ウルトラウォーカー東海道五十三次の旅 - 自分のルーツを探る 中編その2-
これまでのあらすじ
スポーツ観戦が好きなウルトラウォーカーがサッカーを見るために神奈川湘南から愛知県の豊田まで4日をかけて歩いてきました。
入念な計画立案やテスト走を行い、猛暑のなかスタートを切りました。
計画・準備編の記事です。
以前の記事 (熱中症に苦しみ続けた「前編」、東海道歩きより寄り道に精を出して調子を取り戻しつつある「中編その1(寄り道編)」)もご覧いただけると嬉しいです。
5日目(知立~四日市)
サッカー観戦の後、豊田で一泊しました。
東海道旅としては知立宿まで歩いたことになります。
昨日来た道を辿り、一旦知立まで名鉄で戻ります。
サッカーでボロ負けして贔屓のJ2降格が現実味を帯びてきた翌日、どれだけ引きずるかと思いましたが、予想外に清々しい気持ち。
自分の旅に集中できていました。
空は青く澄んでおり、この日も暑くなりそうな予感。
熱中症予防のために午前と午後で活動を分けようとか、どこからスタートしようと電車内で計画していました。


サマリ
修正後の計画では、この日は名古屋の宮宿(熱田)から三重の四日市宿まで歩く予定でした。
しかし思ったより朝は涼しく、身体も軽いので有松駅からスタートしました。有松は14kmある池鯉鮒宿と鳴海宿の間宿として栄えた名残の伝統的な建造物群があるためです。
この日からは日中の気温は依然高く日没後の気温がグッと下がる、寒暖差の大きい日が続くようになりました。
日中の熱中症を避けるため、宮宿から桑名宿までを結ぶ「七里の渡し」は基本的にスキップすることを考えます。この辺りの取捨選択のメリハリが利くようになったのは苦しんだ前半があったからこそ。
「七里の渡し」とは伊勢湾を通り同宿間を結ぶ七里(28kmくらい)に渡る海路を指します。東海道唯一の海路で当時は天候に大きく左右されることから難所でもありました。海路をできるだけ回避する脇往還(まわり道)もあったようです。
しかし日本隋一の治水の舞台でもあるこの区間をまるまるスキップしてはおもしろくありません。
木曽三川のデルタにあたるその雰囲気も味わうべく、長島からリスタートして四日市まで向かいました。

有松宿(愛知県名古屋市緑区)
池鯉鮒(知立)宿と鳴海宿の間には間宿として有松という地域があります。
有松の旧東街道は江戸後期から昭和初期の町屋が残る重要伝統的建造物群保存地区として指定されています。


鳴海宿(愛知県名古屋市緑区)
写真の通り雲一つなく日差しが強い状況、朝早いうちはさして問題にはなりませんが、少しでも日陰を求めて歩きます。
初日に比べると、このあたりは敏感かつどん欲になってきました。
しばらく歩くと鳴海に到着しますが、鳴海宿はほとんどそれらしい史跡は残っておらず、本陣跡の看板を見逃したので逆戻りするハメになりました…

鳴海宿を過ぎ天白川を渡ると笠寺一里塚が現れました。

笠寺観音は正式名称は「天林山 笠覆寺」というそうです。
この笠覆寺は「尾張四観音」の一つ。
尾張四観音とは名古屋城築城の際に名古屋城の鬼門にあたる方角の鎮護として徳川家康によって定められた四寺を言います。


笠寺を過ぎ、呼続(よびつぎ)という変わった地名の町を抜けるとまもなく交通量が増えてきます。
交通量によって名古屋に近づいていることを実感しました。
宮宿(愛知県名古屋市熱田区)
熱田神宮もいいですが、まずは宮宿で最も行きたかった場所へ。
宮の渡し公園に到着です。
ここから桑名まで七里の渡しが始まるんですね。
近くには熱田神宮がありますし、渡しの発着点としてこの地は大変に栄えた宿場だったことでしょうね。
なかなか暑かった午前の部、ここで終了!



昼休憩がてら暑さしのぎも兼ねて、コメダ珈琲さんでしばしの休憩です。

長島(三重県桑名市)
まだまだ暑い時間帯ですが、午後の部は前述のとおり長島からスタートです。
既にここからは三重県桑名市に入っています。
桑名はわたしの生まれ故郷です。
長島と言えばナガスパですが、幼いころに連れてきてもらった記憶があります。
身長制限をぎりぎりクリアする程度だった私は、祖父に抑えられながらホワイトサイクロンに乗りました。

この長島地域は木曽川と長良川・揖斐川という一級河川に囲まれた低湿地であり、江戸時代からの整備により堤防で囲まれた輪中地帯です。また木曽三川の最下流で現代ほどの治水でもない低湿地のため、海路が発達したのでしょう。
地図上で見るとまるで川に浮かぶような地形をしています。
今回は伊勢大橋で長良川と揖斐川を渡りますが、どうしても寄っていきたいところがありました。
「揖斐・長良川の背割堤」です。
揖斐川と長良川の合流部にある堤防で、両川の間を分けるように走る細長い土地を指します。
つまり七里の渡しは舟ではなく、川の背を歩いて渡ったと言えるかもしれません。

(左側が揖斐川、右側が長良川)
揖斐川と長良川にかかる伊勢大橋から背割堤に降りられます。
橋の中に信号があり、背割堤に車で降りられるようになっています。
背割堤は地元の方にとっての交通網の一部として活躍しています。

鉄骨で若干隠れていますが橋の中に信号があります。
また背割堤から橋に入ってくる信号待ちの車が橋の向こう側に見えます。
両側近くを大河川が流れる中を歩く独特の光景は、大自然が創り上げた水の回廊を歩いているような感覚です。
空が広く映り、湿気を含んだ風がよく吹き抜けます。
自身の足で歩くぶん、舟にはない味わいがあります。
しかしそんな優雅な感覚ばかりではなく、下流に向かって流れる水の迫力と怖さも確かに感じました。
ただ全体的には楽しい気持ちが勝っており、予定になかった背割堤の散歩で1時間弱を使っていました。
最後にこれから行かれる方に向けて。
背割堤は歩けますが、歩道はないので道の端っこを歩きます。また地元の方の迂回路になっているので結構なスピードで車が通ります。車にご注意ください。
また伊勢大橋は上流側の歩道じゃないと背割堤には降りられませんでした。
私はリサーチ不足で渡りきったあとに後戻りをくらいました…

桑名宿(三重県桑名市)
背割堤から伊勢大橋に戻り、揖斐川を渡ります。
そこからは揖斐川沿いの堤防を下流方面へ歩いていきます。
子どもの頃はよく河川敷で練習していた私からすれば、つい走り出したくなるような気持ちのいい道でした。

本来予定していたリスタート地点にも到着しました。
桑名側の七里の渡し跡です。


左に見える櫓は水門の管理所のようです。
幼い頃の記憶は断片的にしか残っていませんが、なんとなくこういう風情ある光景があったのを覚えています。祖父に連れてきてもらったのでしょうか。身体も覚えているのでしょう。この水の都の空気が肌に合う気がします。

その後も桑名で思い出の場所を巡りつつ、思ったより時間を使いながら南下します。
桑名市と朝日町の境目となる員弁(いなべ)川にかかる町屋橋、桑名側の根本にある川出拉麺店で晩御飯をいただきました。

町屋橋を渡る時刻は18時頃、日も傾いてきました。
故郷で迎える夕暮れはとてつもなくセンチな気分になります。

左奥の方にナガスパのジェットコースターが見えます

その後、朝日町と川越町を抜けて四日市へ向かいました。
日が暮れるのでバックライトを点灯し、近鉄やJRとも交差しながら旧東海道を南進します。
旧東海道は結構車の抜け道になることが多いので、道路幅の割に交通量が多かったですね。また歩道が明にない場所も多いので、ナイトウォークの装備はあってよかったと感じました。
四日市宿(三重県四日市市)
暗くなり涼しさが出てきますが、頭痛など熱中症の症状が出てきました。
生来偏頭痛もちであまり身体が強くなかったので、子どもの頃は毎日のように頭痛に悩まされたり消化器系の症状が出ていたことを思い出しました。
身体の諸症状については今もあまり変わりません。
我ながら敏感かつ繊細で、身体症状として現れやすい体質をしています。
時刻は20時前、ようやく四日市へ到着しました。
ホテルへ到着後も含めて、かなりの疲労の蓄積を感じました。
夜に歩くのは楽でいいのですが、宿到着後のタスクや疲労回復の時間を考えると時間が惜しい、そんなもどかしい気持ちになります。

5日目の感想と気づき
計画にない寄り道をして、気ままに歩く気持ちの余裕が出てきた。
計画された旅だけでなく、寄り道にこそその人らしさが現れる。寄り道だって旅の中の大切な道。生まれ故郷を心ゆくまで歩く中で幼い頃の記憶が思い出された。
自分がどういうところで生まれて育てられたのか、ただのイベントではなく今につながる一つのストーリーとして考えることができた。涼しいともっともっと行ける気がする。
しかし涼しくても熱中症の症状は出る。その兆候を理解すること。
歩ける距離が伸びたことによる疲れ、また寒暖差の激しさによる疲労感も感じた。
6日目(四日市~水口)
サマリ
本来の計画は亀山宿~水口宿(濃い黄色線)。
鈴鹿峠越えを考慮して下方修正した距離でしたが、計画を変更して石薬師宿と庄野宿も歩くことにしました。
この日は計画以上に歩くことができた一日となりました(実績:橙線)。
その活力になったのは旅の中の偶然の出会い。
この日はそれが続きました。
おそらく生涯忘れられない一日になったでしょう。

奇跡的な出会い
四日市のホテルで朝食バイキング中に声をかけられました。
何と偶然、会社の同僚でした。
そして彼らも東海道五十三次の旅をしているのだそうです(彼らは車でしたが)。
五十三ある宿場のうちのこの四日市で、複数あるホテルのうちの一つで、しかも同じ時間に朝食を食べているという奇跡的な出会い。
向かう場所は同じため、「車に乗っていく?」なんて冗談を言われましたが、さすがに固辞しました(笑)
お互いの健闘を祈って別れました。
しかし思わぬ出会いに元気が湧いてきます。
石薬師宿(三重県鈴鹿市)
四日市から鈴鹿に入り、進路を南から西へ。
鈴鹿川に沿って上流へ向かいます。
この日も予報は涼しいものでしたが、日中の日差しで暑さがぶり返してきます。鈴鹿川を上って河曲駅を通り、石薬師宿に着くころにはかなり暑くなっていました。

石薬師宿は宿場の南に位置する石薬師寺が由来となっており、明治以降の和歌と国文学の世界で有名な佐々木信綱の生まれた地です。
石薬師宿の旧東海道は「信綱かるた道」と称されて、信綱が詠んだ短歌50首がかるたのように選抜されて各所に設置されています。
全部を見るわけにはいきませんが、通りがかったものは立ち止まって声に出してみたくなりますね。

「いきいきと目をかがやかし幸綱が 高らかに歌ふチューリップのうた」

忙しなく車が行き交う現代国道の喧騒を見てギャップを感ずにいられません。

「蝉時雨 石薬師寺は広重の 画に見るがごとみどり深しも」
石薬師宿と次の庄野宿はもともと四日市宿と亀山宿の間が約22kmあるための不便を解消するために設置されたとされています。
石薬師宿から庄野宿へ。
旧東海道を歩いていると、散歩中のお母さんに声をかけられました。
「東海道かい?がんばって」
こんな声かけ一つも嬉しいものです。

庄野宿(三重県鈴鹿市)
豊橋や岡崎辺りでも述べましたが、広義の意味での東海道は国道として整備されて高速化された反面、旧東海道が吸収されたことにより残念な部分もあります。
その一つがこの辺で、旧東海道は国道1号に合流します。
石薬師宿から庄野宿に行くためには庄野町北交差点まで国道を進んだ方が早そうですが、歩道が雑草で覆われて歩ける状態ではありませんでした。かといって退避するような道もなく、来た道を戻るか一部車が来ないタイミングを見計らい車道に出るかという選択に迫られました。
結局後者を選択しましたが、時間も空間も自分のペースで流れる一人の徒歩旅が、車道に出た瞬間に現代のスピード感とルールに引き戻される感覚がしてたまりません。ただの気遣い以上に疲れがたまります。
あくまでこのルートに関して言えば、国道を長く歩かずに加佐登町交差点からJR加佐登駅方面に入った方が歩きやすかったと思います。
こういう歩いてみないとわからない苦労はたくさんありました。

国道ではなく、早めに加佐登駅方面に入るのが正解だったかも。
中日本コンクリート工業さん目の前の歩道部分は草ボーボーのため、歩ける状況ではありません。

点線の部分は1号線に吸収されているようですが…
庄野宿へ到着しました。
庄野宿は東海道の宿場町で最も遅く設置された宿場であり、隣の石薬師宿からは2.7kmほどしかないそうです。
規模の小さい宿場ですが、しっかりとした解説版や雰囲気の残る建物も多いため、昔ながらの宿場町の面影を感じることができるいい町だと思いました。



白雨(夕立)に見舞われた旅人が右下に写る宿場を後にして駆けていく様子は臨場感と旅の儚さが両立しているなと感じます。
亀山宿(三重県亀山市)
庄野宿から旧東海道を西進すると亀山宿です。
亀山宿は城下町でもあり宿場町でもあります。
城下町のため武家屋敷らしいしっかりとした建物が多いです。
庄野宿あたりからは暑さで心が折れそうでした。
実際の気温を調べてみると亀山の日最高気温は27℃程度とそこまでではないですね。
いや、そんなことはないはず…
暑く感じる要素を挙げてみると、
・秋分の頃とはいえ夏の日差しが残り、アスファルトの照り返しがきつい(発表される気温は日陰で照り返しもない条件での観測結果)
・ほぼ秋分にあたり、太陽が真上を通るため日陰ができづらい。よって直射日光を浴びる時間が長くなる。
・その暑さの中、10kg程度の荷物を背負って10km以上歩いてきた
挙げていると、私の体感は間違っていないと自信が出てきました。
体感温度は30℃は確実に超えていたでしょう。
視界に映る行く先と青い空を見上げて「逃げ場がないなあ」という苦笑いとため息。
(割ととんでもない状況の中で頑張っていたんだなあと再認識します)
日陰の少ない町並みの写真で絶望感を感じてみてください(笑)



亀山宿を過ぎ、東名阪自動車道の亀山JCT近く、鈴鹿川と交差する高架下には歌川広重が東海道53次として描いた三重県の各宿場の絵が並べられていました。
ささいな演出ですが、これまでの道のりと行く先を想起させられてテンションが上がります。




関宿(三重県亀山市)
四日市を出て4~5時間経ったでしょうか。
関宿に着きました。
ここまで来てようやくこの日の行程が半分くらいです。

関宿は地理的な意味でも歴史的な意味でも訪問を楽しみにしていました。
また体力的な意味でも、鈴鹿峠に向かう前に補給や一息つきたいと考えていたポイントです。
ここは鈴鹿峠の東麓にあたり、奈良時代には美濃の不破(現岐阜県不破郡関ケ原町)と越前の愛発(あらち)(現福井県敦賀市疋田)と並ぶ古代三関(さんげん)の一つ、伊勢鈴鹿の関が設置されました。
江戸期になると、旧東海道の宿場としてはもちろんですが、東の追分が伊勢別街道の分岐点となっていました。これは旧東海道を下り津まで、直接伊勢へ向かうための「お伊勢参り」の主要ルートの一つ。東海道を上ってくる人には四日市にある日永の追分が分岐になっています。
西の追分は現在のJR関西本線沿いに加太と伊賀上野を通り、京都の南山城村や木津川方面へ向かう大和街道の分岐点になっていました。
また関宿は町並み保存地区に指定されており、この宿場町としての雰囲気がもろに残っている貴重な場所です。また軒数も多く交通の要所として栄えた場所であることがよくわかります。

最も印象的な「旅の出会い」
この関宿では今回の旅で最も印象に残る出会いがありました。
それがこの喫茶guteさん。
自家製もなかや焼き菓子を販売しており、広くはありませんがいい雰囲気の店内で飲食もできます。
お昼時というのもあったのか、偶然私ひとり。
どこかでお昼を食べたいなと思っていた時分、軒先のスムージーボウルの看板に惹かれました。
暑さでくたびれた身体を身体の内と外から冷やす。
フルーツのビタミンで疲労回復。
アイスコーヒーでカフェインを接種。
完璧なチョイスでした。

(ピタヤはドラゴンフルーツのこと)
食事が終わって休憩中に店長のお姉さんが話しかけてくれました。
明らかな運動着の私の格好を見て興味をもってくれたようでした。
いろいろお話をさせてもらいました。
ウォーキングの話、私の旅の話、三重に関するよもやま話…
細かい話は置いときましょう。
お姉さんの言葉は幼少期に聴いたことのある懐かしさを感じる三重弁。
私のおばさんが話していた三重弁にそっくり。
心地よさを感じさせるのは、言葉だけでなくてお姉さんの雰囲気もあったでしょう。
出発する頃には補給の話に。
お店のピッチャーの水や浄水を水筒に入れてもらいました。
塩分や糖分が必要ということで、つまめるお菓子までいただきました。
亀山以降、特に旧街道はコンビニもないためどうしようと思っていました。
すべてご厚意です。頭が上がりません。
お姉さんは「がんばっている人を応援したいだけ」と仰っていました。
遠くないうちに改めてお礼に伺いたいと思っています。
こんな自己満足な旅を応援してくれるということは、何かしら心に響くものを届けられたのでしょうか。
だとしたらそんなに嬉しいことはないですね。

guteさんでは身も心も装備も充電させてもらいました。
この徒歩一人旅、一人でもくもくと歩く時間を求めていましたが、こういう何気ないところから始まる出会いこそ一人旅の魅力だと再認識しました。
スピード感の求められる情報社会で生きる人間として、人とのコミュニケーションは億劫だと思うことも多いですが、ここには人間一対一の温かい心の交流がありました。
気づけば一時間半くらい滞在していたでしょうか。
楽しかったからヨシ!です。
たくさんの元気をもらったので、意気揚々と鈴鹿峠に向かいます。
坂下宿
関宿を出るとすぐに山に入っていきます。
歩きやすいため全然つらさはないですが、着実に標高を上げていきます。

関宿から約一時間、坂下宿は鈴鹿峠目前にあります。
人っ子一人見ない、どちらかというと野生動物の気配に怯えるような雰囲気です。
しかしその昔は鈴鹿峠を越えてきた、もしくはこれから越えんとする旅人たちで賑わったのでしょう。


坂下宿を過ぎると国道一号線に合流しますが、すぐに山中の旧東海道に入っていきます。
いよいよ本格的な鈴鹿越えです。



ここで道を間違えて盛大に逆走してしまいました。
写真の角度なら正解。片山神社に向かって右手へ登っていかないといけません。

根がむき出しでガッツリ傾いている樹木も多く、いつ倒れてくるかという恐怖も。
先人が踏みしめたところを私も歩く、まさに歴史の道。
片山神社を超えると一気に勾配がきつくなります。
ですがそんなに長くは続きません。
がむしゃらに進んでいるうちにてっぺんを越えました。




guteさんでもらったおやつをつまみながら先へ進みます
(写真は歩いてきた鈴鹿峠方面)

終わりが見えてきたことで気持ちも軽くなります。
土山宿(滋賀県甲賀市)
坂下宿を出てからおよそ1時間半、降り基調の道も終わり、土山の道の駅が見えてきました。土山宿に到着です。
この日は次の水口宿まで向かいます。
土山水口間は約12kmあるため、道の駅で何かつまめるものはないかと探しますが、時刻はちょうど17時で閉店の音楽が…
結局水分の補給だけで先へ進みます。


土山宿は元宿場らしい重厚な雰囲気と規模の大きさを感じる宿場です。
水口宿でもいえることですが、特にこの土山は旅籠の多さが目につきました。やはり鈴鹿峠の西麓ということで、峠越えを終えた/控えた旅人で賑わったのでしょう。
またお宅の表札を見ていると「土山」さんが多いのが印象的でした。
地名由来の姓が根付いていることがよくわかります。


水口宿(滋賀県甲賀市)
土山ではまだ暑さの名残りがあったものの、気づけば日暮れです。
甲賀の地をひたすら北西方面に向かって歩きますが、二日連続で見事な夕焼けを見ることができました。
思わず立ち止まって深呼吸したくなる光景です。
夕景にはいつも心揺さぶられますが、この景色の面白いところは決して同じようには見えないところだと思っています。
周囲のスカイライン、大気の澄み具合や水蒸気量、雲の性状やポジションなどによってオンリーワンの光学的な芸術作品を作り出してくれます。
また夕景を生み出す低高度の太陽は時々刻々と移ろうため、その景色が刹那的なものであるのは皆さまもご存じの通り。

また二時間ほど歩き、水口宿に到着しました。
計画時に遠いことはわかっていたので覚悟していましたが、想像以上に遠かった。
到着はこの日も夜になりました。
涼しくなり体力に余裕が出てきます。
またここまで来た達成感で自信が湧いてきます。
明日が最終日ということもあって気持ちにも余裕が出てきたのか、ラスト3kmくらいは思わず走り出しました。

汗だくで飛び込むことになってしまったホテル、まだチェックインが完了していないのにスタッフさんが受付までお茶のピッチャーをもってきてくださいました。床を汚さないよう汗を拭きながらお茶をいただき、先会計も済ませます。
暫くお話しさせていただきましたが、旧東海道を歩いてくる方の宿泊はそこまで珍しくないようです。
ただ四日市から歩いてきたことには驚かれ、ここまで7日で到着したこと(もちろん途中ワープしたことも)をお伝えすると「過去最速かも」と仰っていました。
全行程しっかり歩けていたらという悔しい気持ち、
意外とすごいことをしているのかもしれないという少し誇らしい気持ち、
両方を抱えながら部屋へ向かいました。

6日目の感想と気づき
発表される気温とは全く異なる体感の暑さに苦しんだ。各要素を考慮すると、日中は発表される気温よりも高く見積もって計画を立てる必要がある。一方で夜間の体感は低く見積もるくらいののりしろが必要。
5日目からの二日間で感じた、私のルーツである三重県への愛。言葉にできない心地よい生まれ故郷の空気、景色、言葉の響き。
出会いこそ一人旅の魅力。旅の中における心の交流は心地よく、最後まで歩き切る活力になった。
知り合いでも身内でもないのに偶然出会った私の旅に感動して応援してくれる人がいる。これは私が歩いてきた道のりが無意味ではないことの証左。2~3日目に苦しみながら旅の意味を再定義したが、この日新たな意味が付け加えられた。
今回も読んでくれてありがとうございました。
次回は東海道の旅最終回を予定しています。
よーく
