93歳の父。『骨は海へ』が『山へ』に変わっていた
親が年を取れば取るほど、聞きにくくなることがあります。
「最後はどうしたい?」
「お葬式は?」
「お墓は?」
「お骨はどうしてほしい?」
まだ元気な頃なら、「縁起でもない」と笑いながら話せたかもしれません。でも90歳を超えてくると、その質問が急に現実味を帯びてきます。だから、聞きにくい。
父は以前、「俺が死んだら、骨は海にばらまいてくれ」と言っていました。
ところが5年ほど前、突然、
「やっぱり葬式はちゃんとやってくれ」と言い出しました。しかも、お葬式のパンフレットまで渡されました。
ええ……お葬式、するの?
正直、私はちょっと困りました。父の友人も兄弟も、すでに亡くなっている人が多く、今となってはお葬式をしても呼ぶ人がほとんどいません。
私と母と、私の子どもたちでお葬式をするのだろうか。それでも本人が望んでいるのなら、そうしなければいけないな。
そんなことをずっと心のどこかで考えていました。
そして今回、久しぶりに少し勇気を出して「お葬式、どうしたい?」と聞いてみました。
すると父は、「葬式はしなくていい」
そして今度は、
「骨は山にまいてくれ」
海から山に変わっていました。
考えてみれば、人の気持ちは変わるのです。
5年前に決めたことが、93歳になった今も同じとは限らない。むしろ「一度聞いたから大丈夫」と思わないほうがいいのかもしれません。
昔、祖母が亡くなった時に、
ちょっとした事件がありました。
祖母は生前、「自分が死んだら教会で」と言ったのですが
祖母が亡くなったとき、母は動転し、なぜか慌ててお坊さんを呼んでしまいました。
「教会って言っていたのに!」
あとになって笑い話にはなりましたが、本人の希望とは違う方向へ全力疾走してしまったわけです。
本人の希望にあった最後をプロデュースするために、そして送る人も慌てて誤った選択をしないよう、本当ならエンディングノートを書いてもらうのが一番いいのでしょう。
葬儀、お墓、財産、連絡してほしい人。
元気なうちに全部書いておいてもらえば、残された人は迷わずに済みます。
でも、高齢になればなるほど、エンディングノートを書くことが難しくなってきます。
「エンディングノートを書いておいてね」と渡しても、それ自体が大仕事になってしまうので
だったら、全部を一度に聞かなくてもいい。
テレビを見ながら。
誰かのお葬式の話が出たとき。
昔の友人の話をしているとき。
「そういえば、お父さんはどうしたいの?」
そんなふうに、普段の会話の中で小出しに聞いたほうがいいのかもしれません。
そして、聞いたことをこちらがメモしておく。
大切なのは「終活をしてもらうこと」ではなく、本人の気持ちを知っておくことなのだと思います。
死について話すことは、死を急かすことではありません。
むしろ、その人が最後まで「自分はこうしたい」と決める権利を守ることなのかもしれません。
そして今回気づいたのは、それは親のためだけではないということ。残される自分のためでもあります。
「これでよかったのかな」
「本当はどうしてほしかったんだろう」
その迷いを少しでも減らすために。聞けるうちに、少しずつ聞いておく。
93歳の父に久しぶりに聞いてみて良かった。ずっとお葬式はしなくてよいと言っていたのに、お葬式をしてもらいたいと言ったのは変だなぁと思っていたし。
とりあえず現在の父の希望は、
「葬式はいらない。骨は山へ」
ただし、海から山へ変更された実績があるので、これは「2026年最新版」として記録しておこうと思います。
私も元気なうちに、自分の希望を子どもたちに伝えておかなければと思いました。
いざというときに、「お母さん、どうしてほしかったんだっけ?」と子どもたちを困らせたくありません。
そのためには、まだ書いたり考えたりすることが苦にならない今のうちに、エンディングノートを作っておかなければと思います。
そして一度決めたことを、一生守る必要なんてない。父だって「海」から「山」へ変わったのですから。
まずは今の自分の希望を書いておいて、気持ちが変わったら、そのたびにマイナーチェンジしていけばいい。
エンディングノートは
「人生最後の決定書」ではなく、「今のところ、私はこうしたいです」という家族への伝言なのかもしれません。
親には、聞けるうちに聞いておく。自分のことは、伝えられるうちに伝えておく。
それが最後に家族を困らせないための、小さな準備なのだと思いました。
さて、私も書いておこう。
そして、ときどきアップデートしよう。人生の予定なんて、最後まで変更ありなのだから。
