんまに「ただの卵かけご飯」なんかな?
自分が目の前で見てへん背景に、どんだけの
ストーリーが隠れてるか分からんやん。もしかしたらそのご飯、朝からちゃんと昆布で出汁引いて、こだわり抜いた土鍋で火加減調整しながら炊き上げた一品かもしれんやんね。
卵かって、養鶏場まで足を運んで「この鶏が産んだ卵じゃなきゃアカンねん!」って仕入れてきた凄いやつかもしれん。醤油だって、何年も寝かせた木桶仕込みの特製醤油を何滴か垂らしてる可能性だってあるわけよ。
……まあ、逆にドラッグストアで3個パックいくらで買ったレトルトご飯をレンジでチンして、
スーパーの生卵かけただけかもしれんけどな。
でもさ、ここが一番言いたいとこねんけど、自分の目で直接見てへん裏側の部分を、勝手な思い込みや想像だけで「そんなん手抜きや」「料理ちゃうやん」って否定してしまうのって、めっちゃもったいないし、なんかちゃうと思うねんな。
目に見えてる現象なんて、世の中のほんの数%なわけやん?料理に限った話じゃなくて、誰かが
つくった仕事とか、ふと見かけた人の行動も全部そう。
目に見える結果の向こう側には、見えへん苦労とか、こだわりとか、あるいは「今日めちゃくちゃ疲れててこれが限界やってん!」っていう切実な背景が隠れてるかもしれない。
「見えてない部分をどう想像してあげるか」って
いう優しさみたいなもんが、想像力の本質ちゃうかなって思うねん。
「たかが卵かけご飯」って切り捨てるのは簡単やけど、「もしかしたら土鍋で炊いてるんちゃう?」って想像してワクワクしてみたり、「パックご飯かもしれんけど、今日一日頑張った自分への最高の
ご褒美なんやろな」って思いを馳せてみたりする方が、なんか人生豊かやん?
目に見える部分だけで決めつけんと、見えへん
背景にちょっとだけ愛ある想像力を働かせる。
これだけで、他人のことも自分のことも、もう
ちょっと優しく許せるようになる気がするねんな。
まあ何はともあれ、土鍋で炊いたご飯でもパックご飯でも、お腹空いてる時に食べる卵かけご飯は文句なしに最高に美味しい!それだけは絶対に間違いない真実やけどね!
🌟今日のラッキーアイテム🌟
味の素(うま味調味料)
ひと手間加えるだけで、いつものTKGにグッと奥行きと旨味が広がる魔法の一瓶やで!
いいなと思ったら応援しよう!
頂いたチップはクリエイター活動費に使わせていただきます🙇♀️ もしよろしければ応援して頂けたら嬉しいです♡