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「声なき声」を次の世代へ。三坂神社(武運長久の神・山口県山口市徳地)の江端希之宮司にお話を聞きました

こんにちは。Matahari@マレーシアです。

2018年頃から、太平洋戦争時代に日本が占領していたマレーシアと東南アジアの隣国の現地の方々の証言を集めて伝えるストーリーテラー活動や慰霊旅を続けて来ました。noteマガジンに証言はまとめていますので是非ご興味のある方はご覧ください。


筆者の地元は山口県の防府市です。

わたしがそのリサーチ活動を始めた同じ頃から帰省の度に日本各地で「神社巡り」をして来ました。

海外でその土地でご縁があって出逢った人々からの「声なき声」を聞き、神様の前でご報告する。

その歳月の中で、さまざまな出逢いに恵まれました。

本日は、この春の一時帰国の際に、ご縁が繋がり出逢うべくして出逢ったと筆者が勝手に思っている、情熱あふれる若き宮司さんについてお伝えしたいと思います。いつもの如く、長文ですが、良かったら最後まで読んでいただけますと幸せます。

三坂神社の江端希之宮司(45)

三坂神社(所在地: 山口県山口市徳地岸見) 
宮司  江端希之(えばた まれゆき)氏

武運長久の神 三坂神社(山口県山口市徳地)

本日の投稿では、筆者が初めて三坂神社を訪れることになった経緯、宮司に最初にお目にかかった印象などを、二度目に伺った日の江端宮司へのインタビューを織り交ぜながら綴っていきます。1時間にもわたるインタビューに応じてくださいました。


「武運長久の神・弾除け神社」三坂神社とは


三坂神社は、1,300年前の古文書『東大寺正倉院文書』にも登場する古社(延喜式内社)で、三坂神社が御創建されたのはそれ以前と言われていますが、どれくらい古いかは分かっていません。古来より「武運長久の神」として信仰され、なんと、足利尊氏、豊臣秀吉、藩主・毛利家の厚い崇敬を受けて来たそうです!!(すごい)日清・日露戦争では、祈願して出征した氏子の兵士全員が無事に帰還したことで、「弾除け神社」として有名になり、日中戦争・太平洋戦争中は、その噂を聞きつけた参拝者で溢れ、当時の岸見駅から三坂神社まで1キロの道を延々と行列が出来、1日の最高祈願者数は800人を超えたとか、、、。

(現在の徳地の様子を知る人は、想像出来ないと思います。とても長閑な場所なのです。)

筆者が知って一番驚いたこと。それは、、、

「昭和19年7月7日サイパン島守備隊玉砕の日、参拝者の重みのためか、中殿の座がくずれ落ちると同時に境内の椎の大木が裂けた。」
(三坂神社ウェブサイトから引用)

さすがの「弾除けの神」もサイパン島が陥落してお手上げ状態になってしまわれたのか、はたまた参拝者の皆さんの「声なき声」が大きなエネルギーのうねりとなって破壊が起きてしまったのか、、、想像するしかありませんが、、、とにかく、すごいエピソードです。

御祭神

主祭神
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)、事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)

配祀
道反大神(ちがえしのおおかみ)

合祀
素戔嗚尊(すさのおのみこと)、大歳神(おおとしのかみ)、埴山姫命(はにやまひめのみこと)

三坂神社の所在地とSNS情報


所在地は山口県山口市徳地です。
筆者の地元防府市内から車で約20分ほど佐波川の清流が流れている長閑な道を上流に向かって車を走らせると左手に三坂神社の幟(のぼり)が見えて来ますよ!

所在地
〒747-0233 山口県山口市徳地岸見557

Google Map

三坂神社ウェブサイト

三坂神社インスタグラム(宮司ご自身がアップデートされています)


筆者が三坂神社を訪れた経緯と「ここに招かれた」と感じた日のこと


まず、筆者がなんでまた徳地にある三坂神社に訪れることになったか、ここからお話ししておきたい、と思います。

元々わたしは「神社巡り」が大好きで、御朱印集めは2017年11月に宮崎県の高千穂神社や天岩戸神社を訪れた際に御朱印帳を初めて購入して以来ずっと続けています。

そんな神社好きな私は、地元「防府天満宮」には帰省の度に参拝を欠かさず、神様の前でマレーシアで身に起きたことや出逢いのことなどをご報告し感謝を伝えて来ました。

その歳月の中で、経験上確信していることの一つに、誰かに「行ってみるといいよ」と言われた神社仏閣には素直に「は〜い!」と行ってみると、本当にいいことが起きるのです。

これ、本当です。

ここからは、わたしがご縁があって伺うことになった三坂神社を訪れる前に起きたことを、時系列で綴っていきます。

三坂神社のことを知る前に参拝に訪れた、「防府天満宮」の境内にある「海軍少年電信兵の碑」への慰霊

ある春の日、わたしはいつも通り帰国のご報告のため防府天満宮に参拝に行き、参拝後に必ず訪れている「海軍少年電信兵の碑」を慰霊しました。


「海軍少年電信兵の碑」とは
太平洋戦争末期、戦況が悪くなった昭和20年2月頃、旧日本軍が防府通信学校に、全国から13歳前後の少年たちを入隊させ、非常に厳しい軍事訓練を受けさせた後に、戦況が厳しい各地へと送り、空襲の片付け作業などに従事させました。戦地で残念ながら亡くなってしまった少年たちや、戦後その厳しい軍事訓練や悲惨な戦地で目撃したことで後遺症や深刻な病気を患い二十歳を迎える前に命を落とした若者が大勢おり、その慰霊とその耐え難い少年たちとその家族親族友人たちの苦難を後世に伝えるために建立された慰霊碑です。

この日の様子はこちらのインスタグラムに動画を投稿していますので是非ご覧ください。夥(おびただ)しい数の犠牲になった少年たちのお名前が石碑に刻まれています。


これまでは石碑の前で手をあわせるだけだったのですが、その日に限って、じっくりと墓標を読み一人一人の犠牲となった少年たちの名前を目に焼き付けようと石碑の後ろまで回ってみたのです。

なぜなら、筆者の一人息子が13歳で、同じくらいの年齢の子供達が出征しなければならなかったことが現実に起こってしまったことを直視しなければ、という強い感情が、急にこの慰霊碑の前で湧き上がってきたからでした(もっともっと若い13歳未満の子供達もこの犠牲者に含まれていたようです)。

ここに刻まれている少年たちのお名前を見つめているうちに、この昔々に起きた悲劇が、その日「自分ごと」になりました

その日、境内には美しい鮮やかなピンク色の梅が咲き誇っていました。ピンクが好きな母のことを想い、わたしが母へ感じる想いと、まだ幼い少年たちが戦地で最期の時に想ったお母さんを重ねて胸が苦しくなりました。

参拝後に伺った防府市観光コンベンション協会さんで三坂神社の情報を教えていただきました

複雑な思いを抱えながら参拝を終え参道の階段を一人で下りている時に、鳥居のすぐ近くにある「防府市観光コンベンション協会」のオフィスのことを思い出しました。

前回の帰省の際に立ち寄って(筆者の本業は日英通訳なので地元防府市のインバウンドツーリズムに関心があったので)、お話しを聞きに伺いました。

その際に、ご担当者のお二人(西尾さんと御園生さん)に非常に良くしていただいたので、もう一度帰省のご挨拶に伺おうと思ったのです。

その日も、西尾さんと御園生さんが笑顔で迎えてくださり、私のことも覚えていてくださいました。ご挨拶が済んだ後、わたしのマレーシアでの慰霊活動のこと、防府市で戦争の生存者がまだいらっしゃるか、どこに行けば当時の資料が手に入るのか、慰霊碑などを巡るための資料はあるか、というご質問をさせていただいた時に、御園生さんがご案内してくれたのが、三坂神社の江端宮司のお名刺だったのです。

三坂神社が武運長久の神で、昔戦争に行かれた兵士の無事を祈るために家族から奉納されたお写真が未だに残されていることや、防府商工高校(ちなみにわたしの母校です)の生徒さんたちが、その写真をご遺族に戻す返還運動のお手伝いされていること、を教えてくださいました。

初めての三坂神社参拝。驚くべき「おもてなし精神」で丁重にお迎えいただき感激した日の出来事

早速わたしは三坂神社に参拝に行ってみることに。

ちょっとしたドライブになりそうなので、母も誘いました。この日は思いつきだったので、宮司にご連絡することはせず、ただ参拝の目的で伺いました。

その日はちょうど土曜日でした。まだ早い時間で、私たち以外の参拝者は見当たらず、大自然に囲まれた境内は、とても静かで爽やかな春の風が吹いていました。

私たちが本殿の前で手を合わせている時、雅楽の美しい音色が流れて来ました。おや、と思って振り返ると、社務所に人影が見えました。

わたしたち親子の姿を確認して境内に音楽を流してくださったんだなぁ〜!と思い、なんとも言えない嬉しい気持ちが湧き上がって来ました。

参拝を終え、社務所に御朱印を頂きに伺うと、そこには穏やかな佇まいの若い男性の姿が。

御朱印を書いてくださる間「どうぞ境内を散策されてください」と御丁寧にマップを手渡してくださりご説明までしてくださいました。

驚きの「おもてなし精神」に感激〜〜!

この若い神主さんに心底感心しながら、御朱印をお待ちしている間に母と楽しく散策させていただきました。

(通常、社務所におられる神社の神主さんや巫女さんたちは、御朱印をお待ちしている間、大抵は目も合わさず一言も発しない人がほとんどなのです)

境内のご説明の中で一番気になったのは「神様ポスト」

ここに神様宛のお手紙を入れておくと、願いが叶うのだそうです!

(このポストについては後日詳しく書きます)

三坂神社の神様ポスト


しばらくして、ご丁寧にその男性が、わたしの御朱印帳を社務所の外まで持って来てくださいました。

(普通は自分で社務所まで御朱印帳を取りに行かなければいけません)

大切にしている御朱印帳が、新しい御朱印を頂き戻って来る時はいつもとても嬉しいのです。

直接手渡してくださる時に
「宮司の江端です」

と自己紹介してくださり
その上ご丁寧にお名刺まで一緒に頂きました。

えええ!!!


わたしのイメージの宮司は、初老か高齢の方だったので、本当にびっくりしてしまい。

しかも、一参拝者にそこまで丁重に接してくださる宮司、、、そんな経験、どこの神社でもしたことは一度もないです、はい。

三坂神社の若き宮司 江端希之氏 (45) 
筆者撮影、後日訪れた例大祭当日

お会いしたかった方に、運良くこうしてお会いできたのですから、わたしもお聞きしたいことがいろいろありました。他に参拝者もいらっしゃらなかったので、すっかり立ち話に花が咲いてしまいました。

そして、お互いの自己紹介の中で、「マレーシアに15年住んでいて、ライフワークは太平洋戦争中の証言を現地の人から聞いて伝えるストーリーテラー活動」とお伝えしました。そして、今日参拝に来た目的は、防府市観光コンベンション協会の御園生さんからここに戦時中の出征兵士の写真が奉納されていると教えてもらったから、とお話しすると、宮司は驚き、ご自身もマレーシアに長期で滞在されたご経験があり、研究者としてマレーシアに滞在しようと考えた時期もあったとお話しくださったのです。

山口県の山深い神社でこんな方に遭遇するなんて、そんな奇跡的なことってありますかね???

そして、私たち二人にはたくさんの共通点があることが分かりました。

⁃ 同年代(宮司は45歳、筆者は47歳)

⁃ 海外在住経験が長いこと
(江端宮司はミャンマーやアフリカマダガスカル島やマレーシアなどの国々に滞在経験があるそうです。この日にお聞きした江端宮司がマダガスカル島滞在中に山口県神社庁と繋がった驚くべきドラマチックなストーリーについては、また長くなるので別記事でお伝えしたいと思います)

⁃ お互いにマレーシアの全州を旅行で訪れたことがあること

⁃ 元々山口県には縁もゆかりもなかったけれど、なぜか今は山口県に縁ができたこと(宮司のお生まれは静岡でわたしは横浜生まれで本家は福岡)

などなど・・・。

とにかく、ここで書ききれないくらいのことを、立ち話で延々と二人が盛り上がっている横で、隣にいる母がだんだん疲れて来た様子、、、(笑)

そこで途中で話を切り上げ、宮司にご案内いただき、本殿にある「兵士の出征写真」を見せていただくことに。

お賽銭箱の向こう側といえばいいのでしょうか、本殿に上がらせていただくのは、緊張します。天満宮でご祈祷を受けて以来今回で人生二度目の経験でした。

「声なき声」の力を、写真を手にした指先から感じた「母が息子の無事を祈る出征写真」の現物を拝見させたいただいた際の筆者の想い


お写真が保管されているのはこんな場所でした。

「武運長久写真奉安所」
太平洋戦争時代に戦地に赴く息子の無事を祈る
家族から奉納された出征写真の保管場所

各封筒には、手紙の送り主の住所(県や当時日本が占領していた地域:満州、台湾、朝鮮など)が書かれていて、その封筒の中に写真がまとめて入っていました。

まず、封筒を手にした時に、中を見る勇気がなかなか出ませんでした。封筒はずしりと重く、指先が震えて来ました。

「この中に、一人一人の出征兵士の家族の悲痛な想いが込められている。」

そう思うと、あの日、防府天満宮の少年兵の碑の前で感じた、胸の苦しさが蘇って来たような感覚になりました、、、。

私の母方の祖父は出征前から
満州にいたようなので念のため確認しました


意を決して封筒の中を見て驚きました。

80年以上前に奉納されたものとは思えない良い状態で写真が保管されていました。白黒の写真の中には、勇ましい若い男性たちが、軍の制服に身を包み、凛々しい表情で収まっていました。

筆者の母方の祖父は満州で22歳で出征し、福岡防衛のため昭和20年4月に帰還し生き延びました。
祖父と同じ出身地(福岡県鞍手郡)の中国(中支)へ出征された兵士さんのお写真がありました。

この年齢になるまで大事に育て来た息子が、これから戦争に行かなければいけない。

どんな想いでこの写真を三坂神社に送ったのか。

当時は、「お国のため」「天皇陛下のため」戦争に行くことはこの上ない喜びだ、と言わなければいけなかった時代。この封書を神社に送る行動もよしとされなかったことでしょう。だから、周囲には黙ってこっそりと、三坂神社に息子の無事を祈願したのです。

「声なき声」に込められた悲痛な願いとそのエネルギーが、写真を手にするわたしの指先からびしびしと伝わってくるようで、なんともやるせない気持ちになりました。理不尽で自分にはどうすることも出来ないことが身に起きた時、人は神様に祈るのでしょう。

ここ三坂神社に戦時中に届いた写真は約2万5千枚。

(インスタグラムに出征兵士の皆様の写真の一部をご案内しています)。

日本の惨めな無条件降伏後、米軍の進駐軍GHQに見つかったら処分されてしまうかもしれないと考えた当時の宮司や氏子さんたちが、この写真の存在を隠すために神社隣の民家の納戸に隠したのだそうです。

戦後に平和が戻ってから、ずっとこの写真たちのご家族の返還運動が行われて来たそうです。1万枚ほどがご家族の元に戻り、まだ1万4千枚が残されているとのことです。

中には生きて戻った兵士ご本人の元に戻ったケースもあるそうで、家族からお母さんからの深い深い愛情を感じられたことでしょう。

この努力を代々引き継がれて来た歴代の宮司たちに心からの敬意を申し上げたいと思います。

現在もこの活動は続けられています。
三坂神社のインスタグラムで活動詳細はご案内されています。

(5/23に岩国市で開催された奉納写真返還活動)

お焚き上げはしない。先代宮司の想いを次の世代へ。江端宮司が目指す歴史館の建立のあるべき姿


今年2025年は、戦後から80年の節目の年です。

終戦時20歳だった人が100歳を迎える年、、、
ということは、もうすでに三坂神社に写真が眠っている出征兵士の皆さんのほとんどが他界されているのです。

昨年の4月に江端宮司が引き継がれる前、95歳でご勇退された先代宮司は、長年にわたりこの兵士たちの写真をご家族にお返しする返還運動に奔走されてこられました。

この先代宮司の想いは、「たとえ皆が他界されてもお焚き上げはしない。」ことだったそうです。

そのご意志を受け継ぎ、江端宮司はこの三坂神社に残された写真とそこに託されたメッセージを、歴史館で次世代に伝えて行く使命を、わたしに語ってくださいました。

「奉納写真に込められた思い、記憶、歴史、物語を、次世代(後世)に伝えていきたい。歴史館を訪れる人々へと語り継いでいきたい。これが、未来に向けた、三坂神社の新たな使命の一つだと考えます。」


江端宮司の弛(たゆ)まぬ努力と未来を見据えた熱い想いを直接お聞きし、胸に迫るものを感じました。

大切な息子の無事を祈る母たちの「声なき声」。

同じく若い息子を持つ母として、心から宮司の使命感に共感しました。

この歴史館には、現代のデジタル技術を導入し、検索機能がついたパネルなどを設置し、来館者が自由に写真や同封されたお手紙などを閲覧できるようにするという構想もおありのようです。

そのために、今年はクラウドファンディングで寄付金を募る計画があるとのこと。筆者も微力ながら江端宮司と氏子の皆様の活動を、応援し続けたいと思っております。これを読んでくださったあなたも、ぜひ三坂神社のSNS(インスタグラムとfacebook)をフォローして応援してくださいね。

最後に


現在45歳の江端宮司のそれはもう波瀾万丈な人生のインタビューについては、盛りだくさんなので、また別の機会にお伝えしたいと思います!

オンラインで開催している「平和のためのおはなし会CROSSING」で取り上げてて欲しい」というリクエストも、心よりお待ちしております。
(次回開催未定ですが、ご希望によって無料にてオンラインで開催できますのでお気軽にお声かけてください)

江端宮司は、ご自身でSNS(インスタグラムやfacebook)を更新されたり、4月から山口新聞でコラムの執筆を開始されたり、と非常にアクティブに活動されておられます。毎月一日の「おついたちまつり」では、参拝される皆さんウェルカムなおはなし会のイベントなども開催されています。

当面の間、土曜・日曜・祝日と毎月一日、年末年始および祭典期間中が、社務所の開所日となっているそうです。平日は不定期の開所とのことです。

最新情報は、SNSやウェブサイトからチェックしてくださいね!

江端宮司の波瀾万丈な人生は、一言でいうと、、、

「ヤバい」です!!

いい意味ですよ、もちろん。

海外を旅するバックパッカーの時も、東大生の時も、東大在学中に「神社・神道研究会」を立ち上げられた時も、新聞記者時代も、京都大学大学院でマダガスカル島の「多神教」(マダガスカル在来宗教の神社)の研究者として活動されて来た日々も、、、この歳月の中で類い稀なリーダーシップと行動力を発揮されてきた若き日々のご経験があって、現在このような穏やかな佇まいのおもてなし精神に溢れた宮司へと進化を遂げられたのだな、と1時間のインタビューをさせていただいて心底思いました。

日々の生活にマンネリを感じていたり、人生の目的がよく分からないなんて人がいたら、三坂神社に行って江端宮司のお話しを聞くことをお勧めします!

その際には、少し離れていますが防府天満宮への参拝や、海軍電信少年兵の慰霊碑もどうぞ訪れてくださいね。防府天満宮参道の花回廊も多くの市民の皆さんがボランティアで美しいお花を飾れていてとても素晴らしいです。

今日の投稿で筆者の「防府愛」が伝わりますかね??
^^

最後まで、この長文を読んでくださりありがとう。

ぜひまた訪れていただけますと幸いです。

Matahari@マレーシア
2025年5月23日


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