届け先がいるからこそ、作る意味が生まれる
前回のnoteでは、「話すことは意思の表明」というテーマで話しましたが、今回はそこから派生して、「ものづくりの進め方」にまつわるお話を。
どこまでを見据えて話し、何を作るかという内容で向き合っていきたいと思います。
ものづくりの3ステップと届け先の重要性
私が考えるシンプルなものづくりの流れは、1.考える → 2.作る → 3.届けるの3ステップです。
「考える」では、依頼者の課題を踏まえて一緒になって理想のゴールを描き、「作る」では依頼された制作側の主な領域として奮闘する。そして「届ける」段階で初めて、“誰に、何を、どう届けるのか” の答え合わせができるということです。
だからこそ、この届け先をあらかじめ見据えていないと、完成したものの意味や目的が曖昧になってしまいます。
特にホームページのような制作物は、公開の瞬間から届ける相手がはっきりしていないと、“誰の何のために公開したんだっけ?” と、悩むことも少なくありません。
作ることに一生懸命になった結果、作れはしたけれど何のために?と後から気づくことになるのなら、作る意味があったと言えるのでしょうか?
制作会社時代の「届けられない」経験
昔、制作会社にいた頃は、依頼内容をもとに制作する(作る)ところまでで終わることが多く、「届ける」部分にはほとんど関われませんでした。
一般的に「作る」ことをお願いされているのだからその通りではあるのですが、お客さんは「良いサイトができましたね」と満足してくれるものの、その先のホームページの反応や成果は知ることができない。
そうなると、結果として制作する際のモチベーションは “依頼者を満足させられたか” や “私の表現を出せたか” といった内向きな尺度に偏ってしまっていました。
「届ける」に関与できないと決まってしまった場合に、「作る」にしか誇りを持てなくなってしまうというジレンマ、やっぱりそれはどこか、自己満足としか呼べないなとも思うのです。
理想の進め方とその落とし穴
過去には、考える段階から深く関われた理想的な案件もありました。依頼者の思いを最初から聞き、作るところまで一貫して携われる──そのプロジェクトは、私にとって最高の進め方でした。
しかし、その経験を“基準”にしてしまったことで、それ以外の案件への興味が薄れてしまうという落とし穴もありました。成功体験を得たからこそ、一度味わった成功をまた味わいたくなる。
「同じ進め方ができるクライアントでないとやりたくない」という気持ちがどんどん強くなり、結果として自らが関わるプロジェクトの幅を狭めてしまったのです。
私にとってベストなものが見つかったからこそ、そこに執着してしまうのは人間の性なのかもしれません。
届け先を最上位に置くという発想
振り返ると、一番大事なのは「届け先」を明確にすることでした。
届け先が決まることで、作る内容も変わり、届けた後には直接のフィードバックやコミュニケーションが生まれます。
だからこそ今は届け先を最上位に置くことで、進め方や作り方を毎回変化させても、モチベーションを保てるようになりました。
制作会社時代、どこか内輪だけで盛り上がるような閉じたものづくりになりがちだったのは届け先がデザインされていなかったからだと思いますし、評価軸も「見た目の良し悪し」に偏っていたと思います。
今では、クオリティだけでなく「誰のために、何をするつもりで作ったのか」「実際に届けたい人に届いたのか」を重視できています。
そのために、ものづくりをしているとでも言っていいほどに。
それでは今日は、この辺で。
音声でもお楽しみいただけます。

