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録画を発掘したら、「精神=場」の仮足場が一撃で壊れた🤣――精神は「力」、意識は「流れ」。そして人間は元止揚空間から飛び出していた


前回の記事では、

K:宇宙とは意識なのですか
O:そうかもしれません

という、オコツトさんの妙に曖昧な返答から始まって、

* 外在宇宙と内在宇宙
* 物質的宇宙と精神的宇宙
* 「宇宙=意識」と一枚看板にしていいのか
* そもそも精神と意識は同じなのか

というところまで掘っていった。

そして途中で、おいらが思い出した。

「そういえば昔、半田さんに

『精神と意識の違いって何ですか?』って聞いたことある🤣」

しかも、

サロンの録画に残っている。

ただし、

どこにあるか分からない🤣🤣🤣

というところで終わった。

ところが。

あった🤣🤣🤣🤣

2025年2月22日。

「スピナーズのための大質問大会」。

ちゃんと質問してた。

しかも回答スライドまで残ってた。

そして、その一文を見た瞬間、

ここまで積み上げた仮足場の一部が、

一撃で崩れた🤣



■ 半田さんの回答

スライドには、こう書かれていた。

精神は等化する力。意識は力の「流れ」です。

さらに、

意識には、等化する力の流れと等化された力(中和の力)の二つがあります。
等化する力の流れがヌースで、中和の力の流れがノスです。

これ、

めちゃくちゃ明確だった🤣

前回、おいらたちは仮に、

精神=場や構造
意識=そこに生じる現れ

みたいに考えていた。

でも半田さんの説明は違った。

もっと動いている。

精神=力

意識=その力の流れ

だった。



■ 「精神」と「意識」は同じではなかった

整理すると、

精神
= 等化する力
       ↓
意識
= その力の流れ

つまり、

「精神」と「意識」は、

同じものを別の言葉で言っているわけではない。

精神は、

力そのもの。

意識は、

その力がどう流れているか。

この差異だった。

しかもその流れには、

二つの方向がある。

意識
├─ 等化する力の流れ
│      → ヌース
│      → 能動的意識

└─ 等化された力
      =中和の力の流れ
      → ノス
      → 受動的意識

ここで一気に、

「意識」という言葉の景色が変わった。



■ 意識は「持っているもの」じゃなくて「流れているもの」

普通は、

「私は意識を持っています」

と言う。

すると、

意識というものが、

自分の中に、

ぽん。

と入っているように聞こえる。

でも半田さんの説明では、

そうじゃない。

文字起こしの中でも、

意識について、

「デーンとあるものじゃなくて、流れ」

という趣旨で話している。

つまり、


└─ 意識を所有している

ではなく、

むしろ、

~~~~~~~~~~~~
     意識の流れ
~~~~~~~~~~~~
         ↑
      その中に私

くらいの方が近い。

これ、

かなり大きな違いだと思う。



■ しかも、その流れは一本道じゃない

半田さんは、

テープレコーダーみたいなイメージではない、

という説明もしていた。

テープなら、

A → B → C → D → E

と順番にしか進めない。

でも意識は、

もっと自由度がある。

流れの先端へ行くこともできる。

大元に戻ることもできる。

途中へ飛ぶこともできる。

イメージとしては、

CDのトラックを飛ぶような感じ。

A → D → B → E → C

みたいに移動できる。

つまり、

流れだけど、単なる時間列ではない。

これ、かなり面白い。



■ 日常でも確かにそうだ🤣

例えば今、

一生懸命ヌーソロジーのことを考えている。

完全に、

🌀ヌースモード。

ところが、

「ピンポーン」

と鳴る。

宅配便が来た。

すると、

一瞬で別の意識モードへ飛ぶ🤣

さっきまで、

「Ψ5とΨ6が……」

とか言っていたのに、

「はーい!」

になる🤣

意識は、

一本の線をずっと走っているわけではない。

いろんな流れを行き来している。

この説明、

自分の日常を思い返すとかなり分かりやすい。



■ じゃあ「自我」は何なのか?

ここで半田さんは、

人間の場合、

もっとも強力なセンターになっているのが、

自我という統合する位置

という趣旨の説明をしている。

これも面白かった。

つまり、

自我=意識そのもの

ではない。

自我は、

意識の流れの中にできた、

比較的安定した中心位置

のようなもの。

イメージすると、

~~~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~~~
         ●
        自我
~~~~~~~~~~~~

川の真ん中に、

少し重い石を置いている感じ。

流れはずっとある。

でも、

そこに錨を下ろしているから、

比較的、

「ここが私」

という位置が安定する。

ただし、

その自我も固定物ではない。

常に流れにさらされている。

ここ重要。



■ 「自我」という物体があるわけではない

最近のおいらたちは、

自己と自我についても、

「最初から二つの物体がある」

みたいに考えない方がいいんじゃないか、

と話していた。

今回の話は、

そこにもかなり重なる。

自我は、

固い玉ではない。

固定した司令塔でもない。

むしろ、

流れの中で比較的安定している統合位置。

これなら、

なぜ自我が揺れるのかも、

なぜ状態によって「自分らしさ」が変わるのかも、

少し違って見えてくる。



■ ここで「宇宙とは意識なのですか?」へ戻る

今日のオコツトさん。

K:宇宙とは意識なのですか
O:そうかもしれません

前回までは、

「宇宙」という言葉が、

外在宇宙と内在宇宙にまだ分かれていなかったから、

曖昧な返答だったのでは?

と考えた。

この仮説はまだ残る。

でも今回、

意識=力の流れ

という半田さんの説明が加わった。

すると、

「宇宙=意識」

という言葉が、

また違って見えてきた。



■ 「宇宙が意識を持っている」ではない

普通、

「宇宙は意識です」

と聞くと、

宇宙全体が、

巨大な人格みたいなものを持っていて、

何か考えている、

みたいなイメージになる。

でも今回のヌース的な説明だと、

そうではない。

意識が、

力の流れ

なのだとしたら、

「宇宙=意識」は、

宇宙そのものが、

力の流れとして成立している

という意味でも読める。

すると、

「そうかもしれません」

という返事も、

かなり別の味になる。



■ TAの「宇宙」の仮足場もアップデートできそう

TAではこれまで、

宇宙=意識をもったエネルギー空間

と仮足場してきた。

お空の宇宙とは違う。

物質的宇宙と精神的宇宙を分けるために、

外在宇宙/内在宇宙という言葉も使ってきた。

これは今でも便利。

ただ今回の半田さんの説明を入れると、

少し言い換えたくなる。

「意識を持った」

という言い方だと、

空間という箱の中に、

意識という何かが入っているようにも聞こえる。

でも、

意識=流れ

なら、

例えば、

宇宙=力の流れが生じているエネルギー空間

とか、

宇宙=精神という力と、その流れとしての意識が運動する空間

くらいの方が、

今の仮足場としては動的に見える。

もちろん、

これもTAでの説明用。

まだ表札にはしない🤣



■ 「内在宇宙=意識?」も一回外した方がよさそう

これも前回出てきた問い。

内在宇宙とは意識なのですか?

一見、

「はい」

と答えたくなる。

でも今回の説明を入れると、

少し違う。

もし、

精神=力
意識=力の流れ

なら、

内在宇宙=意識

とすると、

場と流れを同じにしてしまう。

なので今は、

内在宇宙
= 精神的な空間・構造
精神
= その空間に関わる力
意識
= その力の流れ

くらいに分けて眺める方が、

面白そう。

ただしこれは、

半田さんがこの三層をそのまま定義したわけではない。

あくまで、

今回の回答をTA側へ持ち込んだ仮足場。

ここは大事。



■ そして第二問がさらにヤバかった🤣

おいらは同じ質問の中で、

もう一つ聞いていた。

人間以外も生き物は元止揚空間で生きているのでしょうか?

そして半田さんの回答。

スライドには、

人間は元止揚空間を母体にして、そこから出て生きています。
動植物は元止揚空間そのものですが、人間が新しい精神進化の方向をもつことによって、形が崩されています。

とある。

これ、

今日の重力編まで含めて考えると、

かなり大きい。



■ 人間は「元止揚空間そのもの」ではない

ここ、

おいらにはかなり刺さった。

人間は、

元止揚空間を母体にしている。

でも、

そこから出て生きている。

一方、

動植物は、

元止揚空間の秩序の中に、

もっと直接的に生きている。

つまり、

元止揚空間
  ↓
動植物
= その秩序と一体
人間
  ↓
そこから飛び出す

という構図。



■ その「飛び出し」に言語が関わる

半田さんは、

人間がそこから飛び出したことについて、

言語

の話をしていた。

言語を使うことによって、

人間は、

動物的な世界と少し違う場所へ出た。

それを、

キリスト教の、

楽園からの追放

とも重ねて説明している。

つまり、

言語、

自我、

対象認識、

物質認識。

こういうものが、

全部、

「元止揚空間から出た意識」

と関係してくる。



■ そして、人間だけが「物質」を見る

ここ、

かなり強烈だった。

半田さんは、

飛び出した人間の意識にとって、

元止揚空間の側が「物質」に見える

という趣旨で話している。

さらに、

物質認識を持っているのは人間だけ

とも説明している。

動物や植物は、

物質世界を、

人間のような「対象」として見ていない。

そこに、

一体として生きている。

これ、

今までの

「物質=精神の死骸」

「出がらしのお茶」

という比喩とも、

妙に重なって見える。



■ 人間は“完成品”を見る

ここで、

この前のおいらたちの現場コントを思い出す🤣

人間型ゲシュタルトは、

生成過程を知らない。

工事が終わってから現場に来る。

はい世界あります
はい物質あります
はい重力あります
はいあなたはここにいます

から始まる🤣

でももし人間が、

元止揚空間から飛び出した意識なのだとしたら、

まさに、

生成している側から離れて、

結果側を見る位置

に立った、

とも考えられる。



■ だから「元止揚にダイブする」?

ここでまた、

半田さんが以前言っていた、

「元止揚にダイブする」

という言葉が戻ってくる。

以前は、

高次元へ行く、

深い意識へ潜る、

みたいに聞こえていた。

でも今は、

かなり具体的。

元止揚空間から飛び出して、

結果だけを見るようになった人間が、

もう一度その生成側へ潜り直す。

これなら、

「ダイブ」

という言葉が、

かなりしっくりくる。



■ しかも動植物まで影響を受けている

さらに半田さんは、

人間が元止揚空間から出たことで、

動植物の側にも、

ある種の崩れが起きている、

という趣旨を話している。

ここはかなり大きな話なので、

簡単に断定はしない。

ただ、

「人間だけが勝手に外へ出ました」

ではなく、

人間の意識の変化が、

周囲の自然のあり方にも影響する

という構図を持っている。

そして、

人間が再び元止揚空間と一体化していくことと、

動植物が本来的なあり方へ戻っていくことを、

覚醒期の話とつなげている。

ここ、

今後かなり掘れそう。



■ なお、観察子の細かい対応はいったん保留🤣

録画ではこの後、

Ψ13〜14、

Ω、

φ、

7〜8、

凝縮化、

など、

かなり具体的な観察子の対応も説明されている。

ただ、

今回の文字起こしは音声認識の誤変換がかなり多い。

なので、

ここを今、

「Ψ13〜14は絶対こう!」

とまとめるのは危険。

この部分は、

図と録画をちゃんと見ながら、

また別現場でやる🤣

表札禁止。



■ 今日、一番大きく変わった仮足場

今回の録画発掘で、

おいらの中ではここが大きく変わった。

以前。

精神
= 場・構造
意識
= そこに生じる現れ

今日。

精神
= 等化する力
意識
= その力の流れ

これだけでも、

世界観がかなり違う。

「精神世界」という言葉も、

静かな透明空間じゃなくなる。

力があり、

その力が流れ、

その流れが意識になる。

めちゃくちゃ動的。



■ そして全部が「流れ」の話になってきた

最近ずっと出ている。

方向。

交差。

等化。

中和。

渦。

中心。

軸。

意識。

元止揚。

全部、

固定物として見るより、

運動

として見るとつながってくる。

だから、

宇宙も、

精神も、

意識も、

「何ですか?」

と名詞で聞くと、

急に分かりにくくなるのかもしれない。

むしろ、

何が、どう動いているのか?

と聞いた方がいい。



■ 今日の現場コント

👷‍♂️イデア
「監督!精神とは、意識が生まれる場だと思います!」

😊おいら
「昔、半田さんに聞いたぞ。」

👷‍♂️
「録画あります?」

😊
「ある。」

👷‍♂️
「どこです?」

😊
「知らん🤣」

――発掘作業――

😊
「あった。」

半田さん

「精神は等化する力。意識は力の流れです。」

👷‍♂️イデア
「……。」

😊
「どうした?」

👷‍♂️

「場じゃなかったーーーー🤣🤣🤣🤣」

さらに半田さん。

「人間は元止揚空間を母体にして、そこから出て生きています。」

👷‍♂️
「……。」

😊
「どうした?」

👷‍♂️

「工事現場から本当に出てたーーーー🤣🤣🤣」



今回、

一番面白かったのは、

答えが見つかったこと以上に、

仮足場がちゃんと壊れたこと

だった。

仮説を置く。

考える。

つながる。

嬉しくなる。

そこへ一次資料が出てくる。

そして、

壊れる🤣

でも、

壊れた後の方が、

前より解像度が上がる。

精神は、

「場」ではなく、

力。

意識は、

「何か」ではなく、

流れ。

人間は、

元止揚空間の中にそのままいるのではなく、

そこを母体にしながら、そこから出て生きている。

そして、

その外へ出た意識だからこそ、

世界を物質として見る。

だとしたら、

「元止揚にダイブする」とは、

遠い宇宙へ行くことではない。

自分が飛び出してしまった、

世界の生成側へもう一度潜ること。

……なのかもしれない。

今はねぇーーーーー😊

録画一本で床が三枚抜けました🤣🌀💕

知らんけど🤣

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