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②【松尾芭蕉×伊能忠敬】 ー「人生、歩き出すのに遅すぎることなんてない」

――ようこそ、黄泉トークラジオへ。

この番組は、時代も国も超えて、歴史に名を残した人物たちが“あの世”で繰り広げる、まさかのトーク番組です。

あの世に来て、やっと話せることもあるんです。

笑いとツッコミを交えながら、歴史の裏話をこっそりお届け。どうぞお聴きください。

さて、今夜のゲストは、

江戸時代、日本全国をひたすら歩きまくったふたりの男
――松尾芭蕉と伊能忠敬。

松尾芭蕉は、ご存じの通り、「奥の細道」で知られる、旅する俳句の巨匠。

伊能忠敬は、日本全国を測量し、『大日本沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を初めて明らかにした男。

この世では交わらなかったふたりが、黄泉の茶屋で、今宵初めて語り合います。

果たしてどんなお話がでてくるでしょうか?


「上京して人生転がり出したふたり」

忠敬:はじめまして、伊能忠敬と申します。今日は松尾芭蕉さんとお会いできるとあって、たいへんうれしく思います。

芭蕉:こちらこそ、はじめまして。私以上に日本全国を歩きまくった男がいるってことで、私もぜひ話を伺ってみたいと思ってたよ。よろしくお願いします。で、さっそくだけど忠敬くん、何年生まれなの?

忠敬:生まれは1745年(延享2年)、私が地図を作っていた頃の将軍は第十一代・徳川家斉でした。芭蕉さんは?

芭蕉:私は1644年(寛永21年)生まれ。第五代・徳川綱吉の時代だ。忠敬くんはおよそ100年後輩ってことになるんだね。じゃあ、私の『奥の細道』は読んでくれてたのかな(笑)

忠敬:もちろんですよ。確か、その旅の途中で詠まれたのがこの句。

「古池や蛙飛び込む水の音」

芭蕉:あっ、それ。「奥の細道」の時の句じゃないよ(笑) 貞享3年の春に、江戸深川の庵で門弟たちと蛙を主題に句会を開いたときの一句なんだ。

あっ、それ。「奥の細道」の時の句じゃないよ(笑)

忠敬:しっ、失礼しました!!
ところで芭蕉さんは、どうして俳諧の世界に入られたんですか?

芭蕉:18歳か19歳の頃、私は伊賀国で侍大将の息子・良忠さまの奉公人をしていたんだ。年齢も近くてね、仲が良かった。その彼が私を句会に誘ったのがきっかけだな。

忠敬:あれっ!芭蕉さんは伊賀のご出身なんですね。てっきり江戸かと……

芭蕉:生まれは伊賀だよ。伊賀生まれっていうだけで、後世、“芭蕉忍者説”なるとんでも説まで生まれたけど、根も葉もない(笑)それはさておき、良忠さまと一緒に京都の有名な師匠のもとで本格的に俳諧を学び始めた。けど、残念ながら良忠さまは4年後に亡くなられてね……

忠敬:なんとまぁ、若くして、、

芭蕉:私はその後も修行を続け、ついには「俳諧埋木」という作法書を伝授された。

忠敬:一人前と認められたんですね。

芭蕉:まあ、まだ一人前ってわけにはいかないけど、卒業証書みたいなもんだね。これを機に江戸に向かったんだ。

忠敬:関西の若手芸人が東京進出する感じですね。

芭蕉:なんだい、それは?

忠敬:いえ、現代風の例えでした(笑)でもこの江戸進出が功を奏して、芭蕉さんはすっかり名の知れた存在になられたわけですね。

芭蕉:自分でも江戸に出て良かったと思っているよ。
ところで、忠敬くんは測量を学ぶために弟子入りしたって聞いたけど……

忠敬:はい。高橋至時さまという天文学者にして、幕府の天文方の役職に就かれていた方に弟子入りして、天体観測と測量の勉強を始めました。そのとき私は50歳。ちなみに師匠は31歳でした。

芭蕉:50歳で弟子入りって、すごいね。しかも師匠が20歳も年下とは。素直に教えを請う姿勢、見習いたいよ。

忠敬:この弟子入りを機に、下総国から私も江戸で過ごすことになったのです。

芭蕉:なるほど、忠敬くんも上京組だったんだな。

忠敬:ただ50歳で志を持って上京なんて当時も今もたぶん私ぐらいなもんじゃないでしょうかね(笑)。

「歩き始めるのに年齢なんて関係無いね」

芭蕉:ははは(笑)。年齢の話になったついでに、私が本格的に全国を旅するようになったのは、実は40歳になってからなんだ。

忠敬:それは意外でした。普通は若いうちに旅して、40歳を過ぎたら落ち着くものかと……
芭蕉さんの「奥の細道」は若い頃の旅の記録を後年になって書き下ろしたものだとばかり思っていました。

芭蕉:いやいや、それを言うなら忠敬くんも負けてないよね?聞けば、全国を歩きはじめたのは、私より遅かったじゃないか?

忠敬:はい、私が測量の旅に出たのは、55歳からです。

芭蕉:うわ、それはすごい。55歳って、普通はもう隠居してのんびり暮らす年頃だよ。

忠敬:ええ、実際に50歳で隠居しました。でも、隠居してやりたかったのが天文学と天体観測だったんです。ついには、「地球の大きさを知りたい」と思うようにもなりましてね。

「地球の大きさを知りたい」と思うようにもなりましてね。

芭蕉:地球の大きさって!どうやってそんなもの測れるっていうんだい?まさか地球一周、歩いて測るつもりだったのかい?(笑)

忠敬:いやいや、さすがにそれは無理な話(笑)。実は、地球の大きさというのは“子午線一度の距離”さえ分かれば、あとは計算で出せるんです。つまり、子午線一度の距離に360をかけると、地球の円周が求まるわけです。

芭蕉:ふむふむ。文系の私にはピンとこないが……で、実際どのくらいの距離を測れば、その“一度”が分かるっていうんだい?

忠敬:私の師匠いわく、正確な値を出すには、江戸から蝦夷地ぐらいまでの距離を測るのが理想だと。

芭蕉:なるほど。それで全国測量に出かけることになったわけか。

忠敬:そうなんです。ただ、当然のことながら幕府の許可なくして、勝手に測量なんてできる時代ではありませんでした。そこで、「正確な地図を作りますので、どうか測量の許可をください」と幕府にお願いしたんです。当時、蝦夷地にはロシア人がしばしばやってきては緊張関係が生じていました。でも、幕府の役人たちは、そもそも蝦夷地がどういう地形なのかも分かっていません。

芭蕉:そこに正確な地図の必要性があったってわけだ。

忠敬:はい。そして私は「地図を作るついでに、子午線一度の距離も測ってしまおう」と、一石二鳥を狙ったわけです。

芭蕉:で、幕府はその測量の許可、すぐに出してくれたのかい?

忠敬:いやいや、そう簡単にはいきませんでした。どの時代も“お上”ってのは腰が重いものなんでしょうね(笑)。それでもなんとか許可が下りまして。いざ測量に出発できたとき、私は気づいたら55歳になってましたよ。まさか自分がそんな年齢から新しい人生を始めるとは思っていませんでした。

芭蕉:でも、そういう話を聞くと嬉しくなるよ。私も40歳で「奥の細道」に出たけど、「今から?」って言われたもんさ。

忠敬:でも結果的に、それぞれの“歩み”が歴史に残ったんですから。

芭蕉:年齢なんて、関係ないんだよね。大事なのは、「歩き出そう」って思ったその瞬間だよ。
忠敬:本当に、そう思います。

「歩いた距離は地球一周分」

芭蕉:それにしても、忠敬くん……君は、日本全国を北から南までマジで歩いちゃったんだよね。
これ、一回の測量で北から南まで一気に歩いたの?

忠敬:いやいや、さすがにそれは無理ですよ。第一回目の測量は蝦夷地を中心に、第二回目は伊豆および本州の東海岸の測量、という具合に測量エリアを分けて進めました。

芭蕉:なるほど。何回かに分けて測量してきたってわけね。

忠敬:そうなんです。結果、全部で10回の測量の旅に出ました。そしてそれらをすべてあわせると……歩いた距離は、およそ4万キロに達します。

芭蕉:よ、4万キロ!? ……想像の域を超えてるよ!

忠敬:4万キロというのは、実はこれ地球一周分に相当する距離なんです。

芭蕉:いやいや!さっき「地球一周なんて無理です」って言ってたけど、君……歩いてるじゃないか!(笑)

忠敬:まあ、17年間コツコツ歩いていたら、気づいたらそんな距離になっていた……という感じですね。 そんな芭蕉さんだって、「奥の細道」だけでなく、他にもいろんな旅をされてますよね。全部合わせると、かなり歩かれてるのでは?

芭蕉:確かにそうかもしれないね。振り返ってみると、 「野ざらし紀行」では、江戸から東海道を下って故郷の伊賀へ行き、そこから京や大津、尾張を巡って江戸に戻った。 そして「奥の細道」では、江戸から奥州・松島・平泉を巡り、出羽山脈を越えて北陸へ、最終的には美濃の大垣まで歩きに歩いたね。 ほかにも何度か旅に出ているよ。

忠敬:ふむふむ……地図上で芭蕉さんのすべての旅の足取りを追ってみますとですね……(計算中)……生涯で少なくとも6,000キロ以上は歩かれていますよ。

芭蕉:さすが忠敬くん、算出が早い!(笑)

忠敬:計算早いついでに言うと、6000キロといえば、東海道五十三次の12往復分に相当します。

芭蕉:東海道五十三次を12往復しなさいって言われたら絶対にしないけどね、、

忠敬:はは(笑)、私もです。

「“第二の人生”の歩き方」

──さて、話題は「第二の人生」へ。

忠敬:あらためてお伺いしますが、芭蕉さんが本格的に旅を始められたのは40代からでしたよね。やはり何かきっかけがあったんですか?

芭蕉:そうだね。江戸である程度は名を成していたけれど、それだけじゃ満たされなかった。もっと自由に、もっと自分の内側を探ってみたくなったんだ。

忠敬:私は50歳を過ぎてから測量を始めました。人生も半ばを越えてから「本当にやりたかったこと」にようやく出会えた気がします。

芭蕉:忠敬くん、それはすごいね。今の世の中は「人生100年時代」と言われてるらしいけど、私たちの生き方も、実はその“後半の時間”をどう過ごすか、というひとつのモデルになるかもしれないね。

忠敬:そう思います。家督を譲ったあと、残りの人生をどう使うか。学び直し、挑戦し、歩き続けた日々は、若い頃とは違った充実感がありました。

芭蕉:私もね、旅の中で詠んだ一句一句に、自分のすべてをかけていたと思う。風景の中に心を映し、言葉にして残す。それが私にとっての“生きる”だったのかもしれない。

忠敬:芭蕉さんの句は、歩いた時間と風景の厚みがにじんでいます。だからこそ、何百年たっても心に響くのでしょう。

芭蕉:ありがとう。人生の後半でも、自分の「これだ」というものを見つけるのに、遅すぎるなんてことはないんだよね。

忠敬:まさにそれです。これさっきも言いましたけど、いくつになっても歩き出せる。第二の人生とは“余生”なんかじゃない、いつでも“本番”です。

芭蕉:忠敬くんのように本気で学ぶ姿勢をとれるか、たとえ年下の先生だとしても、謙虚に学ぼうとできるか。
人生の後半ともなると、本気で学ぼうとする人が少ない気がしますね。

忠敬:これまでの蓄積だけでなんとかしようとする人がいますけど、たぶん無理だと思います。しかもその蓄積なるものも単なる自分の思い込みなんてこともあったりしますからね。

芭蕉:忠敬くんのいうとおりだと思う。やりたいことがあれば、本気で学ぶこと、それができる40代、50代の人が人生後半生をよりよく生きることのできる秘訣だと思うよ。忠敬くんのようにね。

「ふたりの旅は、まだまだ続く?」

忠敬:ありがとうございます。
いやぁ、今日の対談、本当に勉強になりました。芭蕉さんと話していると、測量じゃ計れない“何か”が見えてくる気がしました。

芭蕉:ああ、それは旅人が最後にたどり着く場所かもね。地図には載らないけど、心にはちゃんと残るんだ。

忠敬:最後に私からご提案があります。今度、“黄泉の細道”を一緒に歩いてみませんか? 測量器、持っていきますんで。

芭蕉:それ、句が浮かばないほど過酷な道じゃないだろうね?(笑)

忠敬:たぶん未舗装です(笑)

芭蕉:じゃあ私は、足に優しいプレミアム草履でも用意しておこうかな(笑)

忠敬:あっ、それ反則ですよ。私の分もお願いしますね(笑)

(ふたりの笑い声が、静かな茶屋に、ほのかに響いた――)

――おわり。


今夜の黄泉トークラジオ、いかがでしたか?

伊能忠敬が歩いた距離は、マジやばかったですね。
芭蕉さんじゃないけど、「地球一周!」ってつっこんでしまいました。

1番印象に残ったのは、芭蕉さんの「本気で学ぶ姿勢をとれるか」という言葉です。
年をとればとるほど、本気で学ぶ姿勢ってなかなかとれるものではないというのが私の実感するところでして、自分をあらためるきっかけになりました。

さて、あなたはどんなことを感じましたでしょうか?
よろしければお気軽にコメント欄で教えて下さいね。

それでは、次回の黄泉トークラジオも、どうぞお楽しみに。

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