天ぷらとクレープと、粉まみれの愛おしい日々へ
私は、「料理すること」も
「食べること」も大好きだ。
料理に関しては、料理上手ではないが
仕事終わりに天ぷらを大量に揚げたり
前日夜から仕込んで朝にクレープを焼いたり
思い立ってホールケーキを作る日もあったり(一人暮らしで)
食べる楽しみもそうだが、
無限にある食材の組み合わせから新たなものをイチから作り出す面白さ
作り方を知る楽しみ
作る過程、試行錯誤の結果を見る楽しみ
(ずぼらも含めて)上手いこと作った達成感
「調理という作業自体」を楽しんでいるんだと思う。
調理を苦に思った日がほぼない。
食べることも大好きで、休日は少し凝った料理を作って食べることを楽しみにしていた。
そんな私が母になって
「料理することと食べること」
の意味合いが大きく変わった。
一番の変化は、
料理が子どもとの
「遊びの時間」、「ふれあいの時間」
になった。
食べることを楽しむのではなく
「栄養摂取の場」となった。
「料理を作るという作業」
自体を楽しむことはできなくなった。
「どうしたら娘が調理に参加できて、一緒に食べられる可能性が高いものを作れるか」
そればかり考えるようになった。
「どの工程ならリスク少なく一緒にやれるか」
「どの野菜なら娘でも切れそうか」
いつも考えるようになった。
低温調理器やサラダスピナーは、全く使わなくなった。
ハンディチョッパーやホットサンドメーカー、ホットプレートをよく使うようになった。
毎日きれいにしていた作業台が、気になったら掃除になった。
昔は油汚れが取れにくくて嫌いだったプラスチックの食器が大量に増えた。
余裕がない日は、手早く調理を済ませてしまうこともたくさんある。
おかげで簡単・時短レシピばかり覚えてしまった。
余裕がない日に一緒に台所に立つと、イライラして怒ってしまったこともたくさんある。
でも料理が子どもとの
「遊びの時間」
だと立ち返ると、
粉まみれの作業台も、床に落ちる生卵も、汁こぼれまみれのIHも怖くなくなる。
失敗したことも、笑えば済む話。
掃除も一緒にすればいい。
汚れたって世界は終わらないし、うまくできなくて当たり前だもの。
そしてまだ幼い娘たちとの食事は、戦争だ。
右にスプーンを差し出し、次は左にスプーンを差し出す。
どちらも咀嚼している隙を狙って、自分のご飯をひと口。
タイミングを見誤ると左右どちらかから不満の声が上がる。
正直どんな味がしたのかあまりわからないまま、空腹を満たすためだけに食べているときもある。
娘たちが寝静まった後、食べ残しをひと口食べてみて
「あ、こんな味だったんだ」
なーんて気づくこともしばしば。
夕食時間も早いため、夜更かししているとついつい夕食の食べ残しやお菓子に手が伸びてしまう。
産後太ってしまう人をよく聞くが、
「こういう理由だったのね…。」
とやっと気づくことができた。
でも一緒に作ったお菓子を食べるときは、至福の時間。
「おいしいね」
「これ、○○ちゃんの作ったやつ!」
なーんてしゃべりながら食べていると文字通り
「幸せ…。子ども産んでよかった…。」
と思う。
「一緒に作業をすること、そして食べること」
のなんと尊いことか。
あの日母になった私へ
料理することも、食べることも大好きな
あなたへ。
あなたが好きだった
「料理することと食べること」は、
まったく形を変えて存在することになります。
料理することは
「子どもとの遊びの時間」に。
食べることは
「栄養摂取の場」、たまに
「幸せの時間」に。
本当は、もっと手をかけていろいろ
作ってみたい。
正直、食事を味わって食べられないことは
とても悔しい。
当初はがっかりしてしまうあなたですが
これはこれで新たな発見があり、子どもとの
大事なふれあいの場になります。
こんな風に一緒に台所に立って試行錯誤する
のも、あと何年続くでしょう。
この時間も、自分にとって糧になります。
この時間も、後から思い出すと懐かしく
戻ってきてほしいと思うときが来るのかも
しれません。
母になることは、子どもに教えることがすべてではありません。
子どもに教えてもらうこともたくさんあり、
子どもと共に母も育っていくということです。
どうか、数年後を楽しみにしていてください。
そしてこれからどんなことを発見し、
教えてもらうのか。
母は楽しみに、今日も一緒に台所に
立っています。
今日は何を一緒に作ろうかな…。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
