当事者にとっては拷問級の再現度! 映画「トロフィー」後記(ネタバレあり)

本稿は映画を鑑賞された方向けに執筆したものです。未視聴の方にはお勧めできないかと思いますので、ご留意ください。

 朝鮮学校に通う主人公がBTSのコンサートに行きたいがために、父親が北朝鮮からもらった勲章を売り払う……というあらすじが強すぎると話題の映画「トロフィー」。


 このてんこ盛りの設定で面白くないはずがない。観に行くべきである。というところまでは決めていた。

 しかし、Xでこう呟いたとおり、朝鮮学校出身でありながら学校にあまり良い思い出がなかった私は、メインビジュアルと予告映像を見ただけで脳内に警報がガンガン鳴り響いてしまい、なかなか足を運べなかった。

 それでも勇気を出して行った結果、今私の中には「関心が少しでもある人は全員、今すぐ観にいってほしい」という熱情がほどばしっている。

 と、同時に「なるべく世間から隠しておきたい」という気恥ずかしさも渦巻いている。

 まず、全員に見てほしいという理由は当事者から見えている基本的な問題があますところなく網羅され、一本の線上に溶け合うかのごとく織り込まれている点。
 なるべく観られたくないという理由は、起伏がさほどなく淡々としている割にはあまりにもリアルすぎるからだ。
「パッチギ!」は二次創作ぽさがあったが、こちらはドキュメンタリー映画といっても過言ではないほどの再現度であった。
 
 しかし覚悟を決めて観に行ったはいいが、冒頭の舞踊部の練習シーンとチャンゴの音でまず「うっ」となってしまった。
 全国共通で舞踊部が女子の中で一番オラついていたからだ。もはやアメリカの高校のチアリーダー部のような立ち位置であり、彼女らがアメフト部と付き合うがごとく、舞踊部はサッカー部とよく交際していた。
 なお韓国語で部活はトンアリだが朝鮮語では「小組(ソジョ)」という。

 しかしそれはすぐにそれは杞憂だと気づいた。
 ああ、そうか。東京とはいえ、もうオラつく時代じゃないし、オラつくほどの規模じゃないんだ…という気づきである。 
 私の中高時代は「パッチギ!」の数十年後だったが、あの血生臭い感じが平成ナイズされ形骸化した感じのオラつきがまだ健在であった。もし劇中であの言語化できないオラを出されたらC-PTSDの発作が起こり退出していたかもしれない。
 しかし映画の舞台はそこからさらに数十年後だ。オラつきはむしろ自分と年齢が近い、舞踊部教師役のほうから伝わってきたのであった。
 結果的に、心配していたトラウマの再燃は起こらず、むしろ再現度の高さに鳩尾をギュッと掴まれ続けるような110分間となった。

当事者として悶絶した再現度の数々

「在日朝鮮語」会話シーンの再現度


 映画のリアルさを担う片翼が、朝鮮学校と関連コミュニティで使用されている日本訛りの北朝鮮式話法、いわゆる”在日朝鮮語”である(なお、本国に適応できないわけではない。これについては別の機会にさらに詳しく語ろうと思う)。
 久々に聞いて懐かしさとともに、そんなしょうもないもん再現するな!いや、でもこれがないと嘘っぽくなってしまう…という葛藤で気がおかしくなりそうだった。
 トイレを「衛生室」とか、間違えて韓国で使ってしまったら気まずい北朝鮮式単語の数々にももんどりうってしまった。まあ使うけど普通に。
 しかも日本人俳優が演じることでさらにぎこちなくなっていて笑ったのだが、一人だけやけにそれを流暢に喋る人物がいたと思ったら朝鮮学校卒の俳優だった(いや、在日朝鮮語に流暢もカタコトもないが)。
 それにしても皆、すごい。たとえば自分がヒンズー語で演じろと言われたら絶対に無理だったと思う。しかもあの独特の喋り方をどうやったの? 言語というよりカタカナの呪文として覚えたのだろうとは思うが…。

(追記)
そういえば、自分はあの朝鮮学校の喋り方をもう忘れてしまった事に気づいた。
聞いたらそう言えばこんなのあったな!と思うが、もう一度同じように喋れと言われたら、正直かなり難しい。原因は良くわからない。
あれはあれで歴史や思い出が詰まった大事な言葉である。もう一つの母語を失った気分がして寂しさを覚えた。監督、良く覚えてたなと思う。

そのまんますぎるチョソンオタク


 突如差し込まれたチョソンオタクとイベントの再現度に笑いを堪えきれなかった。BGM「ようこそ(パンガッスムニダ)」もほんとそれすぎて。
 ひょっとして友情出演してますかこれ? あまりにもチョソンオタの風貌、テンション、服装だったので。

イルクン家庭のお財布事情


 申し訳ないが、親がイルクン(朝鮮総連職員の総称)の家庭は大体お金がない。
実家が大金持ちで、ライフワーク的にイルクンをやる人も稀にいるが、メイン層ではない。
 過疎地域では年単位で無給のことすらある。夫婦ともにイルクンの場合もあるが、だいたいは配偶者が別の商売をやっている。洗濯機を買い直す余裕すらないという描写もおそらく実話でる。ちなみに親がイルクンの人は真逆の方向にいくか、親のコピーになるかの二択が多い。中間は少なかった気がする。

井浦新はイルクンを演じた世界初の俳優か

 というかイルクンが主要人物で出てくるのなんか日本映画史上初でしょ(笑)。 私も演劇をかじったことがあるが、役柄の生い立ち、性格、行動などをこれでもかというほど掘り下げることが要求される。
 当然今回の俳優たちも行ったであろうが、よくあんな特殊環境の特殊人間を演じてくれたという敬意と、ある種の申し訳なさが入り混じった何ともいえない感情になった。
 いや、どちらかといえば「意味わかんなかったでしょ!?ごめんねええええ」と監督をさしおいて余計なお世話をしたくなってしまった。
 井浦氏はアッパ役をまったく自分とかけ離れた人物と語ったそうだが、映画「工作」で北朝鮮幹部を演じたイ・ソンミンも似たようなことを言っていた。役柄を咀嚼していった過程をもっと聞いてみたいと思った。

並立する3つの加害性の描写が秀逸!

 唸ったのは、ソヒ、アッパ、チョソンオタクそれぞれに満遍なく散りばめられている無自覚の加害性だった。

ソヒの加害性

 ソヒの父親は建築家を目指していたが、国籍差別が強かった時代のため就職を諦めたというくだりがある。そこから朝鮮学校の教師になったのは、自分の夢を受け継いでくれる子供を育てたいと思ったからかもしれない。
しかしソヒにはそんな葛藤は理解できず、祖国愛と貧乏生活を強いてくる存在でしかない父親を疎み、「やりたいことやればいいじゃん」的なことを言い放つ。
 朝鮮学校に通っていたとしても先人の気持ちはわからないものである。
 中高生の時はこうした理念の押し付けに反抗心を抱くが、再現度が高過ぎて当事者としては再び悶絶した。

アッパの加害性

 アッパは理想を追いかけすぎて家族を巻き込んでいることに無自覚である。目的が正しければ全て良しと思っているタイプの人である。多少の自覚はあるのかもしれないが、自分ごととして感知できていない。
ただ、勲章と一緒に賞状ももらっていると思うので、アッパ元気出してと言いたい。

オタクの加害性

 アッパの人生そのものである勲章も、オタクにとっては数あるコレクションの一つに過ぎない。同時に、前出のような経済的事情か、脱退して関係を断ち切るために売却する人も少なくないことも示されている。
また、勲章を取り戻すために、チョソンイベントにつきあってくれた未来の「人のことバカにして」という台詞は、チョソンオタに限らず、素人相手にマウントしたがるオタクの悪癖を表しているように思える。
 結果的に本当の意味で勲章に敬意を払っていたのは、職人の矜持から偽造品制作を断った、町工場を営む未来の祖父だった。

 消費するだけのチョソンオタクや韓国オタクとの根本的な違いは、在日コリアンは別にコリアのことが好きでも嫌いでもないのに関係を断ち切ることが基本、不可能である点だ。
仮に帰化したとて、自分の血と骨と肉と化しているものを好みで取り外すことはできない。
 それは朝鮮食材店の店主の「俺たちは日本人になれないでしょ」といった言葉でも表れている。どうせ一生付き合っていかねばならないなら、言語、人脈、視点などのリソースは全部使う。美人が美貌で世渡りし、肥満体の人が冬に脂肪で暖をとるのと同じである。

「韓流のおかげで在日差別はなくなったでしょ?」と言うのは部分的にはあっているが全体的には間違いである。
 文脈が全く異なるし、特に本国人がそれを言う場合「ナラティブの簒奪」、「リソースへのタダ乗り」に他ならない。
 個人的には、良識ある両国の人はくれぐれもそこに加担しないでほしいとずっと以前から思っている。
 多くの在日コリアンも、”コリア推し”をされるのはありがたいが、可能であれば未来の祖父のような人物と清濁併せ飲むような関係を結びたいのである。

 そして、監督の心の中にもそれがあったのではないかと思う。
 ラストで未来は、BTS推しから始まったソヒとの関係を、自ら深化させようとする。

 この映画が、未来のような人が増えるきっかけになれば良いと思います。

個人的に思う99%のリアルの他の、1%の要素

 それにしても自分が親の世代になる頃には、朝鮮学校は全廃校とは言わずとも正直、厳しいのではないかと思っていた。
 友人が朝鮮学校の教師だった数年前で全校生徒が6人で全員親戚同士ということもあったし、新入生一人なんてのはザラだ。
 なので令和の時代にも、まだこの題材で映画が制作されるのは奇跡だと思えた。
 クラスメートが一人もいないんじゃねえ…と悩みつつも、結局息子を入学させる朝鮮食材店の店主のような人々の存在が支えている部分も多かろうと思う。
 さすがに孫の代までは予測できないが。

 余談だが、行定監督とのトークショー最中に重大トラブルが発生しスマホに集中してしまったので、途中から話をほとんど聞けなかった。
 断片的に聞こえてきたのは孫監督が総連に制作の報告をしに行った際、「当事者なのに」と難色を示されたといったような内容だった(間違っていたら訂正する)。
 ひと昔前ならそもそも門前払いだった可能性が高いが、周辺から漏れ伝わる話からも、幹部の世代交代が進み比較的オープンになってきているという情報がある。

 ちなみにXで「99%リアル」と書いたが、個人的に残りの1%と思われる部分は以下の通りである。

・アッパさんがアルバムの銅像を指さすシーン

 アッパさんくらいのガンギマリ、いや熱誠的イルクンで真正面から銅像を指さす人っていなかったような気がする。高位級のイルクンほど指を裏返して丁寧に指す。たとえばこんな感じ。

・朝鮮学校の女子どうしの日本語会話では「私」は使わない

 朝鮮・韓国語で「自分」を表す「ナー」を使う。ただ日本の視聴者に「ナー」といっても何のこっちゃわからないからそうなったのだと思う。中四国だと尊敬語版の「チョー」の場合もある。もしかすると最近の子は「私」なのかもしれないが。

大事なことを忘れていたので追記

ディテールの再現度はほぼ完璧であるが、あれが全てではない

 あれから身内で感想ラッシュが起きているが、やはり満場一致で「あまりにもリアル」ということになっている。

 しかし当たり前だが、万国共通でそうであるように、同じ属性内でも個々の精神世界や家庭の事情は千差万別であり、イルクンの中でもまた違う。そのため、イメージが固定化されないようにお願いしたいと思う。

鋭すぎる他のレビューの数々(当事者向け)


 身内たちの鋭すぎるレビューたちを紹介したい(随時更新)。

「アッパの最後の表情はイルクンをやめようと思っている顔」

 共感度120%、経験者全員がスタンディングオベーション並みのコメント。あまりにも秀逸すぎて腹抱えて笑った。もうそれにしか見えない。

「朝鮮舞踊は外部の人からは喜び組的なものだと思われている可能性がある」


 その視点はなかった。言われてみればそうかもしれない。

「全般的に朝鮮語が間違えている。朝鮮学校でも使わない朝鮮語が混じっている」「ピョッポの字が間違えている」

 ピョッポはともかく、そうだっけ?と思ったらどうやら文脈的なことらしい。


 そういえば小道具もリアルだった。
あの鈍器みたいな分厚さの「朝鮮語大辞典」はイルクン以外でも6割くらいの家庭に存在していたと思う。

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