見出し画像

際をわたる誠実な鬼、内藤廣 ~突撃!例の建築家の手すり ㉒


建築設計という商売を場外から眺める立場になってずいぶん経つけれど、建築を見たり上ったり下りたりするのは好きである。そうしているうちに、なんでこれこうなってんの?ということを考えるのだけど、そんなとき、それを設計した人がどんな人かまで遡ると、わずかではあるものの、その理由がわかった心持ちになる。それが正解かはわからないけれど、ちょっと謎が解けてスッキリするのですね。

言葉では語られない難解なパズルとしての建築を、手すりと人から読み解くのは結構楽しいぞ?ということで始めたこのシリーズ、今回は内藤廣という誠実で不器用(失礼)な建築家のお話です。



内藤廣について


今年の夏、東京で二つの展覧会がありました。

 「建築家・内藤廣展 in 渋谷」実行委員会(委員長:小林幹育)は、2025年7月25日(金)から8月27日(水)まで、「建築家・内藤廣 赤鬼と青鬼の場外乱闘 in 渋谷」(以下、本展覧会)を渋谷ストリーム ホールにて開催します。日本を代表する建築家であり、渋谷駅周辺の再開発において、2006年から建築デザインや景観を調整する「デザイン会議」の座長などを務める内藤廣が手がける全45のプロジェクトを、内藤自身の頭の中に宿る「赤鬼」と「青鬼」が、リング下の場外乱闘さながらに解説する、異色の展覧会です。

 

残念ながら自分、こちらには行けなかったのですが、ほぼ同時に開催されていたのがこちら。

紀尾井清堂や富士高原研修所を設計した建築家・内藤廣氏の約40年分の手帳を年代別に公開。その他、旅先でのスケッチや思考の概念図、図面や写真などをふんだんに展示。卓越した思想を持つ建築家の思考の跡をたどります。

 

なかなか内藤さんの建築を見る機会がなくここまで過ごしていた自分ですが、これは彼の設計したレア建築を見るチャンス。たまたま展示最終日の9月30日(火)、午前中に新宿三丁目、午後遅めに厚木という用事が重なり、その合間に1時間ちょいある!ということで地下鉄にダッシュしたのでした。

そして内藤さんのこれまでを改めて振り返り。灯台下暗し、このサイトの記事で、彼が5歳から鎌倉に住まわれていたことを知りました。


そんな地元の親近感を覚えつつ、彼の師匠筋がまた強烈であることを再確認します。高校生の時に進路に悩んだ彼を導いた、一人目の方がこちら。

具体的に、建築家や建物に憧れてというわけではないんです。確たる将来像がなかった僕は、親戚に医者やデザイナーなどがいたので、いろいろと職業について聞いて回ったのです。その時、母が「山口のおじさんは建築家みたいよ。話を聞いてみたら」と。山口文象さんです。そんな偉い建築家だとは知りませんでした。実は、母の実家が山口邸の隣で、幼い頃よく遊びに行っていたのです。山口さんは「ひろちゃん、よく来たね」と、いつも可愛がってくださった。訪ねた折に助言されたのは、「人間そのものや生活を扱う建築を勉強しておけば、将来何にでもなれる。とりあえずやってみたら」。この言葉がきっかけになりました。

こんなことがあるのですね

山口文象。大正時代後期の分離派(ドイツ語でSezession)という建築運動メンバーのひとり。山口蚊象ぶんぞう建築事務所として1934年に始めた事務所は現在も、(株)アール・アイ・エーとして発展し続いています。

自分も父の友人から、山口文象さんの久が原の住宅の話を聞いたことがあるのですが、そこはサロンのようになっていて、様々な出自の方が語り合う場であったとか。文象さん、当時はマルキストとして、社会と建築の関わりに理想を抱いていたはずで、それに呼応する方々が集まったのでしょうね。


そしてひろちゃんは早稲田に入学、でも当時は学生運動真っ盛りで授業もまともにやっていない。退屈していた彼に、山口さんは次のステップとなる早稲田大学教授の存在を伝えたのでした。乾燥なめくじアルキテクト、吉阪隆正
コルビジェ直系でもある彼の代表作はこちら、八王子の山の中にある大学セミナーハウス。自分も若かりし頃、JIA主催のセミナー合宿で訪れ、なんだこれは!!となったのでした。あの斜めの壁に穿たれた窓辺、手すりに背中を当てながら座ると下から風が抜けてくる、とても気持ちのいい窓のことは今でも思い出します。

内藤さん、今はそこのご近所にある多摩美術大学の学長さん。なので、学生さんをスケッチにそこまで連れ出したりしているようですね。

吉阪さんについては、先のサイトで彼はこう語っています。

建築というよりも、人間としてどう生きるか、社会に対してどう向き合うかということを無言のうちに教えられました。吉阪さんは大学で教え、社会的な役割もたくさん引き受け、設計もと、ひどく忙しい人だったから、直接話した時間は少ない。でも、彼の命がけのすさまじい生き方は、どんな言葉よりも影響力があった。本当の教育って、そういうものだろうと思いますね。

 

そして旅人でもある吉阪さんに感化されて大学を出た彼は、いきなりスペインへ。フェルナンド・イゲーラスという天才肌の建築家のところに、押しかけ修行に旅立ちます。でも当時はフランコ政権末期、爆弾テロも頻発する、仕事もない世情だったことから、2年後にシルクロード経由で日本に戻るのでした。

そして、しばらくは何もしないで過ごそうと思っていた内藤さんを、吉阪さんが次の師匠のところに押し込みます。日本の建築家の梁山泊、菊竹清訓建築設計事務所。

漫画で言うなら、こち亀の本田君のような、普段は人の好いおじさん、でもひとたび建築を考え出すと人が変わる、伝説の建築家。東京にある現存する彼の作品は、自邸のスカイハウス、九段下の昭和館、両国の江戸東京博物館あたり。最近では小説の舞台として、成瀬シリーズ西武百貨店大津店なども有名になりました。自分としてはサザンオールスターズの歌にも出てくる、今はなきパシフィックホテル茅ケ崎を推したいところです。その作風から「狂気を秘めた建築家」などと呼ばれることも。
でも彼の元からたくさんの次世代の建築家を生み出していて、その後期世代のひとりが内藤さんになるのでした。

2年後に菊竹事務所を独立してからの、建築の足跡はこちらに網羅されていますが、内藤さんの凄いところは吉阪さんの足跡をなぞるかのように、建築家でありながら、様々な役職を引き受けるところ。

東大工学部【土木学科】の教授、グッドデザイン賞の審査委員長、東京都景観審議会専門員、そして新国立競技場のデザインコンペ委員など。そのコンペ後のゴタゴタの時は、安藤忠雄委員長が体調を崩して対応できなかったため、もともとザハの最優秀案のコストに懐疑的な意見を出していた内藤さんが、その尻ぬぐいで泥をかぶっていたことを自分も思い出しました。
そんな彼は、損な役回りを引き受けがちな自らのことを、こんな風にぼやいているのでした。

[青] 2000年あたりから完全にやられたね。2007年から09年までグッドデザイン賞の審査委員長をやってたからよくわかるよ。委員長ってのは全体が見えるからね。
[赤] 韓国勢との負け戦のリアルな実況中継を見ているような気分だったな。まったく暗くなるね。だいたいそういう損な役割をやらされる宿命にあるみたい。
[青] 子供の頃からだよ。新国立競技場の時もそうだったし、そして今も。
[赤] これが定めか。

https://bunganet.tokyo/naito03/

そして現在は多摩美術大学の学長さんとなられ、一息ついている様子です。多摩美の学生さん、学長さんらしからぬ風体の内藤さんと、喫煙所でお会いすることもあるのでは、と。


そんな内藤さんをミュージシャンに例えるなら、この方。星野源

一見とてもフレンドリーで、役者に歌い手にラジオの人に物書きに、と様々な領域を行ったり来たり。困難を乗り越える力を持ち、でも素直が高じて頑固、その結果いろいろと困ったことにも巻き込まれがち去年の紅白なんてその典型ですよね。

でもなにより、ものづくりの姿勢として、脳内のお花畑からではなく、厳しい現実をきちんと捉えて、それを前提に始めるリアリストの誠実さがとても似ているのではないかと。

そしてなにより、地獄には鬼が似合いますしね。



それでは、現地に行ってみましょう。

紀尾井清堂(2021)


麹町の駅を降りて、緩やかに曲がる紀尾井坂をゆるっと下っていくと、綺麗に揃えられたガラスに包まれた建物が見えてきます。

村野藤吾設計のビル(知らなんだ)の向こうに、見えてきました

この紀尾井清堂、倫理研究所という一般社団法人所有の建物なのですが、こちらが何のための建物か?と言われると難しい。
依頼者曰く、「思ったように造ってください、機能はそれに合わせてあとから考えますから」というオーダーを投げて、内藤さんが返した建築がこれなのです。

現地は展覧会最終日だけあって、結構な人だかり。でも行列はそこまでではなく、案内の方の誘導に沿って、1階から拝見します。

一階はラフな素材で統一された、生々しさを感じる場所。天井と、断面形を変えていく四隅の柱は杉板写しの打ち放し、床や壁は石州瓦の窯で使われていた、廃棄物になるところだった棚板用の耐火煉瓦。観覧者は、そこに輝く大きな円の外側に沿って歩いていきます。ここは以前、陸前高田の奇跡の一本松の、踏ん張った根を展示していたこともあるそうで、この円も東日本大震災の犠牲者を悼む、1万8千あまりのガラスピースによってつくられたインスタレーションなのでした。

ひとつひとつ、違う顔のガラスピースの円

そして外周にはこちらの図面が。4本の脚で、15m四方の立方体が、浮かぶように建てられている様子がわかります。1階はその四角四面の世界を支える、祈りの空間ですね。

内藤事務所のお約束、赤い図面

四面体から六面体に変化していく柱の鉄筋、どないなっとんねん(上の図面に載ってます)、みたいな凄技を横目に、外に出ます。ここから外周を通って上のキューブに。

フラットになったところに、垂直に接続

1階のラフな仕上げのところは、黒く目立たないフラットバーの手すり。面を削っているとはいえ、握るにはそこまで優しくないかたち。でも、ここはそういう厳しさをはらむ空間であることを、手すりが伝えてきます。でも、角のあたりは袖を引っかけにくい納まりで徹底していて、それが危険にならないようにという点に、抜かりはありません。

外周道路フロアに上がると、煉瓦舗装の色が白く変わります

上端もとがったところのないかたちでした。そして、上の高さに上がるたびに、整っていく床仕上げ。

その白めの煉瓦の角を立方体沿いに右に曲がって、その中に入るための、外周の階段に向かいます。こちら、公共建築でないあくまで無目的なところにつきエレベーターもなし。なので階段と手すりの出番も多めです。でも、階段の寸法は高齢者でも上り下りしやすい、1/2程度の勾配で徹底されているのは、内藤さんの意志でしょうね。

橙系の塗装で塗られた、無垢の木製床と手すり

床材が細やかで繊細になっていくのに従って、手すりのデザインも細やかになっていきます。フラットバーの手すりは変わらないけど、足掛けや転落防止の機能を兼ねた、二連の細い角型鋼材の手すり子が連なります。


ここの空間、コンクリートの立方体の外側に作られた階段なのですが、3階より上ではガラスで周囲を守られています。それを支える構造体は建物から生えているかのように、各所で外側に伸びているのですが、角は階段がその固定部材を支える構造を兼ねているのでした。
あと、床が外側に跳ね出していることが、ずいぶん恐怖感の緩和に役立っていることも感じます。手すりの位置を跳ね出しの先端に置かないという手法、意識して使うことも場合によっては大切ですね。

斜めにDPG金物受が伸びています

なお、このガラススクリーン、ガラスの間には隙間が空いています。厳密にはここ、雨も風も抜けてくる。でも激しくそれらに打たれることはない、絶妙な緩い外部として環境が調整されているのでした。

これ、DPG(Dot Point Glazing)工法として知られているガラスの留め方なのですが、そのあたりを以前書いていたので、ご興味のある方はどうぞ。


そして、ようやくコンクリートの立方体の中に。

たまたま人の波が切れたところで画像を撮っているので、ここまでそんな混雑している雰囲気は出ていないのですが、中に入るとこんな状況。

ひとが鈴なりに

井戸の底というほど狭くはないですが、下から光を見上げる空間がそこにありました。内藤さんご本人はローマのパンテオンを意識したとのことですが、自分はこういう空間、インドの階段井戸の底から上を見た景色をちょっと思い出します。

そして、内藤さんがずっと書き続けているメモが、この吹き抜けに面した手すりに展示されているのですが、皆さんじっくり眺めていて飽きない。でも、時間制限のある身としては泣く泣く、彼ら彼女らを大外から捲りつつ、本日のメイン手すりを見に行くのでした。

鉄骨の階段が、斜めの橋のように渡されています

鉄骨階段や、各階の張り出し部は鋼製。そして鋼製の手すりには木部が。コンクリート、鉄、木の視覚的なバランスが絶妙です。その空間のアクセントとなっている、その階段の手すりを見てみます。

外の手すりと違い、木製部分が増えます

先の外部の手すりとデザインの共通項は残しつつ、笠木兼用の部分と、内側の低めの手すりが、フラットバーに掘り込んでつけられた木製に。そして手を載せる部分の断面は緩やかな曲線、手すりの先端部はサンドペーパーを当てて手磨きしたかのような、角を馴染ませた面取りを施されています。

木製部分の色は床とそろっています

また、デザインで効いているのは、その下段の手すりの高さから下に向かってつけられた、木製の手すり子。
角鋼手すり子の間にフラットバーを斜めに通して、そこにさらに、木製の手すり子をはめ込んで(その施工のための寸法割り出しが絶妙)、フラットバーの皿加工された穴から同色ビスで固定されている。この空間の雰囲気は、トップライトだけでなく、この丸められた手すりや手すり子の木材たちが生み出す、その丁寧につくられたクラフトマンシップの気配がもたらしているのでした。

面白いのは、あまり納まりに無理をしない、合理性が垣間見えること。

取り合い部は無理に揃えず、繋ぎません

こういうところは、ちゃんと役割違いと割り切って横手すりと斜め手すりを別のものとして扱い、高さは揃えつつも、繋がず縁を切っています。

握るための手すりは、階段上端では曲げたりも

でも、こういう階段上部では手すりを階段勾配から床の平行部に合わせて曲げたりもしています。階段そのものを踊り場なしで直線で渡しているのだから、デザインとしてはまっすぐ伸ばしたくなるところ。でも教条主義、カタチ至上主義に陥らない、あくまで主役は使う人であることを忘れていない、そんな内藤さんの矜持を感じる手すりです。

5階の、天窓から落ちる光
手すりにかかる光の、何とも言えない丸み

ここの天窓のコンクリート躯体、シャープな矩形でなく、上端は丸みを帯び、そこから矩形に遷移する断面になっているのですが、落ちてくる光も、すこしエッジがぼやけたような感じに見えています。太陽光を室内でシャープに見せるのは難しくないのですが、それを適度に和らげるのは工夫がいる。ここは光を切り取る天窓側、それを受け止める手すり側に、反射光を混ぜたり、光を鋤取って柔らかな光を見せる工夫がなされているので、こういう和らいだ見え方をするのでしょうね。

ここでは、手すりの木部は天からの光を程良く我々の眼に届けるための、配達職人のような役割をしていたのでした。

人だかりに押されるように、撤収。外周から下に降りていきます。

ダッシュで学校の担当授業に行ってきます


ガラス同士の間に隙間が空いている外階段、いちど悪天候のときにも来てみたいですね、あえて。

大混雑のため落ち着いて回れなかったのは残念ではありますが、手すりコレクターとしては収穫たっぷり大満足の訪問でありました。


そんなわけで、こちらの建築そのものを見てみたい皆様には、いつも頼ってしまいますが、kawajiriさんのこの記事が秀逸です。てっぺんから落ちる光の加減やその魔法がよくわかり、自分も感心すること、ひとしおでした。


※おまけ


せっかくなので、跳ね出した床の裏面も。斜めのリブも、カッコイイ。

基本に忠実に、徹底的に


※さすがの配慮


厳かな1階からあがる階段の手前、てすり屋的にとても丁寧な掲示がありました。

手すりを持って、
足元にお気をつけてお上がりください。
Please hold the handrail and watch your step.

今回の展示は内藤さんがすべてディレクションしているということでしたので、こういうところも、内藤さんのお人柄かも。

※参考図書


鬼になった内藤さん(青)と内藤さん(赤)と、彼らが呼びだした、敬愛する亡き者の霊たちによるグダグダな対談(?)集。
赤と青の文字でクダを撒き合う内藤さんたちの叫び、そこを混ぜっ返しに来る文象さん吉阪さんをはじめとする、彼に影響を与えた亡霊たち。何の本だかときどきわからなくなるけど、面白い。オープンマインドな方なのだなあ、と改めて思います。


※手前味噌

このシリーズもようやく22本目。ご興味のある建築家さんが居ましたら、ぜひのぞいてみてくださいね。


いいなと思ったら応援しよう!

てすり屋のひとりごと 橋本 洋一郎(合同会社 湘南改造家) この記事、すごく役に立った!などのとき、頂けたら感謝です。note運営さんへのお礼、そして図書費に充てさせていただきます。