猫日和 511 今日はガロアの命日


ガロアとはフランスの数学者の名前で、
貰われて来た時、息子が数字に凝っていて、その名前をつけた。男の名前なのだけれど。
あとの猫の名前は、その都度思いついて、子どもたちがつけ、変な猫集団。
一時は7匹いたから、大変賑やかであった。
野方の猫好きのPTA仲間が、
2匹も3匹も同じでしょう?
4匹いれば5匹も変わらない。
など言って、道端で猫を拾っては、うちに連れてくる。
その当人は、ご主人が
これ以上猫が増えるなら俺は出て行く、
猫か、俺か、
など選択を迫り、2匹飼うのが限界、と。
でも、その彼女は2011年に癌で突然に亡くなってしまった。
今は天国で、私が送る猫達の面倒を見ているはず。
ガロアが、うちに来たのは、1995年の7月で、ブリーダーをしている人が健康上の理由で飼えなくなった、ということで、千葉県の袖ヶ浦まで貰いに行った。
その10日ほど前、飼っていた猫1号と2号が立て続けに世を去り、私は、落ち込んでいるので、電話、やメール、いっさいの連絡を遠慮して、と友人に書き送った。
その悲しみに暮れる私のメールを読んで、遠慮するのではなく、
ちょうどよかった、と連絡してくる奴もいたわけで。
ガロアがこの世を去ったのが2015年だから、猫としては長寿の方だと思うが、
もう行きます
という様子が見えて、その日は午前中からずっと抱いていた。
呼吸にも表情にも大きな変化もなく、そっと腕の中で力が抜けたのが分かり、旅立った、と知る。
もう二度とこの思いはしたくない。
可愛らしい猫は周りに沢山いて、保護猫を貰ってくれませんかというお尋ねも、時々来る。
けれど、自分の残りの人生の時間、どれだけ責任を持って猫の面倒を見られるか、と思うと、正直、それは無理、と思う。
だから、もう猫は飼えない。
人生のかけがえのない体験は、2015年で終了した。
絵のモデルになる猫は身近にいなくなり、もう描かなくなって20年以上になる。
銀座プランタン(もうなくなってしまったが)の
猫猫猫展
にも出品して、なごみ猫の作家さん、などと呼ばれたこともあり、また、谷中のねんねこ屋に作品を置いてもらえたこともあるが、その後、4人の親の介護で、17年、絵どころではない生活が始まった。
同居だったため、介護のサポートもかなり制限があり、
やはり、髪振り乱してやるしかなかった。
どんな昔の人に会っても、
あ、猫の絵の方ね、
と覚えてもらえてはいる。
銀河鉄道777の松本零士さんにも、
私の描く猫が、
うちの猫そっくりだ、
と褒めていただいた。
猫は、大抵似ているものだけれど、とは思うけれど、
多くの人が、うちの猫そっくり、うちの猫に似ている、と声をかけてくださる。
そろそろ絵も再開したいな、と思うけれど、残念なことに、モデルになる肝心の猫がいなくなってしまった。
それでも、11年も経つと、
抉られるような悲しみからは解放されつつある。
あの世で待っていてね、
と再会の期待を心の片隅に置いている。
