即身仏について⑦
【即身仏の入定】
即身仏の多くは湯殿山系の行者で、最後は土中入定と語られるが、実のところ、淳海上人(焼失)・全海上人・鉄門海上人は地上入定だったらしい。土中入定の確実な例としては、発掘調査が行われた光明海(※上人号を持たない)・観海上人がある。ただし、現代に入ってからの発掘調査だったため、後者は白骨化しており、前者も写真を見る限り白骨化が著しい。ただ、仏海上人が土中入定するつもりで生前に用意していた入定墓があり(入滅後、そこへ納められた)、土中入定の作法が湯殿山系行者の間で伝承されていたのは間違いなさそうである。
湯殿山系行者以外では、宥貞法印(弘智法印宥貞)が石棺(石仏の台座を刳り抜いたもの)、秀快上人が石室内で入定しているが、どちらも即身仏として祀られる意図はなかったようである。舜義上人も同様で、入滅後に石仏の胎内に納められた(没後80年近く経って、夢告で取り出され祀られたという)。
ちなみに現存最古の即身仏である弘智法印は地上入定だったらしい。彼の場合は弥勒下生信仰に基づき、弥勒下生まで肉体をこの世に留めておくことを企図したという。
土中入定の説話は東日本に多く、実際に入定墓の調査も行われているが、全てが即身仏を志したわけでもなく、即身仏との関連は不明な点が多いように思われる。
【即身仏と土中入定の関係】
とあるホームページの連載記事で読んだもので、文献による裏付けが取れていないのだが、即身仏と土中入定の関係について、信濃国の影響を考える説があるらしい。
即身仏の大元には弘法大師空海の入定伝承があるが、それが出羽に伝播するには信濃国を経由した可能性が高いという。信濃国には土中入定の伝説が多く、実際に発掘調査で明らかになった事例もあったと記憶している。長野県阿南町には「新野の行者」または「阿南の行者」と呼ばれる即身仏があり、示唆的だが、この即身仏自体は湯殿山系即身仏の登場よりやや後になるらしい。
即身仏と土中入定の関係は微妙なところがあり、同じ湯殿山系即身仏でも新潟県にある全海上人は地上入定で、彼の先輩にあたる淳海上人(焼失)も土中入定はしていないらしい。一方で、最後の即身仏である仏海上人は土中入定を志していたことがわかっているが、湯殿山系ではないものの、新潟県には現存最古の即身仏である弘智法印が祀られていて、彼は地上入定しているため、こちらの影響が強いとも考えられる。
土中入定伝承は必ずしも即身仏と結びついてはおらず、即身仏として祀られるのを企図したらしい事例は、西春法師など少数である。
このあたりもいろいろ気になるのだが、研究にまで持ち込む力が今は無い。それに本分は考古学だしな⋯⋯。
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