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16歳のきみへ—大人のアドバイスは、半分聞かなくていい

これは、2026年4月に母校・大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎の2年生(16歳)に向けて行なった講演を、加筆・修正したものです。

一般論として、ひとりのキャリアで「国・業界・職種」を一気に変えるのは難しい、と言われています。でも私は、社会人になってから20年かけて、その全部を変えてきました。初めの9年は東京ベースで日本の総合商社や総合電機メーカーで海外事業戦略や投資を担当していました。それが今は、イギリスのロンドンで建築とインテリアの設計会社を経営しています。

申し遅れました、クローデン葉子です。海外暮らしが長く下の名前で呼ばれるのに慣れているので「ようこさん」と呼んでください。

国も業界も職種も変えた過程で、学んだことがひとつあります。それは—「周りの大人のアドバイスは、半分以上聞かなくていい」ということです。

30数年前、私もみなさんと同じ、附高(大阪教育大学附属高校天王寺校舎)の悩める高校生でした。高校から入った11人のうちの1人。今日は、その元附高生が、その後の人生で悩んで悩んで悩みながら気づいたことを、ひとつだけ伝えます。

これからの人生で、たくさんの周りの大人たちが、みなさんに良かれと思ってアドバイスをくれると思います。そんなとき、どう決断すればいいか—という話です。

ひとつ、誤解しないでください。ここで言う「アドバイス」は、進路や生き方への助言のことです。「授業中の私語はやめよう」「タバコは体に悪い」といった社会の規範・マナー・ルールのことではありません。だから「ルールは守らなくていい」という話では、まったくありません。


聞き流していい3つのアドバイス

初めに、どんなアドバイスを聞き流していいのか、からお話しします。大きく3つあります。

① 前提条件が間違っているアドバイス

ひとつめは、暗黙の前提条件が間違っているアドバイスです。
私の母はいわゆる団塊の世代です。幼少期に映画や音楽を通してアメリカに憧れた母は中学校の英語教師を経て、日英の通訳をしていました。その影響で、私は小学生の頃から海外に興味がありました。高一の夏にアメリカへホームステイし、漠然と「将来、留学したい」と思うようになります。

ところが当時はインターネットもなく、周りに留学経験者もいない。学校も生徒の進路として学部留学を想定していないのでサポートもない。当時の情報源は本か雑誌しかありませんでした。書店に行って「留学ムック」の類を数冊買いました。そこに載っていた留学後の進路は、「英語を活かして」旅行代理店や観光ガイド、翻訳・通訳、せいぜい背伸びして外務省や国連くらいです。母が通訳だったこともあり、私は「そんなものか」と思って、大学は「国際」と名のつく学科ばかり受け、京都大学の総合人間学部・国際関係学科に進みました。

今では当然の知識だと思いますが、海外留学と「国際◯◯学部」に行くことは、まったくの別物です。理系で留学してもいいし、興味のある分野ならどんな分野でも留学できる。「留学するには国際何ちゃら学部に行かなければ」という前提が、完全に間違っていたのです。

「私立文系は就職に不利」「この大学からあの会社は無理」—こうした「前提」は、今もたくさんあります。アドバイスの前提が本当かどうか、まず疑ってかかってください。

②「n=1」の経験を、すべてのように語るアドバイス

ふたつめは、たった1人か2人の経験を、世の中すべてに当てはまるかのように語るアドバイスです。「自分がこうだったから、こうだ」と決めつけるタイプ。

数学の統計で習う、あの山型の標準分布のカーブを思い出してください。その人の経験が、カーブの真ん中(平均)にあったのか、端っこにあったのかは分かりません。そもそもひとりひとりの経験を分布図にしてみた時に、カーブは山型なのか、そこに相関があったのか、すらわかりません。そして、みなさん一人ひとりの人生も、それぞれが「n=1」です。他人の経験が自分に当てはまる確率は、ことがらにもよりますが、かなり低いと思っておいていいと思います。

③ みなさんの人生に、責任を取らない人からのアドバイス

みっつめは、みなさんの長いこれからの人生に、ほとんど関係のない人からのアドバイスです。

私は基本的に、夫以外の人には相談しません。私が仕事を辞めたり変えたりすると家族には影響があるので、相談というより事前のすり合わせはします。でも、家族以外の人は、私がどんな人生を生きようと、直接の影響を受けない。だから、悪く言えば、好き勝手なことが言えるのです。

いちばん顕著だったのは、ソニーという大企業に勤めていた頃、MBA留学の準備をしていたときです。「ただでさえ女で京大でソニーなのに、MBAなんか取ったら結婚できなくなる」「婚期を逃す」「MBAは実践では役に立たない」—さんざん言われました。特に私に目をかけていてくれた上の人から言われた時はショックでした。でも、その人たちは、私が留学せずに後悔しても、責任を取ってくれるわけではありません。自分の人生に責任を取らない人のアドバイスは、あまり真摯に受け止める必要がないと思っていいです。

聞かなければいけない、一番大切な声

こうしてあげていくと、ほとんどの大人のアドバイスは聞かなくていい、ということになります。でも、たった一人だけ、真剣に全身を傾けて声を聞くべき相手がいます。誰だと思いますか。

—それは自分の「内なる声」です。またの名を「直感」と言います。「なんか、それは違う」「言葉ではうまく説明できないけど、なんとなく、こっちの方が自分に合う気がする」。そう感じたら、その声は聞いた方がいい。

やっかいなのは、みなさんのように若いうちは、その声が聞こえなかったり、聞こえた気がして従ったら盛大に間違えたりすることです。でも直感は、筋肉と同じ。鍛えないと育たないし、使ってみないと使い方が分からない。私自身、直感で人生を決められるようになったのは20代後半からで、それまでは迷ったり間違えたり恥をかいたり、の連続でした。

私の中で「内なる声」が働いた瞬間を、ふたつ紹介します。

20歳で働いた直感

私は大学2回生、20歳のときに、初めてヨーロッパへ行き、最初に降り立ったのがロンドンでした。その瞬間、「ここだ」と思ったのです。

当時はうまく言語化できませんでしたが、惹かれた理由はいろいろあります。まずヨーロッパはあまり労働時間が長くなく、家族や友人との時間を大切にしているのに、生産性は高い。日本やアメリカみたいに朝から晩まで働かなくても、長期夏休みを取っても社会が回っていて、みながゆとりを持って暮らしている。古い街並みと文化があって、美術館もカフェもマーケットもある。「そんなに心身削って働いていないのに豊かなら、絶対そっちの方がいい」と思ったのがきっかけです。

もちろん今は当時とはだいぶ状況が変わっていますが、こういう「肌に合いそう」という感覚は当たっていることが多いので、大事にしてください。

ただ、20歳で「ここいいな」と思っても、すぐには住めませんでした。就職先でヨーロッパ勤務を希望しましたが、あまりヨーロッパとのビジネスがなくアメリカやアジアをメインに出張しました。仕事で無理なら、とビジネススクールはヨーロッパを選びましたが就労ビザがおりずに日本に帰ってきました。その後入った総合商社でも初めのうちはヨーロッパ出張もあったのですが、そのうち仕事の場がシンガポールに移り、またヨーロッパから遠ざかりました。結婚して、夫を説得してロンドンに引っ越したのは、4度目の正直。実現するまで10年以上かかりました。
ロンドン暮らしは、今年で17年目になります。

緑化率が50%を超え、世界有数の緑豊かな大都市ロンドン

2011年、京都のお寺の庭で決めたこと

次に直感が働いたのは、2011年。みなさんが、まだ赤ちゃんだった頃です。2011年3月11日に何があったか、知っている人はいますか。

私の長男はみなさんと同い年なのですが、当時、ロンドンに引っ越して1年、長男がじきに1歳になるので、ロンドンで求職活動をしていました。面接の予定が、その日も翌日も入っていました。けれど、テレビに流れる津波と原発の映像を呆然と見つめながら、どうしても面接に行く気が起きませんでした。イギリスでも大きく報じられ、面接官は「家族や友人は大丈夫?」と気づかってくれました。「実家は震源地から遠いので大丈夫です」と答えながら、心の中では「私の気持ちは、全然大丈夫じゃない」とつぶやいていました。

刻々と更新され増えていく死者数を見ながら、私はふと気づきました。「ああ、私は、以前のような仕事に戻りたいと、まったく思っていないんだ」と。

その1ヶ月後、元々予定していた一時帰国で私は日本にいました。私は特に学生時代よく通った京都の東山のお寺と庭が好きで、一時帰国した時には必ずお寺に行くのですが、その時もいつも通り、好きな京都のお寺にいました。境内に座り、静かに庭を見つめながら30分ほど座っていたでしょうか。—それまでぼんやりとしていた自分の内なる声が、だんだん心が静まると同時にクリアに聞こえてきました。前と同じキャリアには戻らない、デザインの世界へ移ろう、と。そして、心を静めたり素の自分に戻り明日への活力を養ってくれるような空間つくりをしよう、と。

たまたま当時、撮った写真。人生を変える決断をした場所。

ロンドンに戻り、デザイン学校に願書を出し、1年後に卒業。最初は、無給のインターンからでした。三井物産時代は年収1,000万円以上ありましたが、文字どおりゼロからのスタート。無給インターンのあとは、当時の時給£7でフリーランスを始めました。今の為替で約1,400円、ロンドンの物価感覚では、時給700円で雇われているような相場です。

その頃が経済的には一番苦しかったです。税金の低いシンガポールでは子どももいなかったので余裕のある暮らしをしていましたが、物価―特に家賃と保育費が世界トップクラスの大都市でまだジュニアキャリアだった夫と長い間ほぼ無収入の私が、親や親戚のサポートなしに乳幼児を3人育てていたので、当時の記憶はあまりありません。

面白いのは、その頃、日本語でブログを書いていたのですが、MBAや三井物産といった肩書きに惹かれて寄ってきていた人たちが、すーっと去っていったことです。それでも、夫が応援してくれて、可愛い子どもたちもいる。失ったものは、私にとってはさほど大事なものではない、とわかっていたから、その決断ができました。

京都のお寺の静けさを、ロンドンの住まいに

今は、あの京都のお寺で感じた静けさや、心がやすらぐ状態を、ロンドンの住宅に実装する仕事をしています。建築・インテリア・庭を、ひとつの設計として包括的に手がける事務所を経営しています。

ロンドンには、築100〜150年のレンガ造りの建物が多く、京都のように景観の規制が厳しく、通りから見える側はほとんど手を加えられません。主に、通りから見えない庭側を増改築することになります。

ある香港出身のご夫婦の住まいでは、日本の建具を多く取り入れてほしい、という希望に応えました。このプロジェクトは、世界的なデザインサイト Dezeen のインテリア部門で入賞し、英国の四大紙のひとつ『The Times』日曜版に、全面で取り上げられました。日本の人から見ると「日本っぽくない」のに、ヨーロッパの人から見ると「このセンスは日本だね」と言われる—そんなデザインが多いです。

裏の庭側から見た施工プロジェクト、築150年の建物の1階部分を増築した。

4つの「内なる声」の鍛え方

では、その「内なる声=直感」は、どうやって鍛えるのか。4つあります。

① 斜に構えず全力でやる

これは、私の人生・三大後悔のひとつです。附高にいた頃、私はとにかく「目立たない」ことを是としていました。というのも、小4、中1、中3の夏と、親の転勤で3回も転校してきた転校生だったからです。その年齢での転校は一大事で、新しい学校でいきなり成績一番取ったり目立つことをすると、本当にろくなことがない—そう、身に染みていました。高校も外部からの入学者は11人と少なく、後は全員小中からの内部進学者だったので、私は勉強も部活動もほどほどにセーブして過ごしていました。

ところが、セーブの何が問題かというと、自分が本気を出したらどこまでできるのか、自分でも分からなくなることです。直感というのは、全力で取り組み、試行錯誤しながら模索していくなかで育つもの。斜に構えてセーブすると、その育つ機会を自分で奪ってしまうのです。

② 行ける一番上を目指す

次に「やりたいことが分からないなら、とりあえず、自分が行ける一番上へ行く」。これは正解です。なぜかというと上に行けば行くほど、今までとは違う世界が見えるからです。

私はINSEADという、MBA世界ランキングの上位常連校に行きました。そこで初めて、「この人たちと正面からガチンコで戦っても、勝ち目はない」と悟りました。MBAとは「将来は企業のトップになりたい」「競争の激しい業界に転職してお金を稼ぎたい」といった目標で世界中から優秀でやる気がある若者が集まる場所です。人前で意見を言う、議論をファシリテートする、文化も背景も違うチームをまとめる—そこに来るまでに受けてきた教育がまるで違い、しかも全部英語。人生で初めて、ストレスで激太りしました。

でも、その経験があったからこそ、ロンドンで「同じ土俵に立つのは不利だ。まったく求められるものが違う、別の土俵に立とう」と思え、未練なくデザインの世界へ移れた。行ける限りの上へ行ったからこそ、「ここは違う」という直感を育てることができたのだと思います。

③ 迷ったらやる

いちばん成果が出る方法は、結局「やってみること」です。考えて考えて考えるだけで、成果が出ることはない。やって失敗したら、別のやり方で試す。また失敗したら、また別の方法を試す。

私は20代、トップビジネススクールでMBAまで取って猪突猛進したビジネスの世界を下り、30代半ばでゼロからやり直しました。特に初期の無給インターンは、対価なく使いっ走りもさせられる、丁稚奉公のようなものでした。それでも、ロンドンという新しい環境では、それまでの自分のすべては活かせない—そう感じたから、ゼロからやり直せた。デザインの才能なんてあるのかないのかわかりませんでしたし、今でも特に才能があったわけではなく、あきらめなかったというその一点だけで今いる場所にいる気がします。ロンドンに住んでいるのもあきらめなかったからです。

10代で多少迷って違う道に行っても、誤差の範囲です。すでに「何かが違う」と感じている過去にしがみついても、得られるものはありません。さくっと惹かれている方向に切り替えて「とにかくやってみる」、これに勝るものはないと思います。

④ 本を読む

初めに「大人の話は聞かなくていい」とエラそうなことを言ったくせに、最後につまらない大人が言うようなことを言います。本は読んだ方がいいです。特に、歴史と、いわゆるリベラルアーツ(一般教養)です。あと統計の勉強というか理解も大事です。「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とはよく言ったもので、直感は、自分の中にある程度のベースがないと出てきません。これまでの人生の厚みから、にじみ出てくるものだからです。

本を読むという行為は、実際に自分で経験しなくても、その内容を血肉にできる、いちばん手軽な方法です。私の三大後悔のふたつめは、高校で成績をセーブしたうえに、大学でもあまり勉強しなかったこと。今はだいぶ違うと思うのですが、当時の京大文系はあまり授業に出なくても勉強しなくても単位が取れ、卒業できました。私はそんな大学に幻滅して、英語だけは猛烈にやって、あとはバイトし、バイトで貯めたお金で長期休暇ごとに世界貧乏旅行をする、という学生生活でした。貧乏旅行も学生だからできたことでしたし、旅で得たもの—怪しい人や怪しい場所を見分ける方法などいわゆるストリートスマート、肌で感じないと身につかないものも、確かにありました。それでも若い時に「もっと本を読めばよかった」と、今でも思います。動画やSNSなど刺激が強いメディアが氾濫し、AIが簡単に正解を出してしまう現代こそ、なおさら本をじっくり読み自分の判断力の血肉に使うベースにすることの重要性が増していると思います。

私が影響を受けた本を具体的に、二冊あげます。いちばん好きな一冊は『銃・病原菌・鉄』、人生を変えた一冊は『フラット化する世界』です。

『銃・病原菌・鉄』は、人類の1万3000年にわたる文明史を、地理をベースに俯瞰して読み解いた本です。読んでいる途中も、読み終えたあとも、大河ドラマを一気見したような爽快感がある。「こんなふうに世界をメタに捉えられるようになりたい」と思わせてくれた一冊です。

『フラット化する世界』は、判断の軸になりました。物価が世界トップクラスに高いロンドンに移り、しかもデザインという、作業の一部は物価の安い国へアウトソースできてしまう業界に足を踏み入れるとき、「"インド人に代替されないスキル"を身につけなければ」と考える、ひとつのものさしになったのです。そして今は、その「インド人に代替されにくいスキル」が、そのまま「AIに代替されにくいスキル」のことだな、とも感じています。

16歳のきみへ

高校生の頃、私は「25歳を過ぎた大人って、何をしているんだろう」と思っていました。でも振り返ると、いちばん迷って悩んでいたのは、10代と20代です。若い頃は、自分でコントロールできることが少ないです。高校では目立たないように何となくやり過ごし、大学では海外で現実逃避ばかりしていました。就職してからは、日本企業のサラリーマンになることがそもそも自分に合っていなかったので、何か違う現状に苛立っていました。30代は、3人の子育てと、新しいキャリアの立ち上げで必死だったので、本当に人生が楽しくなってきたのは、40代になってからです。

今みなさんが感じている不安や窮屈さは、まだ「内なる声」が十分に育っていないだけ。鍛えれば、育てられます。

やることはシンプルです。目の前のことを全力でやる。迷ったら上を目指す。やるかやらないか迷ったらやる。そして、本を読む。

自分の内なる声に真剣に向き合っていれば、これからどんどん楽しくなります。

周りの大人のアドバイスを聞くのは半分でいい。でも、自分の内なる声だけは、一生かけて聞き続けてください。その声を育てられた人から、人生は確実に、面白くなっていきます。
10年後、20年後、みなさんから「あの後、こんなことやってみたんです」という報告が聞けるのを楽しみに待っています。

#創作大賞2026 #ビジネス部門


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