「バンカース」(ハナヤマ)は国産モノポリーなのか?
バンカースに酷似したゲームの発見
「バンカース」に対する一般的な認識
株式会社ハナヤマが現在でも発売しているボードゲーム「バンカース」は、幾多あるモノポリークローンの一つであるが、良く知られている通り、またはなやまの公式サイトにも記載されている通り、日本国内でモノポリーが発売される10年以上前の1953年に発売されており、その点で、モノポリー風ゲームの中では、タカラ「億万長者ゲーム」に並ぶ知名度と普及度を誇っていたと思われる。
ところでバンカースは一般的には、競売や取引が必須の、子供には難易度の高いモノポリーのルールを簡略化し、日本風にアレンジたもの、と認識されている(これは「億万長者ゲーム」も同じ)だが、バンカースはどうやらそうではなく、米国の別のゲームをローカライズしたものらしい。その点を考察していきたい。
”Finance”との類似性
モノポリーと同じ米国パーカーブラザースが発売していた、”Finance”(金融)もしくは”Finance and Fortune”(金融と運)というゲームがある。パーカーブラザースからは1935年から1962年にかけ発売されていた、モノポリーに酷似したゲームである。このゲームの数奇な歴史については後で述べるとして、このゲームと、はなやま「バンカース」の初版が、偶然とは到底思えない程度に酷似しているのである。
2つのゲームの類似点


なにはともあれ画像を見て欲しい。パーカーブラザーズが1935年に発売した”Finance and Fortune”のゲーム版、もう一枚は1953年のバンカースのゲーム版(これは復刻版)である。
確かに、物件名は日本の地名に変わっているし、イラストも日本風になっている。「チャンス」はそのものずばり「カード」だし、何より、縦横の比率が微妙に異なる。”Finance”は正方形でどの辺も11マスだが、バンカースは10マスと12マスの辺であり、そのために物件の場所が微妙にずれている(なお、これは初期版のみで、正方形版のバンカースもオークションで良く見られる)。
しかしながら、根本的な部分は多くで一致している。まず目につくのは4隅のマスで、銀行、モーターボート、祭礼(カーニバル)、電車に乗り遅れと同一である。カード(チャンス)の位置もおおむね一致している、右下の遺産相続マスなどそのままである。
さらに、最も重要な物件マスの価格、建設費、地代が全く一致している。家の建築によるレンタル代の増加も、バンカースとFinanceで同様である(米国版では、掛け算が不得意な人のためにご丁寧にマトリクスシートが準備されている)。この物件価格とレンタル代は、ゲームバランスを決定づける重要なものであるから、偶然の一致とはさすがにみなせないだろう。
モノポリーとの差でも、カラーグループがない、Community Chest(公共募金)がないなど、システム上もおおむね一致している
バンカースは”Finance”の翻案?
これだけの一致点を見れば、初代のバンカースは”Finance”を日本語にローカライズしたものと言っても差し支えないと思う。
だたし、私が知る限りバンカースの本体に、翻案元の記載、パーカーブラザーズや”Finaince”の記載はないし、はなやまのサイトにもない。もしかしたらパーカーブラザーズとなんらかの契約があったのかも知れないがそのあたりはもはや藪の中である。
ただし、これだけは言えそうである。「バンカースは、非常に複雑で日本人にはなじみにくいルールのモノポリーを簡略化し日本風にアレンジしたオリジナルゲーム」ではないことは確かだと思う。
これだけであれば、今ほど著作権に対してうるさくなかった頃の仇花だったよねー、で済む話だが、実はそれだけでは済まないのである。
”Finance”とは何か?
モノポリーの伝説と真実
そもそも、パーカーブラザーズはモノポリーがあるのに、”Finaince”という類似商品を自社で出していたのか?これは、モノポリーがパーカーブラザーズで発売されるまでの複雑な経緯にもとづく。
過去、モノポリーは以下のような経緯で発明されたと言われていた
1935年、大恐慌時代のアメリカでは町に失業者があふれていた。その一人だったチャールズ・ダロウは、暇にあかしてテーブルクロスにゲーム版を描き、自宅にあるものをコマにして、モノポリーの原案となるゲームを作成し、家族や友人とプレイしていた。それが面白いと評判になり、少数を販売し始めたが、それを知ったパーカーブラザーズの重役がこのゲームの版権を高額で買い上げ大ヒット。ダロウは一躍大金持ちになり、モノポリーはパーカーブラザーズを代表するゲームとなった。
ツクダやトミーの日本語版、スーパーファミコン版ソフトにも書かれてたこの発明経緯は、パーカーブラザーズ自身が喧伝していたものであるが、現在これは、モノポリーのオリジナル性を示すために作り出された”伝説”だったことが証明されている。ようは、パーカーブラザースは、チャールズ・ダロウの前に先行するゲームが複数存在していたという事実を隠蔽し、モノポリーこそがオリジナルであると主張したいがため作り上げた物語だったのである。
”Landlord Game”の発明
現在、モノポリーの最も古い原型と言われているのは、1903年にリジー・マギーにより開発された”Landlord Game”(地主ゲーム)というゲームである。このゲームでは既に、盤の周囲を周回する、止まったマスの土地を購入し、別のプレイヤーが止まれば地代を請求できるという、モノポリーの基本システムが導入されていた。ただし、マギーは土地公有主義者(ジョージスト)であったため、このような地主の独占が悪であることを知らしめるための教育として作ったようである。
しかし、このゲームシステムはコピーされ、すぐに「独占し相手を破産させて勝利する」ゲームに変化してしまった。ダロウのモノポリーも、その幾多のコピーゲームの一つにすぎなかったわけである。
パーカーブラザーズによるモノポリーの発売まで
パーカーブラザースがモノポリーを販売しようとした時、それ以外にも多くの”Landlord Game”のクローンがあることを知っていたようである。その中でも、ダロウのモノポリーを選んだのは、そのゲームバランスの良さ、ルールの洗練さ、戦略性の高さによるものであり、その完成度はモノポリーが初期バージョンからほとんど姿を変えずに現在でもプレイされていることでもお分かりになるかと思う。
しかしながら、モノポリーの販売による著作権侵害の訴訟を避けるべく、パーカーブラザースは版権の整理に乗り出した。まずはダロウに特許の申請をさせ、オリジナルである”Landlord Game”の版権をマギーより買い取った。また、当時一定の流通をしていた”Finance”、”Big Business”などの販売権を買収し、ダロウの特許が下りた段階で全米での発売を開始した。その際に作られたのが、上記の”伝説”である。曰く、モノポリーはダロウのオリジナルである、と。
パーカーブラザース版”Finance”の特殊な経緯
”Finance”は、モノポリーに先行する1932年には既に完成しており、ナップエレクトロニックという会社から出版されていた。このバージョンは、のちにパーカーブラザースから販売された”Finance”とは異なり、よりモノポリーに近いもので、Community Chestやカラーグループの概念を含んでいた。
パーカーブラザーズは、この先行作の販売権を1万ドルで買収し、上記のモノポリーに含まれる(というかモノポリーのほうが模倣した可能性すらある)要素を取り去った簡略版として、1935年にパーカーブラザース版の”Finance”の販売を開始した。これは、万が一ダロウの特許が取得できなかった場合の善後策でもあった。
同年、無事にダロウの特許が取得できたため、パーカーブラザーズはモノポリーの販売を大々的に開始した。しかし、この簡略版モノポリーの売り上げが思いのほか良かったため、結果として1962年まで、”Finance”をモノポリーと並行し発売し続けた。どうやら、日本でのバンカースの立ち位置と同様、モノポリーは米国人にとっても難しすぎたのかも知れない。
ハナヤマとモノポリーの関係
ハナヤマ版モノポリー
先に述べた通り、1953年に発売された初代バンカースが”Finance”の翻案であることは、ほぼ間違いないだろう。版権を取っていたかそうでないかは置いておいて、当時のハナヤマのゲーム開発者が、モノポリーではなく”Finance”を選んで翻案したのは、賢明な手段だったと思われる。当時の日本のゲーム購買層はせいぜい小学生までで、その層に、競売や物件取引がゲームの根幹となるようなゲームは、敷居が高すぎたのだろう。
しかしながら、結果として日本で最初にモノポリーの翻訳版を発売したのも、そのハナヤマである。1965年に、当時のはなやま知育玩具より初めて、日本語版のモノポリーが発売された。オークションの写真等を見る限り、一部物件名に差異はあるものの、米国版そのものである。なお、パッケージにパーカーブラザーズの版権表記のあるものとないものが現存していたりするが、これも当時の著作権意識の表れだと思うのはうがった見方だろうか?
そして、本家パーカーブラザーズと同じく、ハナヤマはバンカースも継続的に販売していた。当時のユーザーも難しすぎるモノポリーよりもすごろく感覚でプレイできるバンカースのほうをプレイしていたのではないか。
バンカースとニューバンカース、その後
その後、1973年にモノポリーの国内販売権はハナヤマを離れ、エポック社に移る。その理由は不明だが、ハナヤマがモノポリーの販売に相当苦戦していたという話もある。
エポックは発売にあたり大々的に日本風(人生ゲーム風?)にアレンジし、ゲーム版の中央にシリンダー状のダイスマシンを配置したバージョンを発売したが、すぐにオリジナルに近いゲーム版に戻した。エポックはモノポリー世界大会の日本代表選考会を開催するなどし普及に努めたものの上手くいかず、結局1984年にツクダオリジナルに版権を委譲した。現在ではパーカーブラザーズの親会社となったハズブロが日本での販売権を持っている(ちなみに、エポックは"Petropolis"というモノポリークローンゲームを翻案し出したりしていた)
話を元に戻すと、モノポリーの版権を失ったハナヤマは、バンカースをリファインし「ニューバンカース」として販売を開始した。このバージョンではカラーグループが存在し、ゲームガジェットとしてモノポリー風の権利書カードがつくなど、よりモノポリーに近づいている。このニューバンカースは、その後もパッケージや盤面を変え(または「財産ゲーム」との副題を付けて)断続的に販売し続けたが、現在はハナヤマのラインナップからは落ちている(復刻版のバンカースのみ継続販売)
ちなみに、同年(1973年)には、タカラが「億万長者ゲーム」(アメリカンゲームシリーズを謡っていたがどうやら日本オリジナルである)を発売し、大々的にTVCMを打ったりもしていたが、残念ながら日本に、モノポリーやモノポリー風ゲームが根付くことはなかった。モノポリーが一定の支持を得るのは、1980年代後半になってからである。
