エンタメハラスメント
※今回の記事は通常のものより少しだけ長めに構成されておりますのでお忙しい方は小分けに読むことを推奨します。
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あとねー、
えーとねー、
エンタメを何にでもぶっかけるな
「みんな好きでしょ?」
そう言いながら、みんなでシェアする唐揚げに、勝手にマヨネーズをぶっかけるヤツがいる。
ちょっと待て。
マヨネーズが好きな人もいる。たっぷりかけたい人もいる。何もつけずに食べたい人もいる。レモン派もいる。塩派もいる。そもそも唐揚げを食べたくない人もいる。
自分だけが食べる唐揚げなら、好きなだけかければいい。追いマヨでも、追い追いマヨでも、もはや唐揚げが見えなくなるまでかけても構わない。
でも、誰かとシェアする唐揚げなら、
「マヨネーズ、ぶっかけても大丈夫?」
と、ぶっかける前に確認してほしい。
かけてしまってから、
「みんな好きでしょ?」
「おいしいんだからいいじゃん」
「嫌なら食べなければいい」
と言われても、もう元の唐揚げには戻せない。
問題は、マヨネーズではない。勝手にぶっかけたうえに、「おいしい」と言うことまで求めてくる態度だ。
エンタメという名の追いマヨ
「これはエンタメです」
「冗談なんだから笑って」
「フィクションだから本気にしないで」
「楽しめないほうが悪い」
これも、どこか似ている。
エンタメだから何を言ってもいい。エンタメだから誰かを傷つけてもいい。エンタメだから、受け取った側は笑わなければならない。
そうやって「エンタメ」という言葉をあとからぶっかけて、失礼も責任も全部まろやかにしようとする。
エンタメを、マヨネーズみたいに使うな。
当店は、ぶっかける店です
ただし、ここで当店から大切なお知らせがあります。
ちなみに当店では、唐揚げにマヨネーズをぶっかけた状態で提供しております。
店主がマヨネーズをこよなく愛しているからです
それが売りです。
メニューにも書いてあります。店の看板にも、わりと大きめに書いてあります。
そのため、マヨネーズが苦手な方には、残念ながら当店をおすすめできません。
世の中には、塩で食べるおいしい唐揚げもあります。レモンの似合う唐揚げもあります。衣が薄い店もあれば、バリバリに固い店もあります。
どうぞ、ご自分に合う唐揚げを選んでください。
「嫌なら見に来るな」も一理ある
すべての発信が、すべての人に向けられているわけではない。
発信する側には、どんな味で提供するかを決める自由がある。見る側には、どの店に入るかを選ぶ自由がある。
自分には合わない。見ているとしんどい。どうしても好きになれない。
そう感じたなら、そこから離れていい。
苦手な発信をわざわざ見続けて、毎回、
「この唐揚げ、マヨネーズがかかってる!」
と怒りに来なくてもいい。
看板に書いてある。
当店は、ぶっかける店です。
だから私は、「嫌なら見に来るな」という言葉を全面的に否定するつもりはない。
ただし、それは、どんなものなのかを最初に示したうえで言う言葉だと思う。
何がかかっているか分からない唐揚げを口に入れさせてから、
「嫌なら食べなければよかったじゃん」
では、順番が逆だ。
やるなら最初に示す
何も知らせずにマヨネーズをぶっかけておいて、
「うちは昔からこうなんで」
「エンタメなんだから楽しんで」
「嫌なら来るな」
と言うのは違う。
何が出てくるのかを最初に示す。それを見て、入るかどうかを相手に選んでもらう。
大切なのは、マヨネーズをかけるかどうかではない。
最初から示していたか。相手が選べる状態だったか。そして、自分の店の味として責任を持って提供しているか。
エンタメも同じだと思う。
「これはフィクションです」
「こういう表現を含みます」
「エンタメとして発信します」
やるなら、最初に示す。
すべてを見せたあと、批判されたから「エンタメです」と付け足すのでは遅い。
それは味付けではない。
証拠隠滅用の追いマヨだ。
見る責任と、発信する責任
「嫌なら見るな」と言えば、発信した側の責任までなくなるわけではない。
誰かの尊厳を傷つけたことも、他人を笑いものにしたことも、事実ではないことを広めたことも、「見に来たほうが悪い」では片づけられない。
見るか見ないかを選ぶのは、受け取る側の責任。
何を、どんな言葉で発信するのかを選ぶのは、発信する側の責任。
その二つは、分けて考えたほうがいい。
万人に受け入れられる物語なんてない。
どれだけ丁寧に作ったものでも、好きな人もいれば、嫌いな人もいる。笑う人もいれば、不快に感じる人もいる。
受け取り方まで、発信する側がすべて決めることはできない。
でも、論点はそこではない。
すべての人に好かれることと、自分の発信に責任を持つことは、まったく別の話だ。
「苦手」と「尊厳を傷つける」は違う
私にも、どうしても苦手なものがある。
何が苦手なのかは明かさない。理由についても、ここで説明するつもりはない。
苦手だと感じることと、誰かの尊厳を傷つけることは同じではないからだ。
私は、自分の感情まで嘘にしたくない。けれど、その感情を理由に、誰かが存在する価値まで否定したいわけでもない。
だから、言えないのではなく、言わない。
誰かを攻撃するための材料にしたくない。憶測で、関係のない人まで巻き込みたくない。
嫌いなものを嫌いと言うことと、ひとくくりにして貶すことは違う。自分の経験を語ることと、相手の尊厳を踏みにじることも違う。
何を言ったかだけではない。
どんな言葉を選んだのか。どこまで伝えたのか。何をあえて言わなかったのか。
そこにも、発信する人の姿勢は表れる。
消したからって、匂いは消えない
SNSで発信するというのは、そういうことだ。
画面の向こうにいるのは、再生回数でも、フォロワー数でも、コメント欄を埋める文字でもない。一人ひとり、感情を持った人間だ。
軽い気持ちで投げた言葉が、誰かの中に長く残ることがある。笑いを取るために載せた写真が、写っている人を傷つけることもある。
投稿を消したとしても、それで全部がなかったことになるわけではない。
誰かの記憶には残っている。保存されているかもしれない。別の場所で語られているかもしれない。
消したからといって、匂いまで消えるわけではない。
マヨネーズの油染みは、なかなか取れない。
思い返してほしい。
今まで、どんな発信をしてきましたか。
誰かを笑わせるために、別の誰かを笑いものにしていませんでしたか。
その写真は、本当に残しても大丈夫な写真でしたか。
「エンタメだから」と言いながら、誰かの尊厳を置き去りにしていませんでしたか。
その言葉は、これからもあなたの言葉として残る。
私が発信を消さない理由
私は、自分の発信を消さない。
中には、攻撃的に見える内容もある。言葉が強いものもあれば、読む人によっては不快に感じるものもあると思う。
それでも残している。
都合が悪くなったから消して、最初からなかったことにしたくない。
一度、自分の言葉として発信したものには、責任を持ちたい。
それも理由のひとつだ。
けれど、過去の自分への責任だけで残しているわけではない。
言葉が強くても、あえて伝えたいことがある。
誰にでも好かれるように丸く整えたら、本当に伝えたかったことまで薄まってしまうことがある。強い言葉でなければ、届かないこともある。
だから私は、その強さごと残している。
当店は、マヨネーズをぶっかけた状態で提供します。
それが私の発信であり、私の言葉です。
合わない人に、無理に食べてほしいとは思わない。
けれど、食べてくれる人に対して、
「エンタメだから、何が入っていても黙って笑って」
とも言いたくない。
攻撃的であれば何を言ってもいい、とは思っていないからだ。
誰かの尊厳を傷つけることと、覚悟を持って強い言葉を選ぶことは違う。
間違っていたなら、間違っていたことも残す。考えが変わったなら、変わったことを新しい言葉で伝える。
そして今も伝える必要があると思うものは、あえて消さずに残す。
私が発信を残すのは、過去の自分を正当化するためではない。
自分の言葉に責任を持つため。
そして、今も誰かに伝えたい言葉だからだ。
私はそれを「エンタメハラスメント」と呼びたい
エンタメは、責任を薄めるためのものではない。
失礼をまろやかにするものでもない。
誰かの尊厳を踏みにじったあとにかける、便利な調味料でもない。
「これはエンタメなんだから、黙って笑って」
そうやって、受け取った側に理解と笑顔を強要する。
私はそれを、「エンタメハラスメント」と呼びたい。
マヨネーズをかけるなら、先に聞け。
聞けない場所なら、先に示せ。
ちなみに当店は、ぶっかける店です。
メニューにも書いてあります。
※というか今日メニュー整えました!
どうぞ、よく読んでからご来店ください。
