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トッカン-警視庁異常事案特別管理室- 第1話④

 嵯峨野はもう一度、ゆっくりと室内を見て回る。シンプルな部屋は被害者の性格がよく表れている。テレビのリモコンはローテーブルの上に真っ直ぐ置かれ、ハンガーラックに掛かっている洋服も丈の長さ順に並べられている。

 テレビ台とローテーブルの横幅は揃えられ、セミダブルのベッドはホテルのベッドメイキングでも頼んだかのように皺一つない。勿論、床には髪の毛一本すら落ちていなかった。
 几帳面で綺麗好き。なのに、どこか違和感がある。

「……鏡がない」

 部屋の中には姿見一つなかった。洗面台を確認すると、鏡を覆い隠すようにモノクロの写真が飾られている。写真に写っているのは眠るビーグルだ。魚眼レンズで撮影しているのか、鼻が強調されている。

 可愛らしい写真だが、鏡の前に飾る写真でもないだろう。浴室の中にも鏡はない。

「なんで」

 これほどまでに几帳面で綺麗好きな人間が、自分の身だしなみを確認しないわけがない。なのに、この部屋には自分を映す鏡だけが存在しない。まるで自分の姿を消し去りたいとでも思っているような部屋……嵯峨野はそんな印象を受ける。

「野村さん、ガイシャの所持品確認しても?」
「ああ、一通り確認してるから問題ない」
「ありがとうございます」

 蓼野が使用していた黒いボディバッグの中身を取り出し、床に並べていく。
 財布、スマホ、キーケース、小さなビニールパック。この四つしか入っていない。財布の中身はクレジットカードとマイナンバーカード、それから少しの現金しか入っていない。

 スマホは生体認証ロックがかかっていたため後回しにする。キーケースの中には自宅の鍵と恐らく自転車の鍵。車は持っていないようだ。
 そして小さなビニールパック。ゴミなのだろうが、何かが引っかかる。

「何か見つけたか」
「あ、いや……特に重要そうなものは……あっ!?」
「うお、な、なんだ。どうした」

 松田の問いに首を振りかけて、嵯峨野の脳に電流が走った。重要と言えるかわからない。この共通点が何を示すかもわからない。だが、今までの被害者全員が当てはまるとなれば黙っている理由もない。

「や、あの……俺の勘違いかもしれないんですけど」
「言ってみろ。重要かそうでないかは俺が判断する」
「じゃ、じゃあ……」

 松田の様子を窺うように、嵯峨野は口を開いた。

「この異常増殖事件の現場、今回で四件目です。その四件全て、ガイシャの自宅に鏡がありませんでした。それから、ゴミだと思ってましたがこのクリアパック……他の三件の所持品の中にも入ってます」

「……それで、鏡とクリアパックの共通点にお前は何を見つけた」
「まだ、ガイシャのスマホを確認しないことには確信が持てませんけど……彼らは鏡を見たくなかった。それくらい、精神的に不安定な状態で生活していたのかもしれません」

 続けろ、と松田の視線が語っている。

「蓼野のこの部屋も、病的なまでに整理されてます。他の三件も、程度は違ってましたけど似たような現場でした。アルコールの空き瓶を並べたり、偏執的にグミのパッケージを溜め込んでいたり。だから、何らかの精神疾患を抱えて安定剤を服用していた……んじゃないかと」

 確信のないまま、嵯峨野は推理とも呼べない憶測を松田に伝える。松田は難しい顔で嵯峨野の言葉を聞いていたが、

「鏡とクリアパックの共通点は間違いないな?」

 と念を押すように尋ねた。

「はい。俺の記憶が間違えるはずありませんから」
「……そうだったな」

 自信満々の嵯峨野に、松田は溜め息をついて頷いた。

「松田さん、緊急解除の申請させてください」

 蓼野のスマホを掴んだまま、嵯峨野は松田を見上げる。松田は好きにしろ、と言うように片手を振った。

 二年前、改正証拠保全法により生体認証のロック解除申請が簡略化されるようになった。警察手帳のエンブレムをスマホの背面に押し当て、内臓チップでIDを読み取る。申請ボタンをタップすると通信会社から照会が入り、最終的には各県警本部の承認を得て該当通信機器のロックが遠隔解除されるという仕組みになっていた。

 法改正当初は人力で対応していたため承認までに時間がかかっていたが、今ではAIを活用しているため五分もかからずロック解除される。
 手早くスマホのロックを解除した嵯峨野は、インストールされているアプリを確認していく。

 デリバリーアプリ、動画配信サイト、有名サイトのSNSが三つほど、そして大手チャットアプリ。

 まずは着信履歴とフォトアルバムを確認する。着信履歴は迷惑電話らしきものが数件しか残っていなかった。フォトアルバムの方は、蓼野と思われる男の姿は一つも映っていない。鏡の無い部屋に住んでいたのだから、自分の姿を写真に残すことに抵抗があったのかもしれない。

 続けてチャットアプリを開く。トーク履歴を確認していると、美容クリニックとメンタルクリニックの予約履歴が残っていた。やはり、と確信すると同時に高揚感が湧いてくる。だが、ぐっと堪えて最上部の最新メッセージ欄にも目を通す。

『今日はありがとう』
『これで俺も変われるかもしれない』

『良い夢見れますように』

 そこにはたった三つのメッセージが残されていた。
 蓼野と、Mという黒いアイコンの誰か。最後のメッセージの受信日時は六月八日二十三時四十二分。蓼野涼次が帰宅する直前、死亡する直前の時刻だ。

「松田さん、ちょっと」
「何か見つけたか」
「見つけたと言えば、まぁ……見つけたというか」
「なんだ、ハッキリしねえやつだな」

 煮え切らない嵯峨野の態度に悪態を吐きながら、松田は蓼野のスマホを覗き込んだ。

「これ、この二つがメンタルクリニックと美容クリニックの予約履歴です。やっぱり蓼野は容姿にまつわる精神的な問題を抱えていた可能性が高い。他の三人も、もしかしたら同じかもしれない」

 嵯峨野は説明しながら、Mとのトーク履歴を表示した。

「それからこれ。一番上にあったチャット履歴です。受信日時が零時前。これ以前にチャットをした形跡はないですね。内容もですけど、時間もちょっと気になって……」

 松田は画面を睨むように中身を読んで、眉間の皺を一層深くする。自分の直感を理解して貰えるだろうか。嵯峨野は不安を覚えながら松田の言葉を待った。

「まぁ、怪しいっちゃ怪しいがな。開示請求かけるにもこれじゃ証拠が足りねぇ」
「……っすよねぇ」

 だが、松田からは「不十分」のハンコが押されてしまった。自分でも、無理矢理に点と点を繋げている自覚はあった。それでも、透明な糸に色がつき始めているのだ。この予感を、取り逃したくはなかった。

「またいつもみたいに病死扱いで、終わらせたくないですよ」
「解剖結果もDNA検査も明らかな異常を認められない、って判断なら今回もそうなるな。これのどこが異常じゃねえってんだか」

 松田の言葉に溜め息が漏れそうになる。だが、嵯峨野は口を閉じてぐっと飲み込んだ。そんな嵯峨野の背中を、松田の手がバシンと叩く。背骨は折れてねえな、と確認されているようで嵯峨野は姿勢を正す。

「けどな、諦めるにはまだ早い」
「……え?」
「可愛い部下がせっかく新しい情報を手に入れたんだ。使わない手はねえだろ」

 戸惑う嵯峨野に向けて、松田は老獪な笑みを向けた。