映画"E.T."に登場したゲームは、本当に D&Dだったのか?
映画”E.T.”に登場したゲーム
問題のシーン
1982年に公開された、”E.T. THE EXTRA-TERRESTRIAL”(以下”E.T.”)は、1993年に「ジュラシックパーク」に抜かれるまで米国の興行収入記録を保持し、日本でも同様に1997年に「もののけ姫」に抜かれるまでは歴代最高配収に君臨し続け、批評家からの評価も極めて高い名作映画である。
この映画の冒頭、主人公の少年たちが何かのゲームに興じるシーンがある。
E.T.が地球に取り残されたのち、主人公エリオットの家のリビングで、エリオットの兄と友たちが、ミニチュアを使ってダイスで何かの判定を行うゲームをしているのである。過去、ここでプレイされているのは”Dungeons&Dragons”(以下D&D)だと言われ、さまざまな書籍やネットでも、そのように示されていることが多い。
本当に”D&D”なのか?
しかしながら、映画中でD&Dだという明言は一切存在しない。セリフにも出てこないし、そのルールセットやErol Otusの特徴的なイラストも見られない。また、改めてBlu-rayを見てみたが、エンドタイトル中に”Dungeons and Dragons”や”TSR”(当時の販売会社)の表記も見当たらない。自転車屋のクレジットはあるのにである。これはどういうことなのか?
現在、日本語版Wikipediaでは、D&Dの記事にE.T.に対する言及はあるものの、E.T.の記事には記載がない。英語版WikipediaのD&Dの記事にも記載はないし、E.T.の記事に、出演者の少年たちが撮影の合間にD&Dやマウンテンバイクで遊んでいたと書かれているだけある。
即ち、巷でD&Dだと思われているだけで、実際は別のゲームだった可能性も否定できないのではないか?上に引用したYoutube動画にも”or something fairly close to it”=または似たような何か、と書かれているぐらいである。
シナリオ段階でのD&D
エリッサ・マシスンのシナリオ
”E.T.”は、スピルバーグの幼少期のイマジネーションを元にしたいくつかのアイデアと、「未知との遭遇」の続編的作品をという商業的な思惑から発想され、脚本家のエリッサ・マシスンに依頼された。彼女の現在見られる脚本(1981年9月8日付)は、最終的なシナリオと比べて細部が大きく異なるが、E.T.の撮影がその月から始まっていることから、変更は撮影中とポストプロダクションで行われたと思われる(マイケル役のロバート・マクノートンによると、撮影中ずっと脚本家が付き添いセリフを次々と変えていったらしい。依田義賢か?)
そして、オリジナルのシナリオには明確にD&Dと記載されているのだ!
Five boys are seated around a kitchen table. They are into the final hour of a late-night DUNGEONS AND DRAGONS game. the table is cluttered with Crush bottles, potato chip bags, books, papers, calculatores, and a domino-maze which is used to signify tonight's Dungeon.
5人の少年がキッチンテーブルを取り囲み「ダンジョンズアンドドラゴンズ」ゲームを行っていて、散らかった机の上には、ドミノ牌で作ったダンジョンがある、と書かれているのである。
D&Dの扱われ方
完成版の映画では、エリオットは幼いという理由でD&D(ようなゲーム)セッションに加えてもらえない。そして、兄の友達から先に宅配ピザを受け取ってこいと命令され追い出される。これは、少年の孤独と疎外感を表現するための非常に巧妙なシーンである。
しかし、シナリオではここは全く扱いが異なる。エリオットは、最初からD&Dに参加しているが、独善的で稚拙なプレイを行って失敗し行動不能にされる。そして母親(映画と違い既に帰宅している)に呼ばれて中座し、自分の部屋をもっと片付けるよう叱られる。これだと、エリオットの弱さや幼さは伝わってきても、映像版と比べて弱い。なにより、D&DやTRPGをある程度知っているものでないと、何をしているのか分からない可能性が高い。
ずっと重要だったD&D
そして、シナリオではD&Dはもっともっと核心的な使われ方をされている。ラストでE.T.が宇宙に帰ったのち、シナリオでは再びこのリビングでD&Dをプレイしているシーンが描かれるはずだった。ここでは、エリオットは仲間と協力し迷宮に勇敢に立ち向かう。そこには、最初に見せた弱さや疎外感はない。そしてカメラは移動し、E.T.やエリオットが映るポートレートなどを見せつつ(ここまでのシーンが現実だったという表現)、続いて例のE.T.の”デンワ”(宇宙通信機)が映し出される。それはまだ稼働しており宇宙に電波を送り続けている。アンテナから空へ、宇宙へ、そして銀河へとカメラが進み、そこでエンドタイトルにつながる…
このように、シナリオではD&Dを軸に閉じた物語を形成している。素晴らしい!だが、実際の映像でこのエンディングは使われず、E.T.の宇宙船が飛び立つシーンで映画は終わっている。
なお、このシナリオを元にした小説版でも、この構想のままでD&Dが登場する。映画の中のゲームがD&Dだと言われるようになったのは、この小説版のせいである。
実際の映像のゲームは何?
D&Dとは異なるゲーム
だったら、巷でいわれている通りD&Dで決まりじゃね?と思われるかもしれないが、話はそれほど簡単ではない。先にも述べた通り、完成映画においてこのゲームをD&Dと明言した資料は見当たらないし、もしかしたら別のファンタジーTRPG(トンネルズ&トロールズやルーンクエスト)だった可能性もある。なので、何か証拠が見つかるかも知れないと再度映像を確認してみたが、4KモニタでBlu-rayソフトをコマ送りで見ても、映像からはタイトルを特定できるような情報は何も発見できなかった。
セリフからゲームの正体を探る
しかしながら、主人公たちが話すセリフの中には、いくつかヒントとなる言葉が発見できた。なお、この冒頭のプレイシーンは、ゲームプレイだけでなく、ピザの注文や有線放送へのリクエストなどの要素が雑然と絡み合っており分かりにくく、また、日本語字幕や吹替は全く役に立たないので、検証される方は英語か英語字幕で確認してほしい。
まず、ダイスを振って「5」の目が出、プレイヤーの一人が胸に矢を受けてしまい瀕死(即死?)となるというセリフがある。ここでダイスが何面なのかが確認できれば良かったのだが、残念ながら見えない。だが、6面ダイスを複数振っているようには見えないため、T&TやFTF系列ではないだろう。また、5の目でより大きなダメージを受けたような描写であるから、Rune QuestのようなD100ゲームでもなさそうである。
次に、別の少年が”Resurrection”で助けると言い出すが、瀕死キャラの少年が「自分は"already one of the undead"だから、まだ”death spell”は使える」と申し出を断る。
まずResurrection"(蘇生)は、D&Dでは、クレリックのレベル7呪文であり、このゲームがD&Dならこの少年たちは相当ゲームをやりこんできていることを示している。また、”death spell"がマジックユーザーのレベル6呪文であることからもそれは分かる。ただし、D&Dのundead化は、死の一形態でありこのようにundead化しても行動ができるようなシステムにはなっていない。そして、当時undeadになっても行動できるルールを持つゲームは調べた限り存在しなかった(無論、大量のサプリメントやローカルルール、GMの裁量でそのようなルールが採用されたことは否定できないし、そもそもそんなルールがないのに、瀕死にされた少年が悔し紛れに言っただけかも知れない)。
ここまで聞くと、このゲームはD&Dで間違いないと思うかも知れない。が、最期に、”He is game master"というセリフが出てくる。ご存じの方も多いと思うが、D&DではGMを”Dungeon Master”(DM)とずっと呼称し続けている。これはD&Dを良く知らない脚本家や、キャストのミスなのだろうか?
”Game master”の謎
結論で言うと、これはミスではなく製作者が意図的に”Game Master”と表現(変更)しているのである。
まず、上記に引用した英語版Wikipediaの記載の通り、少年たちは撮影の合間に実際にD&Dをプレイしていたたし、主要キャストの中にはD&Dのプレイ経験の有無で採用になったキャラがいたほどである(それほどまで、初期の構想はD&Dが重要だったということだ)。むろん、D&Dプレイヤーだったスピルバーグが、そんなミスを許すはずはない。さらに、マシスンの元のシナリオにも、きちんと”Dungeon Master”と記載されている!
であるから、ここでは敢えて”Game Master”と話させた、ということである。まるで「このゲームはD&Dではありません」と言いたいかのように。それはなぜなのだろうか?そして、D&Dでないとすれば、このゲームの正体は一体何なんだろうか?
なお、引用したyoutubeの英語字幕で”you're out 10 mana points."という字幕が出るが、もしこれが正しければ、MPの概念がなかったD&Dではないと言える。ただしこの部分のセリフは、Blu-rayでは”10 melee rounds”となっているし、そのように聞こえる。またシナリオでは、エリオットが操るキャラが接近戦闘(Melee)でダメージを被るという描写があるため、このほうが正しいと思うのだが…
ゲームがD&Dでなくなった理由
D&Dの残滓
先に述べた通り、E.T.の元のシナリオでは、D&Dを軸に閉じた物語を形成してた。なので、冒頭のプレイシーンや、使われなかったエンディング以外にもD&Dを彷彿とさせる表現が使われている。
例えば、E.T.の特徴を話したエリオットに別の少年が「それはゴブリンか?」というシーン、また、エリオットに対し「お前のカリスマはゼロだ」と言うシーンなど。いうまでもなくゴブリンはD&Dを代表するモンスターであり、カリスマは初期D&Dの時代からずっと続くパラメーターである(あらゆるRPGのカリスマ値の始祖である)。なお、私が見つけられないだけで他にもD&Dの残滓があるかも知れない。
いずれにしろ、撮影のある段階まで、あのゲームは明らかにD&Dである前提で製作は進められたと思って間違いはない。即ち、どこかのタイミングでD&Dではなくなったのである。
アーヴィング・プリング事件
1982年6月9日、バージニア州に住む高校生アーヴィング・プリングが自殺した。彼の母親パトリシアは、自殺の数時間前に彼がD&Dをプレイしていたという事実から、原因をD&Dに内在する悪魔崇拝的、非キリスト教的な側面によるものだと思い込み、積極的にマスコミ展開し、最終的に高校やTSRを訴えた。それらの訴訟は1984年に全て退けられたが、この話はマスコミにセンセーショナルに騒ぎ立てられ、同時にあくまでマイナーな趣味だったD&DやTRPGを一躍有名にした。
ちなみにE.T.の全米公開は同年6月11日である。海外の掲示板などでこの事件のために映画からD&Dの表現が消されたという言述があるが、これは事実ではない。もしそうなら、上映開始後に差し替えが行われたことになりそれは大きく報道され記録に残るはずだが、そんなものは一切ない。リバイバルでの差し替えも考えられない。E.T.のバージョン違いは、初期公開版と20周年アニバーサリー版以外は確認されていない。
TSRが利用を認めなかった説
E.T.に関する有名な逸話に、M&M's使用拒否事件というのがある。当初、E.T.が地球で最初に食べるのは、有名なチョコレート菓子であるM&M'sのはずだった(これも、シナリオや小説版にはそのまま残っている)。しかし製造元はこの利用許諾を拒否し、結果映画では別の菓子が使われることとなって、せっかくの宣伝チャンスをふいにした、という話である。
D&Dでも、同様のことが起こっていた可能性がある。D&Dのデザイナーであるゲイリー・ガイギャックスは、E.T.について「非常に情報量が不足していて判断できる状況ではなかった」と語っていた(リンク参照)。これは、TSRまたはガイギャックスがD&DのE.T.への利用を拒否したと考えるのが素直である。
また、マイケル役のロバート・マクノートンが伝聞で聞いた話では、ゲームは確かにD&DだったがTSRのブライアン・ブルームが映画での利用を断ってきたと語っている(リンク参照)。
スピルバーグの秘密主義はこの映画でも徹底していて、映画のタイトルすら、"The Boy's Life"としており、シナリオも当日分のみを役者に渡すなど偏執的な管理を行っていた。スポンサー企業に対しても「少年の成長する話。異星人が登場するが友好的」とだけ伝えて許可を取りに行っていたようだ。スピルバーグの知名度がまだそれほど高くなかった(「未知との遭遇」の初回公開も「1941」も興行的には失敗していた)ことを考えると、気持ち悪い宇宙人が登場する、この訳の分からない映画に協力を拒否したくなる気持ちも分かる。
なお、ガイギャックスはのちに、エリオットがピザの支払いのためのドル紙幣を鷲掴みにして持っていくシーンを見て「ギャンブルゲームをしているように見える」と怒ったらしい。
真実はどこに
製作に至る仮説
前後の経緯やガイギャックス、マクノートンの発言等から類推すると、以下の仮説が成立するだろう。
スピルバーグもマシスンも、D&DをE.T.に登場させる、いや物語の主軸に置くつもりで構想を練っていた。当時TRPGといえばD&Dと言われる程度に知名度はあり、また米国ではTRPG自体の世間的認知もそこそこあったことを想定し、観客も理解できると考えたに違いない(当時の日本=82年12月公開で、このゲームをD&DまたはTRPGだと見抜けた人はどれぐらいいただろうか?恐らくはタクテクス誌の読者ぐらいではなかったか)。
しかしながら、TSRは利用を許可せず、スピルバーグはセリフを”Game Master”に変更してまでD&Dの色を消し去った。D&Dのプレイにより循環するようなストーリも大きく改変された。私の個人的な意見としては、結果的に現バージョンのE.T.となって良かったと思う。元シナリオのままでは、エリオットはずっとE.T.の帰りを待ち続けるだけの少年に見えてしまう可能性があるが(それだと「未知との遭遇」のテーマと同じである)、映画版では、別れにより自立し成長する少年の姿が明確化され、それが素晴らしい感動を生み出す源泉となった。それはD&Dというツールを用いなくても描けたのである。
結局あのゲームは何だったのか?

結論で言うと「D&Dのような、映画の中だけで存在する架空のファンタジーTRPG」である。スピルバーグは、D&Dの使用権を得られなかったとしても、D&Dの表現を変える気はさらさらなかった。スピルバーグ自身D&Dプレイヤーであり、恐らくは他のゲームルールは良く知らなかっただろう。だから、版権上の問題でD&Dの影を完全に消しても(ダイスすら映らないようにしている。ここで20面ダイスをだせばD&Dであることを観客に印象付けてしまう)、それを映画の冒頭には持ってきたかった。それは、未成熟な少年の姿を描く絶好のツールだったからである。
E.T.に登場したゲームはD&Dではない。ただし、そのプレイスタイルは明確にD&Dだった。それが真実である。
