見えない「ありがとう」も、見える世界ならいいのに。
給与明細を見るたび、ため息が出ることはありませんか? 引かれている高い保険料、そして税金。お給料が上がっても、手取りが増えません。
これらは一度、国などの機関が回収して、みんなに分配されます。
医療費や、生活保護をはじめとした福祉、そして年金にも。
間違いなく、みんなが払ったお金で、誰かを支えている。
でも、医療にかかった人も、福祉を受ける人も、年金をもらっている人も、「払ってくれた人」に直接感謝を言う場がどこにもありません。
だから、払う側が「ありがとう」と言ってもらうことがない。
自動的に「吸われていく」お金のように感じられる。
「ちゃんと血税として役立てています」
そう言われたって……。
本当に? 無駄遣いをしていない?
信じられなくなるから、払う側はどうしても厳しい目を向けてしまうんですよね。
「もっと医療費を削ろう」
「生活保護は不正受給ばかりだ」
「年金生活者は現役世代を追い詰める」
行き場のない負担感から、そんなことを口にする方もいる。
一方で、貰う側も苦しい時がある。
肩身が狭いからこそ、「当然の権利」だと強く主張してしまう。
「削れと言うことは、もう生きるなということか! 生存権の侵害だ!」
攻撃されたと感じて、そんな気持ちになってしまう人もいますよね。
一方で、「支えられる」ご自身のことを本当にみじめに感じておられる方もいます…。
でも、
「支える側」と「支えられる側」
あるいは
「これまで支えて来た側」と「これから支えていく側」
これは、実際には「助け合って」いるんですよね。
本当は、助け合っていれば、「ありがとう」「ごめんね」「次は私が助けるからね」そんな風に、思えるのが自然ではないでしょうか。
でも今の仕組みの中では、お互いに「感謝」でつながれないから、分断されてしまうのかもしれないなぁ、と考えました。
私もそうですが、実際を考えると、誰でも、支える側、支えられる側、両方になったことがあるはずです。
病院に行ったことがない人はいないでしょう。
窓口で払うお金が「3割しか負担しなくていい」ということは、7割は誰かが払ってくれている。
「誰か」とは国や行政という顔の見えない誰かではなくて、一生懸命に働いて、税金や保険料を納めてくれている、血の通った人間です。
でも、当たり前になってしまっているから、ありがたみも湧きづらい気がします。
私自身も、病気がひどい時は様々な福祉制度に支えてもらいます。
医療費だって、本来なら払えないような、ばかにならない金額を使っています。
それらが無かったら……今生きていたかもわかりません。
お金って人を助けるものなんですよね。
今の社会では、お金は命そのものになる。
だから、本当にありがたいです。
支えて頂いて、感謝しています。
そういう風に考えてみると……。
「あなたのお金で、今月も薬が買えました」
「ありがとう」
「負担をかけてごめんなさい。いつも助かっています」
と言いたいし。
払う側としても、そう言ってもらえたら、なんだか……。
「まぁ、高いけど、誰か助かるなら……」
と、納得しやすい気がするのは私だけでしょうか。
もちろん、「それでも自分や家族の生活が苦しいんだから。言葉じゃ何も変わらない」と感じられる方もいると思います。
それも無理もないことです。
自分がそもそも幸せで、元気でなければ、他人を助けるのだって難しいのですから。
でも私は、気持ちの上では、ないよりも、どこかにそういう場があった方がいい気がするんですよね。
そうじゃないと、払う側は「搾取されるだけ」受ける側は「当然の権利を享受しているだけ」になってしまって、社会とのつながりの感覚や、他人への感謝、労いも忘れてしまう気がして。
あなたはどう思いますか?
毎月や、あるいは一年に一度でも。
年金や医療、生活保護で命をつなげられた人から、メッセージが届くとしたら。
「あなたのおかげで、この一年、生きて来れました」
「あなたのお金で、節約しながら、ごはんも食べれたし、服が買えました。ありがとう」
そう言ってもらえたら、支払う時の気持ちとして、何か変わりそうですか?
もちろん、強制ではなくて、「ありがとう」を言いたい人から募ってみて。
私だけの感覚かもしれないから、そんなことを聞いてみたくなりました。
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