連載:1986年② Iron Maiden / Somewhere in Time 情報編

Iron Maiden is Back! 1980年のデビュー以来毎年新譜をリリースしていたメイデンですが、1985年は新譜のリリースなし。その代わりにライブアルバム「Live After Death(死霊復活)」をリリースしました。1年空いての新作がこちら。さまざまな姿に変化してきたエディが今回はブレードランナー的な近未来SFの世界でサイボーグ化しています。2023年~2024年にかけて開催されたFuture Past Tourで、最新作「Senjutsu」とともに本作がテーマとなり、ツアーで大々的に取り上げられたのも記憶に新しいところ。
本作はジャケットが見開きになっていて、開くと近未来の街が広がり、その中にメンバーの姿が現れます。エディーのオリジナルイラストレーターであるデレク・リッグスの渾身の力作。よく見ると日本語の看板があったりして、大量の意味と記号がなぞかけのように配置されている。

この中に埋め込まれた謎を書き出すとそれだけで記事が終わるので、興味がある方はこちらの記事(→英語記事)をどうぞ。日本語のメッセージは「浅田彰」「玉井」「警告:白ニキビ」といった単語が。玉井は謎。日本のレーベルやプロモーターの関係者か、あるいは〇Iビルのロゴのパロディなのか。このアルバムは個人的にLPで持っておきたいジャケットNo.1ですね。なお、デレクリッグスは描き始めた当初はここまで複雑になると思っていなかったそうで、3ヶ月かけてようやく描き終えた後、2度とこんな複雑なものは描かないとボヤいたとか。
80年代前半のメイデンはとにかく多忙でした。恐ろしいのはライブの本数で、本数を見ると下記の通り。
1986 (67)
1985 (102)
1984 (87)
1983 (137)
1982 (184)
1981 (128)
1980 (151)
年間100本越えが過半数! 1982年は、加入したばかり(1981年10月加入)のブルース・ディッキンソンのお披露目という意味合いもあったのでしょうが、184本って。2日に1本以上です。1982年ならフルセットのライブではなくゲスト出演などもあっただろうとはいえ、過酷。これだけのライブを毎年こなしながらスタジオにこもって新譜を作り、プロモーション活動をする。ワールドツアーたがらライブ日以外に移動もあるし、ほとんど働き詰めでしょう。この当時の人気メタルバンドは年間100本ぐらいライブするバンドはざらにいますが、その合間を縫って毎年新譜も出すとなると超人的。凄まじい。この頃のライブの様子。
流石に一年空いてのリリースとなった本作ですが、最大の特徴はブルースディッキンソンが作曲に関わっていないこと。加入してから現在にいたるまで、在籍中のアルバムで作曲面に関わっていないのは、録音時にすでに全ての曲が出来上がっていた魔力の刻印(1982)と本作だけです。本人の自伝に拠れば燃え尽きたような状態だったとのこと。確かに、前作Powerslaveではスティーブハリスと向こうを張るように半分の曲の作曲に関わり、かつ過酷なワールドツアーで歌いまくった。メイデンのライブを観たことがある方はわかると思いますが、ディッキンソンはそもそも歌唱もエネルギーを使うスタイルである上にステージ上をライブ中ずっと駆け回っていますからね。エネルギーの塊のような人ですが流石に燃え尽きるのも納得のスケジュール。本作では「歌うだけ」に徹した、と自伝にあります。

サイボーグエディーと
代わりに前面に出たのがエイドリアンスミス。基本的にアイアンメイデンのメインソングライターはスティーブハリスで、それは不動ですがハリスに対してディッキンソンとスミスの二人がソングライターチームとして作曲面を分担していたのが83年以降のメイデンです。ディッキンソンが不参加となったのでスミスが奮闘。スミス単独曲が多く収録されたアルバムとなりました。なお、現在にいたるまでスミス単独曲が収められたメイデン のアルバムは本作だけ。他は全てハリスやディッキンソンとの共作です。その「数少ないスミス単独曲」は三曲あり、そのうち二曲(Wasted YearsとStranger in a Strange Land)はシングルカットもされた。メイデン史上、もっともスミス色が強いアルバムと言えるでしょう。作曲者についてほ関連記事はこちら。
ちなみに、Wasted YearsのシングルのB面にはReach OutというThe Entire Population of Hackneyのカバー曲が収められていて、これはリードボーカルもエイドリアンスミス。
The Entire Population of Hackneyというバンドについてですが、これは1985年、しばらく休暇をとったメイデンにおいてニコマクブレインが「そんなに演奏できないと腕がなまる」と言って、エイドリアンスミスを誘ってセッションを始めたのがきっかけ。直訳すると「ハックニーの全人口」で、休暇中のお遊びバンドながらある意味スーパーバンド。アイアンメイデン、アーチン(メイデン加入前にデイブマーレイとエイドリアンスミスが在籍していた)、FMのメンバーが参加しており、ライブも開催しています。ライブの様子が海賊盤扱いでリリースもされている。ここでエイドリアンスミスがメインボーカルを務めていて、アンコールになるとゲストでブルースディッキンソンも登場するというサービス精神旺盛なイベント。
シングルB面とはいえ、メイデンのレコーディングの中でボーカル以外がメインボーカルを歌う曲はこれが初めてです。このお遊びバンドがのちのASaP(Adrian Smith and Project)に繋がり、エイドリアンスミスの一時脱退に繋がっていくのですがそれはまた後日。
なお、本作レコーディング中もディッキンソンは曲自体は持ってきていたそうですが、ほとんどがアコースティック主体だったそう。「レッドツェッペリンのⅣやPhysical Graffitiみたいなアルバムにしようぜ!」と主張したそうですが、バンドのそれまでの方向性とあまりに違うので却下されたとのこと。疲れていたので静かな曲をやりたかったのでしょう。メイデンのアルバムにアコースティックバラードが入るのは、僕の記憶の限りだと2000年代のDance of DeathのJourneymanまで存在しません。多分ああいう曲をこの頃も持ってきていたんだと思います。
本作のレコーディングはナッソーのコンパスポイントでドラムとベースが録音。前々作、前作の制作スタジオですね。ただ、ボーカルとギターはオランダのスタジオで録音されるという変則的な方式。ディッキンソンとハリスの間の緊張が高かったのだろうか。さらにミキシングはニューヨークで行われ、メイデンの諸作の中でも特に制作費がかかったアルバムだそう。プロデューサーは変わらずマーティンバーチですね。

84年-85年の過酷なツアーのあと、4ヶ月の休暇を取ってから本作は作られました。その間に各メンバーが新機材を試す時間があったらしく、本作からはギターシンセが導入されています。確かに音色の変化は見られますが、Judas PriestがTurboで取り入れたほど大胆な変化ではなく、本作は旧来からのファンにも概ね好意的に受け入れられました。ビルボードで11位、UKでは3位、その他欧州各国や日本でもチャートインし商業的な成功の規模を維持。現在ではアメリカだけでプラチナム(100万枚)以上を売りあげています。日本でもゴールドディスク(10万枚)認定。新機軸を打ち出しながらも見事に成功した作品。
※はじめて当連載に来ていただいた方は序文からどうぞ。
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メタル史 1980-2009年
1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…
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