連載:メタル史 1987年まとめ
※当連載に始めてきた方は序文からどうぞ。
さて、1987年の10枚を聞き終わりました。全体として感覚的に言えるのは「レベルが上がった」ということ。1980年から聞いてきていますが、初期の頃はまだプリミティブであり、パンクの影響もあり生々しい、ある意味素人っぽいというか初期衝動や制作風景が見えるアルバムも多かったですが、1987年ともなると非常に完成度が高くなってくる。特に「芸術性」がメタル音楽において高まっていることを感じます。
当連載で取り上げたアルバムからは、大きく二つの流れを感じました。
1.Thrash Metalの完成とDeath Metal / Black Metalの誕生
Thrash Metalムーブメントは完成の域に達したなと思います。N.W.O.B.H.M.で言えば1983年ごろというか、一つのスタイルが成熟した。Metallica、Megadeth、Slayer、Anthraxの名盤がそれぞれ出そろったのもそうですし、Testamentのデビュー作はデビュー作とは思えない完成度です。リーダーたちが代表作を出し、新世代が高い完成度のデビュー作を出す。これはムーブメントの頂点を表しています。

ただ、スラッシュメタルが一つ物語性として強烈だったのが、シーンのトップにいたMetallicaのクリフ・バートンが亡くなってしまったこと。これによって「完成したThrash Metal」の中核にいたMetallicaの新譜の方向性が不透明というか、「どんな作品を作るのか」が分からなくなった。悲劇なことは間違いありませんが、人々の強い関心と興味を惹き付けることになります。
USではThrash Metalがピークにある中、欧州、ドイツでもチュートニックスラッシュ(ジャーマンスラッシュ)が出そろってくる。Sodomを取り上げましたが、他にKreator、Destructionなども名盤を出し始め、Thrash Metalのムーブメントが世界中に広がりつつあったことが分かります。ブラジルでもSeplturaが『Schizophrenia』をリリースし、より激烈なスラッシュメタルを生み出しています。この辺りはUSの洗練・完成に向かいつつあったThrash Metalバンドに比べると荒々しく、より地下音楽感がありました。
また、USからはThrash Metalの激烈性をさらに推し進めたDeath Metalが本格的に誕生してくる。その象徴がDeathのデビューであり、『Scream Bloody Gore』(1987年)はPossessedの『Seven Churches』(1985年)と並んでジャンル創始的な位置付けとされています。実際に聞くと、明確に「Death Metal」と言える音像が刻まれている。ただ、チュートニックスラッシュやSeplturaと比べるとデビュー作ながらもっと音像が洗練、音楽理論的に複雑に構築されています。この辺りはやはりUSのバンド、ムーブメントという印象です。欧州やブラジルのシーンもスラッシュメタル~デスメタルに変化していく、より暴虐的になっていく、と評されていますが、USのDeathはもっと音楽的コンセプトを研ぎ澄ましていた印象。それゆえにフォーマットとなって後続の多くのバンドに影響を与えたのでしょう。
そして、北欧からはBathoryの『Under the Sign of the Black Mark』もブラックメタル、北欧文化(バイキング文化や独自の神話)をメタル界に取り入れる契機となります。これもまた従来にはなかった動き。Thrash Metalは基本的に核戦争とか人の争いを歌詞で扱うことが多い。社会背景については後述しますが、東西冷戦中、米ソ間の緊張で、核戦争リスクが実際に人々の関心であったからでしょう。ブラックメタルはそれとは違うテーマを内包した。
またイギリスではグラインドコアと呼ばれる超高速・過激サウンドが誕生し、今回のメタル史では取り上げなかったものの、1987年にNapalm Death(ナパーム・デス)が発表したデビュー作『Scum』はグラインドコアの嚆矢として世界のメタルシーンに衝撃を与えました。

過激音楽
こうしたバンド達の登場により、従来のスラッシュやハードコアパンクを凌駕するエクストリーム系サウンドがシーンの一角に生まれ、後のデスメタル/ブラックメタル隆盛への布石が打たれたと言えます。
2.プログレッシブメタル的な曲構造の複雑化、物語性の深化
まずKing DiamondのAbigail。これはまさにメタルオペラというか、メタルミュージックによって見事に物語を表現しえた分水嶺的な作品です。物語性のある曲はあったけれど、アルバムを通して完全に一つの物語を、メタルミュージックの中で最高の完成度でやりきった、というのは発明。みなが夢想してもなしえなかった偉業だと思います。かつてのプログレッシブロックの名盤、それこそPink FloydのThe Wallとか、Meat LoafのBat Out Of Hellとか、コンセプトアルバムやロックオペラの精神性と完成度をメタル界がついに継承し、形にしえた作品だったと感じました。
このように「アルバムを通して物語性を持たせる」というものはこの後、プログレッシブメタルと呼ばれるジャンルが勃興していきますし、いくつかコンセプトアルバムの名盤が生まれていく。また、各曲の中の起伏、緩急のつけ方も凝っているものになっていきます。そもそもThrash MetalもDoom Metalも曲の中に複数のリフ、メロディ、テンポ、パートが内在する構造が多く、曲構造としては旧来のプログレッシブロックのフォーマットをメタル的な語法を加えて再解釈したもの、とも言えた。その傾向に「物語性」「オペラ並みの完成度」とい要素も加味され、メタル音楽の芸術性が一気に高まることになります。今回取り上げたアルバムで言えばSavatageもアルバム全体でのコンセプトアルバムはまだですが、志向としてはその方向を向いていますし、ドイツのHelloweenにしても大曲を入れて見せたのは複雑化、複数パートを切り替えながら物語を音楽で描く、というパワーメタル、エピックメタル的な要素を、従来よりはるかに高い娯楽性(メロディ展開の力強さ)で成し遂げました。録音物として「情報量が多く、聞いていて楽しく満足感がある」メタルアルバムが次々と誕生してくる素晴らしい時代に突入しているわけです。この辺りは「プログレッシブメタル」というか、70年代の「プログレッシブメタル(Jethro TullとかGenesisとかYesとか、ああいう複雑で大曲志向のバンド)から引き継がれたものだと思います。

また、今回のメタル史では取り上げなかったものの、1987年は旧来型のメタルが売上として頂点に達していた時期でもあります。
その他:グラムメタルやハードロックの商業的成功
N.W.O.B.H.M.からThrash Metal/Doom Metalへと至ったメタルが深化・進化を遂げる一方でグラムメタル(いわゆるヘアメタル)や派手なハードロックは80年代後半の商業ロックシーンを席巻しており、1987年はその最高潮の一つでした。前年にボン・ジョヴィの『Slippery When Wet』(1986年)が世界的大ヒットを記録し、1987年にはDef Leppard(デフ・レパード)やGuns N’ Roses(ガンズ・アンド・ローゼズ)といったバンドがMTVの後押しで地球規模の大成功を収めている。とくにガンズはデビューアルバム『Appetite for Destruction』(1987年)の大ヒットによって、一気にスターダムにのし上がりLA、ひいてはUSのロックバンドを象徴する存在となりました。またMötley CrüeやPoison、Whitesnakeといった派手なルックスのバンドも全盛期であり、全米チャートやアリーナ会場をグラム/ポップメタル系が賑わせた時代。
このような商業的成功の影で、よりコアなヘヴィメタル(つまりこのメタル史で取り上げたようなアルバム)の支持層との間には溝も生まれており、1987年にMTVがヘヴィメタル専門番組「Headbangers Ball」を開始した頃には、アンダーグラウンドのファンは派手で軽いグラム系を「ヘアメタル」と蔑称するなど、メタル内の細分化と聴衆の分派化が進んでいたのもこの頃です。
今までの話も踏まえて地域別に整理しておきましょう。
地域別:1987年のメタルシーン動向
アメリカ合衆国:スラッシュ台頭とグラム全盛
1987年のアメリカではスラッシュメタルとグラムメタル/ハードロックという対照的な二つの潮流が並立していた。前者はサンフランシスコ・ベイエリアを中心とする米国スラッシュ勢で、MetallicaやMegadeth、Anthrax、Slayerといったバンドの成功により全米各地のシーンが活気づいていた。アメリカは1987年当時もスラッシュの本場として君臨し、同時にオジー・オズボーンやDioといった伝統的ヘヴィメタルも健在であった。一方でロサンゼルスのサンセット・ストリップを中心にグラムメタル/LAメタルが商業的黄金期を迎えており、Mötley Crüeの『Girls, Girls, Girls』(1987年)やWhitesnakeのセルフタイトル作(1987年)などがヒットを飛ばした。MTVでは彼らの派手なPVが大量に流れ、Bon JoviやGuns N’ RosesはMTVを通じて「世界で最も人気のあるバンド」の一角となった。このような商業ロックの隆盛に対し、アンダーグラウンドではより過激な音を求める動きが芽生えており、フロリダ州タンパ周辺ではDeathやMorbid Angelらがデスメタル創成に動き出していた。実際、Deathのデビュー盤(1987年)はカリフォルニアで録音された後フロリダでシーンが育まれ、同作は後年「初のデスメタル・アルバム」と評価されるに至っている。このように1987年の米国は、商業的メタルの絶頂と過激派メタルの胎動が同時に存在するダイナミックな状況であった。

イギリス:NWOBHMの終焉とエクストリーム系の台頭
イギリスでは1970年代末から80年代初頭にかけて一世を風靡したNWOBHMのムーブメントは1987年には一段落していた。アイアン・メイデンやデフ・レパードといった一部のバンドは世界的スーパースターへ躍進したが、他の多くのNWOBHM系バンドは中頃までに解散や失速を迎え、1980年代後半にはアメリカ発の商業的グラムメタルにシーンの主役の座を奪われていた。NWOBHM黎明期の代表だったVenomやDiamond Head、Ravenといったバンドもチャート上は限定的な成功に留まったが、彼らの音楽性は80年代後半以降に台頭するエクストリーム系(デス/ブラック/スラッシュ)に大きな影響を及ぼした。実際Venomの荒々しいスタイルや悪魔的イメージは初期ブラックメタルやスラッシュメタルの礎となり、その流れを汲んで1987年にはナパーム・デスのデビュー作が登場している。ナパーム・デスの『Scum』(1987年)はグラインドコアという新ジャンルを確立し、その革新的なサウンドは世界のメタル・コミュニティに多大な影響を与えた。また翌1988年には同じ英国のCarcassがゴアグラインド的なデスメタルで続き、NWOBHM後の英国シーンはアンダーグラウンドの過激音楽が主導権を握り始めたと言える。当時の英国は保守政権下で社会不安も孕んでおり、こうした政治・社会状況に対する若者の鬱屈が、過激な音への支持となって現れた側面もあった。

西ドイツ:ジャーマンスラッシュとパワーメタルの興隆
1980年代後半、ドイツ(当時の西ドイツ)はスラッシュメタルとパワーメタルの二方面で存在感を示したシーンであった。特にジャーマン・スラッシュとも呼ばれるドイツ産スラッシュは、Kreator、Sodom、Destructionという3バンドがヨーロッパにおけるスタイル確立の中心的役割を果たし、米国発のスラッシュを独自に発展させていった。これら「ジャーマンスラッシュ三羽烏」は1987年前後にそれぞれ名作を発表しており、Kreatorの『Terrible Certainty』(1987年)、Sodomの『Persecution Mania』(1987年)、Destructionの『Release from Agony』(1988年)などは欧州スラッシュの古典的作品として位置付けられる。またドイツは同時期にパワーメタル勃興の震源地ともなった。ハロウィン(Helloween)が1987年と1988年にリリースした『Keeper of the Seven Keys』パートI・IIは、伝統的ヘヴィメタルの持つ力強いリフや高音ボーカルにスラッシュ由来の疾走感を融合し、後のパワーメタルの音楽的要素を結晶化した作品と評されている。この二つの潮流はいずれも冷戦期の西ドイツ社会を背景に独自の発展を遂げたもので、スラッシュでは核戦争や軍国主義への批判がテーマに取り上げられ(Sodomの「Nuclear Winter」等)、パワーメタルでは逆に幻想的・叙情的な世界観で冷戦下の閉塞感からの逃避が図られる傾向も見られた。

ドイツは東西冷戦の前線であった
デンマーク:キング・ダイアモンドとエクストリームの萌芽
デンマークのメタルシーンは1980年代に独自の個性を放っていた。初期にはMercyful Fate(マーシフル・フェイト)が暗黒的な音楽性と怪奇的イメージでシーンに影響を与え、ヴェノムらと並んで初期ブラックメタルの源流とも言われたが、バンドは1985年に一旦解散した。そのヴォーカリストであるキング・ダイアモンド(King Diamond)はソロに転じ、1987年にコンセプト・アルバム『Abigail』を発表している。『Abigail』はゴシックホラー風の物語音楽として評価が高く、1987年当時「元マーシフル・フェイトのボーカリストによる大作」として批評家筋の称賛を集め、キング・ダイアモンドをメタル界に確固たる地位を築かせた作品であった。デンマークには他にもArtilleryのようなスラッシュメタル・バンドも存在したが、国際的にはKing Diamond周辺の活躍が突出していたと言える。またデンマーク出身のLars Ulrich(Metallicaのドラマー)の成功に象徴されるように、同国のミュージシャンが米欧のシーンで存在感を示す例も見られた。デンマークは地理的にスカンジナビアの一角に位置し、隣接するスウェーデンやノルウェーではこの後ブラックメタル/デスメタルのシーンが隆盛するが、その前史としてMercyful FateやKing Diamondの与えた影響は大きく、デンマークの80年代メタルは後のエクストリームメタル台頭への橋渡し的な役割も果たした。

その他の地域:日本、ブラジル、東欧など
1987年当時、メタル・ムーブメントは上記以外の地域にも広がりを見せていた。日本では80年代に入ってから独自のヘヴィメタル・ブームがあり、LOUDNESS(ラウドネス)に代表される日本人バンドが海外進出を果たしていた。ラウドネスは1985年に日本のバンドとして初めて全米チャートにランクインし、1987年にも英語詞のアルバム『Hurricane Eyes』を世界リリースして米Billboard 200の190位に食い込むなど国際的な足跡を残した。この時期の日本はバンドブームの走りであり、ANTHEMやX(後のX JAPAN)など国内メタルも活況だったが、その多くは国内止まりであった。しかしラウドネスの健闘は「メタル後進国」と言われた日本からの世界挑戦として特筆に値する。
ブラジルでは、1980年代後半に極めて過激なエクストリームメタル・シーンが台頭した。ブラジルのメタルはリオのロック・イン・リオ(1985年)開催なども契機に国内人気を博していたが、特にミナスジェライス州ベルオリゾンテ出身のSepultura(セパルトゥラ)やSarcófago(サルコファーゴ)といったバンドが注目を集め始めたのが1987年前後である。セパルトゥラは1987年に2作目『Schizophrenia』を発表し、スラッシュとデスを融合させたスタイルで南米メタルに新風を吹き込み、国際的にも支持層を広げたとされる。またサルコファーゴのアルバム『I.N.R.I.』(1987年)は悪魔的イメージとノイジーな音作りで、後のノルウェー黒金属(ブラックメタル)勢に多大な影響を与えたことが知られる。ブラジルのシーンは当時「血を吐き出すような猛烈さ」とも形容され、欧米にはない狂暴なエネルギーで世界のアンダーグラウンド・ファンに衝撃を与えた。

東欧・ソビエト圏でも、冷戦体制の緩和が見え始めた1980年代後半には密かにメタルが浸透していた。共産圏当局からはロック/メタルは「資本主義の退廃的文化」と警戒されていたものの、若者文化として徐々に受容され、実際1987年当時の東独(DDR)当局者が公式に「ヘヴィメタルは社会主義音楽文化の一部」と認める発言をするまでになっていた。もっとも体制側は依然メタル愛好者を不良・過激分子と見做して監視を続けており、公認のコンサートやレコード流通には制約があった。しかし音楽テープの密売や私的な交流ネットワークを通じてメタルは東欧全域に広がり、ポーランドやチェコスロバキア、ハンガリーなどからもバンドが輩出された。例えばポーランドのTURBOといったバンドは1987年にアルバムを発表し、海外のメタル専門誌に取り上げられるなど一定の評価を得ている。また旧ソ連でも若者を中心に密かなメタル人気が存在し、1980年代を通じてソ連国内でHMバンドARIA(アリア)等が活動した他、Iron MaidenやOzzy Osbourneといった西側の大物が80年代後半にモスクワやレニングラードで公演を行うなど、文化交流も始まりつつあった。このように1987年前後には、ヘヴィメタルというサブカルチャーが西側・東側の境界を超えて地球規模に拡大していった時期でもあった。
毎年のまとめ恒例、その年の社会情勢・背景からの視点でもメタル史を見てみましょう。
音楽的・社会的背景:冷戦末期とサブカルチャーの拡張
1987年前後のヘヴィメタル・シーンの動向を語る上で、当時の社会的・文化的背景も重要である。冷戦体制が緩やかな終盤に差し掛かった1980年代後半、米ソ間の緊張は徐々に和らいでいたものの(1986年からペレストロイカがスタートし、少しづつソ連が変化しつつあった時期)、人々の潜在的な核戦争への不安や体制への不満は依然根強かった。こうした雰囲気はメタル音楽のテーマにも表れており、特にスラッシュメタルは核戦争や社会荒廃への恐怖感を鋭い歌詞で訴えることが多かった。例えばNuclear Assaultの「ゲームオーバー」やMegadethの「Set The World Afire」といった曲では核戦争後の世界や終末像が描かれ、Metallicaの「Blackened」(1988年作だがバンドは87年に制作開始)も核の冬を題材としている。メタルミュージシャンの多くが冷戦下の社会問題や政治に関心を示し、スラッシュ勢は反戦・反権力的メッセージを強く打ち出して若者の鬱屈した心情を代弁した。この辺りはハードコアからの歌詞文化の輸入、連帯が見られる。ただ、「戦争を止めろ!」的なアジテーションよりは「戦争の悲惨さ」を突きつけるような歌詞が多いのはThrash Metal、あるいはMetal音楽そのものがドラマティックであり、単純なアジテーションなどより「戦争そのもの」「戦場そのもの」を描き出すことで戦争の悲惨さを伝える、いわば映画的な表現(そこから聞き手がメッセージを自分なりに感じる)が多かったからではないかと思う。ハードコアだと、一般論として音像だけだとそんなにドラマ性がないからね。

一方でグラムメタルの歌詞や映像はパーティーや享楽的な内容が多く、冷戦の重苦しさからの逃避願望を体現した側面もあった。レーガン政権下の好景気や保守的風潮の中で、グラム/ヘアメタルの派手なファッションと陽気な音楽性は若者に一時の高揚感を与え、MTV世代のエンターテインメントとして大量消費された。このように、ヘヴィメタルというジャンル内でも反体制・批判精神を前面に出す地下志向と大衆に迎合した娯楽志向の二極が生まれたこと自体、当時の社会情勢を反映した現象であった。

またヘヴィメタルは1980年代を通じてサブカルチャーとして飛躍的に拡大・細分化した。音楽メディアや通信技術の発達により、メタルは欧米のみならず南米や東欧、アジアなど世界各地へ伝播し、各地域の文化的背景と結びつきながら多様なシーンを形成した。1987年にはその第一波としての世界的拡散がほぼ達成され、前述のようにブラジルやポーランドからも国際的評価を受けるバンドが現れ始めた。同時にメタル内部でのジャンル分化も決定的となり、スラッシュメタル、デスメタル、ブラックメタル、パワーメタル、グラムメタル、ドゥームメタル等がそれぞれ独自のファン層と文化圏を持つまでになっていた。1987年当時、米国ではPMRC(音楽の表現規制を求める団体)による激しいバッシングや検閲運動が起こり、オジー・オズボーンやJudas Priestが裁判に呼ばれるなどメタルの表現を巡る社会的論争もピークを迎えていた。
↓法廷で証言するロブハルフォード
しかし逆に言えば、それだけヘヴィメタルが社会的影響力を帯び、大衆文化の一部として無視できない存在となっていたということである。冷戦末期の閉塞感や保守化への反動として若者に支持されたヘヴィメタルは、1987年の時点で世界中のサブカルチャーに深く根を下ろし、多様化した文化現象へと発展していたのである。
次回からは1988年です。
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メタル史 1980-2009年
1980年から2009年までの30年間のメタル史を時系列で追っていきます。各年10枚のアルバムを選び、計300枚でメタル史を俯瞰することを…
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