古写真は、立ち位置を見れば語り出す
古写真を集め始めた理由は、
先祖を調べようと思ったからではなかった。
祖父母が亡くなり、
長く空き家になっていた家が取り壊されると聞いた。
そのとき、家の中に残っていた写真を、まとめて持ち帰った。
ただ、顔が見たかっただけだ。
誰に似ているのか。
どんな表情をしていたのか。
それ以上のことは、特に考えていなかった。
しばらくして、
SNSで古写真を着色する人がいることを知った。
デジミ【D.M.C】official @DigitalMixComp
という、「野良のデジタルカラリスト」を名乗る方だった。
想像色で古写真を塗る。
史実を断定するためではなく、
古写真を人の営みとして立ち上げることを目的とした表現。
そのスタンスに、少し気が楽になったのを覚えている。
手元にあった写真を、何枚か預けた。
そのとき、
こちらが求められた情報は意外なものだった。
この写真は、いつ撮られたものか。
どこで撮られたのか。
写っているのは誰で、何歳くらいか。
どういう理由で撮影されたのか。
顔の話ではなかった。
写真そのものについて、
状況を説明することを求められた。
「はっ」とした。
それまで私は、
写真を“顔の集合”としてしか見ていなかったのだと思う。
色が入った写真を見たとき、
確かに表情は生き返っていた。

けれど、それ以上に目に入ってきたのは、
人と人との距離や、並び方だった。
誰が中央にいて、
誰が端にいるのか。
誰の隣に、誰が立っているのか。
そこから、古写真を見るときの視点が、少し変わった。
実際にデジミさんにお渡しした写真の中には、
立ち位置が関係しそうなものは、ほとんどなかった。
ただ、手元には家族が何人も写った写真があった。

その写真に写っている人の多くは、
私が顔と名前を知っている人たちだった。
けれど、二人だけ分からない人物がいた。
一人は、
まったく心当たりのない人だった。
それなのに、その人は中央に座っている。
もう一人は、
年齢から見ても重要な位置にいそうな初老の人物なのに、
写真の隅に座っていた。
見れば見るほど、
説明を求めてくる配置だった。
この写真は、
昭和22年に撮影されたものだ。
七歳のお祝いの写真なのに、
本人は最前列の左側にいる。
中央に据えられた前列の左側だ。
その後ろには、
学生服姿の兄が立っている。
だから位置関係は、分かりやすい。
主役は中央ではない。
中央の男性の、さらに左側にいる。
なんだか、引っかかる。
その配置について、両親に聞いてみた。
少し考えてから、父はこう言った。
「多分、これは
Kの七歳のお祝いの写真だと思うぞ」
でも、それで終わる話ではなかった。
七歳のお祝いの写真なのに、
中央に座っているのは、その子ではない若い男性だ。
初老の人物は、さらに外側にいる。主役は誰なのか。
この場の中心は誰なのか。写真は、簡単には答えをくれなかった。
この写真に写っている人のうち、今も生きているのは、父と主役だった女の子だけだ。
話を戻そう、まずこの写真を見て、ほとんどの人は中央を見る。
私もそうだった。けれど、何度か見返すうちに、自然と目が動く場所が変わっていった。
誰が座っているか。
誰が立っているか。
前列か、後列か。
中央か、右か、左か。
顔を見ていると、それらは簡単に見逃してしまう。
だが、立ち位置はその場が何のために用意されたのかを静かに示すことがある。
ここで、最低限これだけは知っておいた方がいい事を書いてみようと思う。
多くの記念写真では、向かって右側が優先される位置になる。
中央に近い右側は、その場でより重い役割を担う人の席だ。
左側は、それより一段下の位置になることが多い。
また、椅子に座っているかどうかも重要だ。
座ること自体が、優先される立場を示す。
立っている人は、控える側、支える側。
あるいは次世代に家をつなげる立場になる。
だから、右か左かを見る前に、まず誰が座っているかを見る。
次に・・・。
中央 → 右 → 左。
前列 → 中央列 → 後列。
この順番で見ていくと、写真は「顔」を見ることから「構造」を見る事に変わる。この集合写真について、私はすでに答えを知っている。
それは、手元に戸籍がありそれを見ているうちに腑に落ちたからだ。
けれど、この写真でそれを説明するつもりはない。
では、ここで皆さんと一緒に演習してみたいのは次の写真だ。
こちらは、登場人物も少なく立ち位置も分かりやすい。

この写真は、母方の祖父が写っている一枚だ。
端的に言えば、祖父の姉の結婚記念写真である。
まず見るのは、この写真が誰のためのものかという点だ。これは、
嫁に出す側の記念写真。
だから、配置の中心は新郎新婦ではない。
真ん中に座っているのは、花嫁の母である曾祖母。
この家を代表する立場であり、女性戸主だった人だ。
その右側に座っているのが、嫁に行く本人。
この場の主役だが、中央には来ない。
祖父は、左後方に立っている。
海軍のセーラー服姿だ。
新郎は、右後方に立っている。
曾祖母の後ろに立っているのは、この家の次期当主にあたる人物だ。
前に出る役割ではないが、家の「これから」を背負う位置にいる。
だから、中央のすぐ後ろに立っている。
そして最後に残るのが、
前列左側に座っている人物だ。
この人は、この家の直系でも、花嫁側の中心人物でもない。
後から分かったのは、この人物が・・・。
別れた夫――。曾祖母の元夫側を代表する立場として
この場に同席していた、ということだった。
だからこそ、中央には座らない。だが、欠席することも許されない。
前列でありながら、主役からは少し距離のある位置。
その立ち位置は、この写真が「誰のための記念写真か」を、はっきり示している。ここまで来ると、分かることがある。
中央は、必ずしも主役の席ではない。
優先席は、その場を代表する立場の人の席だ。
家庭内の力は、年齢や血縁だけで決まるわけではない。
その日の意味、その場の目的によって配置は変わる。
最後に・・・。
ここまで読んでくれた方には、
ぜひ一度、手元にある古写真をもう一度見てみてほしいと思う。
顔ではなく、立ち位置を。
多分そこには、家制度が存在していた時代の関係性がそのまま写っている。
立ち位置がはっきりと意味を持つのは、おそらく戦後数年ほどまでだと思う。それ以降、写真は少しずつ「記念」から「スナップ」に変わっていく。
だからこそ、古い写真ほど立ち位置は饒舌だ。
※蛇足ではあるが、
冒頭で触れた
デジミ【D.M.C】official さんは、今月、古写真を着色した写真集
昭和寫眞館を出版される予定だ。
私も微力ながら協力させていただき、
古写真をいくつか提供している。
白黒だった写真が色を持ち、身内の姿として立ち上がってくるのを
今から楽しみにしている。
古写真に興味のある方には、ぜひ一度、手に取ってみてほしい。
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大変光栄です!ありがとうございます❤️