人生のどん底で拾った小さな光。「すべてが、あなたにちょうどいい」のかもしれない。
この5年間、僕はまるで出口のない、長い長いトンネルを歩き続けているようでした。
振り返れば、そこには「努力、辛抱、忍耐」という、自分を鼓舞するための言葉の残骸だけが転がっています。
物語の始まりは、大きなプレッシャーのかかる仕事でした。
重責をやり遂げた達成感と引き換えに、僕の心は静かに壊れていきました。眠れない夜が続き、朝が来るのが怖い。
かつて楽しかったはずの全てのことが色を失い、心が鉛のように重くなる。診断は「適応障害」。
回復には、3年という長い時間が必要でした。闇の中に差し込む光を探すように、ただひたすらにもがく日々でした。
ようやく回復の兆しが見え、異動を命じられた先で待っていたのは、また新たな試練でした。
部下との間に生まれた深い溝。何を言っても響かない壁。僕が信じる「正義」は、彼らの前では無力でした。
日々、出勤する足取りは重くなり、会社という場所がまるで息のできない水中のように感じられました。
この経験を通して、僕は痛みを伴いながら学びました。人にはそれぞれの正義があり、それぞれの価値観がある。
僕の物差しだけが、世界を測る唯一の基準ではないのだ、と。
この頃、僕の心は常に不安に揺れていました。
適応障害の経験から、
「この先、家族を養っていけるのか」
「この職場で、僕は本当に働き続けられるのか」
という恐怖が、黒い影のように付きまとっていたのです。
その不安を振り払うかのように、僕は副業の世界にのめり込んでいきました。
本業で疲れ果てた体を引きずり、夜はパソコンに向かう。家族との会話が減り、子供の寝顔しか見られない日が増えていく。
週末も休むことなく働き続けました。
「すべては家族のためだ」と自分に言い聞かせながら。
贅沢はせず、ひたすら節約し、稼いだお金は未来への安心材料として積み上げていく。そうやって、努力と辛抱を重ねて、僕は走り続けてきました。
けれど、今年、その努力が積み上げたすべてが、砂上の楼閣のように崩れ去りました。
信じていた副業の話が、巧妙に仕組まれた詐欺でした。気がついた時にはもう手遅れで、僕が15年間かけて築き上げた全財産が消えていました。
それだけではありません。
残ったのは、膨大な借金。
目の前が真っ暗になる、という陳腐な表現では足りない。本当に、世界から音が消え、色が消え、ただただ白い虚無が広がっていました。
頭が、真っ白になりました。
そして、追い打ちをかけるように、最愛の妻に大きな病気が見つかりました。
失うかもしれない、という恐怖。
当たり前だった日常が、いかに奇跡的なものだったかを突きつけられる日々。手術の日を待つ時間は、永遠のように長く感じられました。
まさに、人生のどん底。いや、一度底を打ったかと思ったら、さらに深い二番底があった。もうこれ以上、落ちる場所はないだろう、と。
▼「頑張るな、周りを見ろ」という声
そんな絶望の淵で、僕は一冊の本と出会いました。そこに書かれていた言葉が、僕の心を激しく揺さぶったのです。
「私たちの人生は、自分の人生のシナリオを最初から承知で生まれて、すべての事柄をそのシナリオに書いてきたらしいということです。」
「努力をしなくてもいいのです。努力とは、逆です。」
まるで、頭を殴られたような衝撃でした。
僕がこれまで金科玉条のように信じてきた「努力は必ず報われる」という価値観が、根底から覆された瞬間でした。
お金のため、名誉のため、安心のため。ただひたすらに前だけを見て、歯を食いしばって頑張り抜いてきた僕の人生。
その結果が「すべてを失う」ことだったなんて。
これは、罰なのだろうか。
僕の生き方が間違っていたという、神様からの鉄槌なのだろうか。
いや、違うのかもしれない。
これは、僕自身が、生まれる前に書いたシナリオリオなのかもしれない。
「お前の人生はそっちじゃない。そんなに頑張らなくていい。もっと周りを見ろ。大切なものは、足元にあるじゃないか」と。
宇宙が、あるいは僕自身の魂が、強制的に僕の人生のハンドルを切り、全く違う景色を見せようとしているのではないか。そんな気がしたのです。
▼セピア色の世界が、色鮮やかに変わった日
不思議なことが起こりました。
全てを失い、妻の病という耐えがたい現実と向き合う中で、僕は初めて「気づいた」のです。
今この瞬間、僕がいかに「恵まれているか」ということに。
銀行の預金残高は見るのも恐ろしい数字になり、頭上には借金という黒い雲が垂れ込めている。それなのに。
朝、窓から差し込む光の美しさに、ふと涙がこぼれました。妻が「おはよう」と微笑む、その当たり前の奇跡に胸が熱くなりました。
子供たちの他愛ない冗談に、心の底から笑っている自分がいました。
お金と不安に心を支配され、未来のことばかりを考えていた頃、僕の世界はまるでセピア色の古い写真のようでした。
そこには喜びや感謝の色はなく、ただ「もっと稼がなければ」「もっと節約しなければ」という強迫観念だけがあった。
しかし、すべてを失った今、世界は驚くほど鮮やかな色彩を取り戻したのです。
「本当に大事なことは、『今、この瞬間を、どういうふうに生きるか』ということだけです。」
本の中のこの一文が、僕の心に深く染み渡りました。
過去を悔やんでも、未来を憂いても、僕たちが生きられるのは「今」この瞬間しかない。
目の前にある妻の温もり、子供の笑顔、一杯のコーヒーの香り。その一つひとつに「念(今の心)を込めて」味わうことこそが、本当の豊かさであり、幸せなのだと知りました。
▼すべてが、あなたにちょうどいい
適応障害になったこと。
人間関係で苦しんだこと。
全財産を失ったこと。
そして、妻の病。
これらの出来事の一つひとつが、僕の人生のシナリオに書き込まれていたとしたら?
それが、僕がより深く生きるために、僕自身が用意した「舞台装置」だったとしたら?
「すべてが、あなたにちょうどいい。」
本はそう語りかけます。
辛く苦しい出来事も、何かを教えるために、僕が自分で書いたシナリオの通りに起きている「ちょうどいい」ことなのだとしたら。
そう考えると、景色は一変します。
適応障害は、僕に「立ち止まること」「自分の心と向き合うこと」を教えてくれました。
部下との対立は、「人にはそれぞれの正義がある」という多様性を教えてくれました。
詐欺被害は、「お金への執着を手放し、本当に大切なものは何か」を教えてくれました。
そして、妻の病は、「『今』を生きることの尊さ」を、身をもって示してくれています。
「宇宙のバランスは五〇対五〇」
という言葉もありました。
僕にとって手厳しい批判者に見えた部下も、僕の人生のバランスを取るために必要な存在だったのかもしれません。
全ての出来事が、光と影、プラスとマイナスを織りなしながら、僕の人生というタペストリーを編み上げている。そう思えるようになりました。
苦労や困難は、これから訪れる最高の幸せの前兆だとも言います。
人生のどん底と二番底を経験した僕は、ここからどこまで幸せになっていけるのか。
それはもう、他人との比較や世間の価値観の中にはありません。
僕自身の心が、「幸せだ」と感じるかどうか。ただそれだけ。
もう、誰かと比べたり、世間の価値観に自分を合わせたりするのはやめにします。
ただ、目の前の幸せを大切に、感謝とともに「流れを受け入れて」生きていこうと思います。
もし今、あなたも出口の見えないトンネルの中で、膝を抱えているのなら。
少しだけ、顔を上げてみませんか。
頑張りすぎなくていい。
走り続けなくていい。
あなたの周りにも、きっと驚くほど色鮮やかな世界が広がっているはずだから。
そして、その苦しみもまた、あなたにとって「ちょうどいい」ことなのかもしれません。
未来のあなたが、今のあなたに感謝するための、最高のギフトなのかもしれません。
