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私には、ふたつの名前がある

 自分のなかに中国の血が流れているということをほとんど自覚しないまま、この26年間を生きてきた。私は、父が日本人、母が中国人の日中ハーフだ。アジアとアジアなので、自ら言わなければハーフと見られることはないほど、見た目は日本人にも見えるし、中国人にも見えるだろう。生まれも育ちも日本な私は、日本の教育を受け、日本で就職し、日本の常識のなかで生きてきた。中国に行ったのは26年間で4回だけ。2歳頃、保育園生の頃、小学6年生の時、そして今回。滞在期間はそれぞれ2週間程度。過去3回の中国での滞在はほとんど記憶にない。そして昨日、約13年ぶりに訪れた中国から帰ってきたところだ。

 2024年からの2年間は特に、私はずっとひとりぼっちで孤独な人間だと思っていた。家族とも離れて暮らし、慣れない仕事に奔走する日々。家族といえば、山梨にある実家が思い浮かび、中国のことを思い出すことはほとんどない。家族であるという自覚すらほとんどなかった。おばあちゃんと言えば父方の祖母が思い浮かび、母方の祖母もおばあちゃんだという自覚も薄かった。母と一緒に暮らしていた頃、母はよく中国の家族とビデオ通話をして連絡をとっており、その際に母方の祖母や祖父に挨拶をする程度のことだった。私は中国語が話せず、祖父母がなにを言っているのか全くわからなかったので、ビデオ通話を嫌がった。コミュニケーションを取りたいとも思わなかった。

 大人になってから初めての中国への渡航。母の実家への帰省。母方の親族との再会。約13年という長い月日は、気付かぬうちに流れ去っていた。桂林空港で祖母を見つけた時、涙が止まらなくなった。13年ぶりに再会した。前回会った時の記憶より、祖母は背中が丸まり小さくなっていて、手の甲の皮が薄くシワシワで、時の流れを無意識に感じさせた。

 私には、ふたつの名前がある。ひとつは、日本での戸籍上の名前。もうひとつは、中国での名前。日本の名前は父が付けてくれた。中国の名前は母がつけてくれた。日本の名前は漢字が格好良く、画数のバランスがよく、初見では読めないところが、とても気に入っている。中国の名前は、中国の家族がビデオ通話の時に「レイ」と私を呼ぶが、その漢字をどう書くのか、その名前にはどんな意味が込められているのか、全くといっていいほど知らなかった。今回の渡航で初めて興味を持ち、母にその漢字を聞いた。
 私の名前は「蕊」と書く。直訳は「花のめしべ・おしべ」。産まれた時、鼻のてっぺんに、花のしべのような黄色い斑点があったことから、母が名付けたそうだ。名前としては「花のように美しく、内側に豊かなものを持つ人」という意味が込められる。私は生まれて26年目にして初めて、この名前を自覚した。そして、心の底から気に入った。私には日本の名前とは違う、もうひとつの名前の「蕊」が通っていたんだということが、すとんと心の奥に落ちた。一番は、「心」という漢字がみっつ入っていること。私は人よりも感受性が豊かな自覚があり、良い意味でも悪い意味でも泣いてしまうことが多い。名前に「心」がみっつも入っていたから、これが私なんだ、と良い意味で捉えることが出来た。

 中国は日本よりも家族意識が強い社会だと思う。家系の血筋を残すことがとても大切であり、家族みんなでよく集まり、食事をとる。父母、祖父母だけではなく、親戚とも仲良く、頻繁に連絡をとり会う。私は、26年間で初めて、中国の親族を「家族」だと認識した。それまで、祖母を「外婆(ワイポー)」と呼び、祖父を「外公(ワイゴン)」と呼ぶことがとても空虚なものに感じられていた。しかし、今回初めて、血の通った、「外婆(ワイポー)」「外公(ワイゴン)」と、呼ぶことが出来たと思う。中国最終日、祖父母を抱きしめた時、祖母に手を握ってもらった時、涙が溢れて止まらなくなった。あの時本当の意味で初めて、祖父母と思えたのかもしれない。おばあちゃん、おじいちゃんとの別れが惜しかった。あとどれくらい元気でいてくれるのか、誰にもわからない。すぐに会いに行ける距離でもない。でも絶対に、また会う日まで、元気で生きていて欲しい。

 日本から2,200km離れた場所に、家族が暮らしている。この事実が、私を大きく支えてくれる。




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