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日吉だけどニニギ💛コノハナ「日吉神社」濁酒一杯いかが?【滋賀シリーズ/湖南シリーズ】

「日吉」と聞けば、まず思い浮かぶのは比叡山・延暦寺と日吉大社、そして神の使いである猿。ところが滋賀県栗東市の山あいにある日吉神社を訪ねてみると、祭神はなんと邇邇藝命(ニニギノミコト)と木花佐久夜比賣命(コノハナサクヤヒメ)。しかも境内には磐座が残り、六月には地域で育てた米から造った「濁酒(どぶろく)」を神酒として奉納する祭りまで続いています。日吉なのにニニギ、そしてコノハナ。さらに、神様に捧げたどぶろくをいただけるとは……。いったい、この神社にはどんな歴史と信仰が重なっているのでしょうか。今回は、滋賀・湖南のちょっと不思議な日吉神社を訪ねます。

変更履歴
2026/08/19:初版


▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時

  • 公式HP:

  • アクセス:滋賀県栗東市上砥山660

  • 祭神:

    • 邇邇藝命(ニニギノミコト)

    • 木花佐久夜比賣命(コノハナサクヤビメノミコト)

邇邇芸命
 『古事記』・『日本書紀』において、天照大神の孫であり高天原(天上界)からこの世(葦原中国)を治める使命を帯びて降臨した「天孫降臨」の主役の神です。自然・農耕・里山・天孫の子孫など土地との繋がりを意識する神として、広く祀られてきました。
木花佐久夜比賣命
 邇邇芸命の妻として、また火の神や桜・自然・生命の象徴として、土地の豊かさ・美しさ・生成を表す神格です。特に桜の花や春の自然の生成力、農耕社会の住民にとっては重要な存在です。

▼見どころ

→由緒

  • 813年:金勝寺の守護神として日吉神が勧請され、新宮野に祀られた。これが創建とされる。

  • 不明:創建以来、氏子や崇敬者の協力により、社殿の増築・改修が繰り返される。

  • 1497年:現在地(栗東市上砥山)に遷座される。

  • 不明(江戸時代):社殿の大改修が行われる。

  • 1600年代頃:上砥山田楽踊りが始まる。雨乞いの返礼として奉納される伝統芸能となる。

  • 1800年代後半:明治期の神社制度改革により、村社に列格される。

  • 1922年:神饌幣帛料供進神社に指定される。

  • 1928年:旧金勝村上砥山小坂ヶ下にあった神社が、境内に遷座される。

  • 2000年:江戸期以来200年以上ぶりに、社殿・手水舎の大改修と社務所の新築が行われる。

  • 現在:滋賀県の無形文化遺産「上砥山田楽踊り」が境内で奉納されている。少子高齢化やコロナ禍で存続の危機に直面し、クラウドファンディングなどで再興を目指している。

 伝承では金勝寺守護神として「日吉神」を勧請されたが、その後地域の氏神として邇邇芸命・コノハナサクヤヒメを祀るようになったという伝説がある。つまり、最初の「日吉神」の勧請がありながらも、村落・氏子たちの信仰・願望と土地の風土・神話が重なって、現在の祭神構成になった可能性がある。

→境内へ

 鳥居前に頭から車で突っ込み止める。

 神社名の通り「日吉」なので「猿」がいる。

→本堂/拝殿・本殿

祭神はニニギで妻のコナハナサクヤヒメを配祀する。ただ、拝殿には「日吉神社」とあり、延暦寺の影響を受けたのだろうか。

 本殿後ろの覗くと磐座だった。元々の原始宗教時代から、ここは神が宿る場所だったのかもしれない。だから今でも立派な社殿があるのだろう。

→末社:得廣社

 こちらの覆屋と本殿裏も磐座である。

→日吉大社の下七社

 日吉神というからには、日吉大社の下七社である。

→帰る

→6月5日「どぶろく祭り(濁酒祭り)」

『近江の祭礼』によりますと、祭礼日は「六月一日に一番近い日曜日の午前中」で、概要は「六月初頭に神社・野神さんで祭礼が行われた後、神酒(濁酒)が参拝者にふるまわれる。この濁酒は、まず前年の五月中旬に神饌用田植祭により当番の田が定められ、九月に抜穂式がなされ、玄米二斗が酒造米として保管される。翌年三月下旬には玄米を酒造用白米に仕上げ、四月にしこみがされる。五月下旬、神酒殿で濁酒の量とアルコール度数の検査を受ける。そして神酒として献じられるに到るのである。」とあります。

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滋賀県無形文化遺産『田楽踊り』とは

 このお祭りを見て、代々この地域に大事にされていた神社なのだろうと確信する。

室町時代から伝承されてきている太鼓踊は、資料によると古くは、「花の踊り」または「花踊り」と呼ばれていたそうです。
明治6年の歌本によると、その年が格別の干ばつであったため、氏神に雨乞いの願をかけたところ、7日目に大雨が降り、そのお礼に3日間に渡り花の踊りを奉納したと記してあります。
この花踊りが、中世芸能の田楽踊りの余風と考えられたためか、昭和初期ごろには現在の「田楽踊り」の名で呼ばれるようになったといいます。
田楽踊りは、以前は青年団組織で踊りを注いできましたが、昭和49年に田楽踊保存会が発足し、現在まで踊りの継承をしてきました。
また、昭和38年11月26日に栗東市指定無形民俗文化財、昭和61年3月28日に滋賀県選択無形民俗文化財にそれぞれ指定いただいております。

平安時代から続く日吉神社を盛り上げ、後世に受け継ぎたい - CAMPFIRE (キャンプファイヤー)

→なぜニニギとコノハナ??

 確かに湖南から湖東にかけて、ニニギを祀る神社が多いのだが不思議だな~と思う。

  1. 天孫降臨神話との関係
     ニニギは天照大神の孫であり、高天原から地上へ降りた「天孫降臨」の神です。その妻がコノハナサクヤヒメで、豊穣や生命の象徴とされます。地域の自然や農業と深く結びつくこの神話は、里山の信仰や土地神として親しまれてきました。

  2. 自然・農耕・生命の神としての適格性
     山あいの地域である上砥山にとって、自然の恵みや農耕の繁栄は生活と密接です。そのため、農業・自然・繁栄・出産などを司るこの二柱の神は、地域の守り神としてふさわしいとされました。

  3. 日吉信仰の地元化と神格の具体化
     もともとは「日吉神」として祀られていたと考えられますが、時代の中でより具体的な神名に置き換わっていくことはよくあります。

  4. 地域の氏神としての信仰の確立
     社が地域の氏神として位置づけられる際、地元の人々の信仰や願いに応じて、自然や命にまつわる神々が選ばれたと考えられます。

▼メディア情報

これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。

▼旅行記

京都&滋賀の美術館/博物館/神社めぐり[京都下京中京/滋賀湖南⑩]|やんまあ@旅行記

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