連載:メタル史 1986年⑤Slayer / Reign in Blood 情報編

US、ロサンゼルスを拠点としていたSlayerの3rdアルバム。日本では「(スラッシュメタルの)帝王」とも呼ばれますが、呼ばれ始めたのはこのアルバムを出したころからではないだろうか。いつ、だれが最初にそう呼び始めたか分かりませんでしたが、「帝王」と呼びたくなる威厳を持ち始めたのは明らかのこのアルバムからだと思います。
1986年は西海岸のスラッシュメタルが一つの頂点に達した年だったと言えるでしょう。3月にMetallicaのMaster Of Puppets、7月にMegadethのPeace Sells... but Who's Buying?、そして10月に本作、SlayerのReign In Bloodが発表されます。アンダーグラウンドシーンで盛り上がっていたムーブメントが一気に噴火し、潮流となった年。Thrash Metalというフォーマットが芸術的創作性を刺激し、各自が競うようにアイデアを詰め込み、名盤を生み出したピークを迎えます。
こうした「シーンの頂点」と呼べる年は各ムーブメントに存在し、だいたい1‐2年程度で終わる。たとえばN.W.O.B.H.M.だと1980年~1981年ですね。1980年はJudas PriestのBritish Steel、MotörheadのAce of Spades、Black SabbathのHeaven and Hell、Ozzy OsbourneのBlizzard of Ozzと70年代から活躍するハードロックバンド達がこぞって新世代の「ヘヴィメタル」に脱皮したような作品を出し、Iron MaidenとDef Leppardがデビューし、Saxonも商業的成功の規模を大きくする。このピークが1981年も続き、1982年ごろから沈静化していく。
やがてブームは飽和し、トップバンドで生き残るバンドは音楽性を拡散させる、ポストムーブメントの音像に進化していく。また、フォロワーが生まれて一度作られたスタイルを掘り下げていく。そんな構図が見られます。Thrash Metalにおいては1986年が黄金期の始まり。

本作の裏ジャケ
Slayerは前作「Hell Awaits」をリリース後、初のヨーロッパツアーを実施。それまでは基本的にUSとカナダでしかライブ経験がありません。MetallicaやIron Maidenと比べるとライブ本数も少な目。1985年は60本(うちヨーロッパツアーが20本)です。これでも週1本以上のペースではありますが、100本以上行っていたMetallicaと比べると一回りも二回りも小さかった。人気があればあるほど多くのライブを回れますからね。まだどちらかといえばUSの、LA界隈のローカルな人気に根差したバンドだった。レーベルも独立系のMetal Bladeからの配給でしたし、なかなか世界中のファンには届きづらかった。下記はSlayerの初の欧州ライブの模様。フェスへの出演。それなりに好意的に迎えられています。
ただ、Hell Awaitsがヒットしたことでマネージャーもバンドも「次作は勝負作になる、もっとヒットする」と感じます。おりしも世はThrash Metalムーブメントが来ている。この流れに乗りたいと考えたバンドはより世界中のファンに音源を届けられる力を持ったさまざまなレーベルにアクセスを始めます。

当時のSlayerのマネージャーはブライアン・スレイゲル。当連載で何度か出てきていますが、Metal Bladeの創設者ですね。所属レーベルのオーナー自身がマネージャーであり、いわば「Metal Bladeのお抱えアーティスト」という立ち位置だった。スレイゲルはオーナーといってもこの当時は「メタル好きが高じてレーベルを始めた」という生粋のファンであり、それほど音楽ビジネスシーンで力(全米のラジオ曲で曲を流せるとか)を持っていたわけではない。そこでより広い成功を収めるために他に組める先を探していくわけです。ただ、当時は(ロンバート以外の)バンドのメンバー自体はMetal Bladeを離れることを多少心配していたそう。どちらかと言えば地元のメタルコミュニティの中で活動していたバンドであることが伺えます。
デビュー時はアラヤが昼の仕事を辞めるかどうか悩むし、2ndアルバムに至るまでにはキングがMegadethに入るべきか悩むし、帝王と呼ばれる割にけっこう若手バンド等身大な悩みエピソードがあるのがSlayerの人間味。最初から商業性を重視したり、ビジネス的な成功を戦略的に目指していったわけではなく、「メタルが好き」という普通の若手ミュージシャンが集まったバンドなのでしょう。それゆえにコアなメタルファンに刺さる作品を生み出し続け、商業的成功規模を越えてある種神格化されていく、Thrash4天王の中でMetallicaに次ぐ位置(Big4のコンサートでは演奏順が3番目)という扱いなのでしょう。単純なレコードセールスだけならMetallica、Megadeth、Anthrax、SlayerのThrash Big 4の中で多分3番目か4番目なんじゃないかな。レコードセールスよりライブの動員数が多いんだと思います。コアなファンが多い。

そんな年相応の地元密着型若手メタルミュージシャンだった彼らの転機となったのは、リック・ルービン率いるDef Jamレーベルへの所属でしょう。本作でいくつか接触したレーベルの中にDef Jamがあった。Def Jamはヒップホップ(LL Cool JとかRun-DMCとか)を手掛けていたレーベルで、あまりメタル色はなかった。その総帥であるリックルービンがSlayerに興味を示したのです。当時、Run-DMCとAerosmithのコラボの話とかがあった(リリースされたのが1986年6月だから、Slayerがアルバムを制作中にはまだリリースされていない)からかもしれないし、あるいはもともと興味があって、Slayerと仕事をするようになってAerosmithとも組んでみよう、となったのか、経緯はわかりませんがとにかくルービンがSlayerに興味を持った。
で、最初、スレイゲルとDef Jamの間ではそこまで話が進んでいなかったのですが、ドラマーのデイヴ・ロンバートが猛烈にアピール。Def Jamを配給しているコロムビアレコードから伝手をたどり、ルービンにアプローチし、ついに契約を得ます。この時、他のメンバーは先述のとおり「Metal Bladeを離れるのはちょっと…(怖いなぁ)」という反応。ロンバートってエネルギーがありますね。キューバ系移民らしく、生まれはバハマ。この辺りはほかのメンバーと違って、もう少しシビアな世界とか、幅広い視点を持っていたのかもしれません。知らない環境に飛び込むことへの耐性というか。だって小さいころに国を越えてきているわけですから。そんなロンバートの突破力もあり、SlayerはDef Jamとの契約を獲得。本作もバンドとリック・ルービンの共同プロデュースで制作されます。それまで、地元でメタルコミュニティの中で仕事をしてきた彼らが一気に全米でヒットを生み出しているヒップな音楽業界人たちと仕事をするようになる。

ルービンのプロデュースって、他のインタビューで読んだ記憶だと「音楽的なアドバイスはほとんどしない」そう。ただ、「これは君たちらしくない」とか「これは君たちらしい」といった話だけ行う。Metallicaの真実の瞬間(Some Kind Of Monster)でも登場シーンがあって、まさに「君たちらしさをもっと追求しろ」みたいな話をしています(ルービンは後にDeath Magneticをプロデュースする)。そのアーティストの本質とか、「ほかのアーティストに出せない個性」みたいなものをとにかく徹底して求める人、という印象。あと、けっこうクリアな音、演奏者の意思がはっきり伝わる音を好むプロデューサー、という印象です。より具体的にはリバーブを減らすタイプ。ヒップホップ畑の人だからなのか、一つ一つの音の粒立ちが良い。なので、本作はそれまでのSlayerが持っていた「ほかのバンドを越えた暴虐性、暗黒の物語性」といったものが強調され、余分なものがそぎ落とされ、且つ、音作りもかなり整理される。各パートの演奏の意思が伝わるものになっています。

なお、本作はそうしたルービンの「余分なもののそぎ落とし」に感化されたメンバーがどんどん純度を高めていった結果、曲はかなり高速化し(平均BPM220)、ハードコアとスラッシュメタルをつなぐような音像に。クロスオーバースラッシュともまた違う、Slayerならではの特異な音像を生み出します。そして、ドラマティックで8曲入っているのに28分55秒しかない。たぶん、ルービンと出会っていなければ本作は40分ぐらいあったのでしょう。それをそぎ落とし、テンポを速め、純化していった結果、やりすぎと言えるぐらい濃厚になった。言い方は悪いですが2ndまでは「天才性はあるけれど、まだ一皮むけていないバンド」だったSlayerが、その天才性だけを丹念に抽出したアルバムになったと言えます。特濃のデミグラスコーヒーみたいな。

そんな激烈な音楽性でありながら当時勢いに乗っていたDef Jamからのリリース、そしてレーベルイメージと異なる「メタル」ながら、レーベルイメージ通りの「尖った先鋭的な音像」で新しいもの好きの層にリーチ。ビルボードでも98位という、商業的成功の方程式をまったく無視した音楽としては快挙を成し遂げます。その後も売れ続け、現在ではゴールドディスク(50万枚)認定も獲得。SlayerがLAの若手バンドから、Thrash Metalの「帝王」として大型フェスのヘッドライナーへ成長していく端緒となったアルバムです。
ちなみに、本作のタイトルは「Reign In Blood(血まみれの支配)」で、収録曲に「Raining Blood」という曲があります。少し紛らしい。あと、小ネタですがトーリ・エイモスという女性シンガーソングライターが2001年にRaining Bloodをカバーしています。静謐なアコースティックアレンジでまったく印象が違う面白いカバー。
※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。
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メタル史 1980-2009年
1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…
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