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「作曲は過大評価、作詞は過小評価、編曲は認知されていない」という話について考える

こんばんは。Yomogiです。

少し気になったので
今回は、Xで少し話題になっていた件について考えてみます。

補足:
元ポストの方から以下補足をいただきました。
(すみません、ありがとうございます)
今回の自分の記事は、元ポストに対してよりも、そこに対して広がったコメントや話題となっているところに対しての考えてみる、が正しいかも知れません。

「世の中は作曲という能力を過大評価しすぎている」
「作詞という能力を過小評価しすぎている」
「編曲という能力の認知がなさすぎる」

という話について、自分なりに思ったことを書いてみようと思います。
普段こういうSNS上の議論には、あまり触れないようにしています。
というか、特にXで起きるこの手の議論があまり好きではありません。

極端な言い方の方が伸びやすいので、最初はそこまで強い意味で言っていなかったとしても、最終的には

「作曲と作詞、どちらが難しいのか」
「編曲家はもっと評価されるべきだ」
「いや、作曲家を下げる必要はない」

みたいな話になっていく。

いつものやつです。

ただ、自分は普段、会社に所属しながら作編曲をやっている側なので、この話について思うところはあります。

あくまで自分目線ですが、少し整理してみます。


そもそも、誰が評価しているの?

最初に気になったのがこれです。
作曲を過大評価しているのは誰なのか。
作詞を過小評価しているのは誰なのか。
編曲を認知していないのは、どの層なのか。

一般のリスナーなのか。
アーティストのファンなのか。
音楽メディアなのか。
レコード会社なのか。
制作を発注する側なのか。
それとも、作家同士の話なのか。

ここが曖昧なまま「世の中は」とまとめてしまうと、かなり話が大きくなります。

一般のリスナーが、作曲と編曲の違いを細かく知らないのは普通だと思います。

完成した曲を聴いて、
「この人の作る曲が好き」
「この作曲家の音が好き」
と言う時、その中にはメロディだけではなく、

  • イントロ

  • 楽器構成

  • リズム

  • コードの鳴らし方

  • 音色

  • 曲の展開

  • ミックスの質感

まで含まれていることがあります。

実際には編曲家や演奏者、エンジニアが作った部分でも、リスナーからすると全部まとめて「この人の曲」です。
でも、それは編曲を軽視しているというより、単純に役割の区切りを知らないだけだと思います。

そして、知らなくても音楽は楽しめます。

映画を見る時に、撮影、照明、美術、編集、音響の担当者を全員把握している人はほとんどいません。

でも、それで映画を楽しんではいけないわけではない。

音楽も同じです。


制作者側から見ると、作詞・作曲・編曲だけでもない

制作する側から見ると、もちろん編曲はめちゃくちゃ重要です。
編曲次第で、同じメロディがロックにも、バラードにも、ダンスミュージックにもなります。

作詞も同じです。
良いメロディがあっても、言葉の響きや母音、譜割りが合っていなければ歌として気持ちよく聞こえません。

作曲も当然重要です。
そもそものメロディや曲の核がなければ、始まらないケースも多いです。

ただ、一つの曲に関わっているのは、この3つだけではありません。

  • 歌う人

  • 演奏する人

  • ディレクター

  • プロデューサー

  • レコーディングエンジニア

  • ミックスエンジニア

  • マスタリングエンジニア

  • A&R

  • 映像を作る人

  • ジャケットを作る人

  • 振付や衣装を考える人

  • 宣伝する人

  • スケジュールや予算を管理する人

かなり多くの人が関わります。

特に商業音楽では、一人で完全に完結することの方が少ないです。
自分が作編曲とミックスまで担当したとしても、歌う人が変われば別の曲に聞こえます。

ディレクションが変われば、録り方も変わります。
マスタリングで最終的な印象が変わることもあります。
ジャケットや映像によって、曲の受け取られ方まで変わります。

なので、「誰の仕事が一番価値があるのか」と言われても、曲によるとしか言えません。

本当にこれに尽きます。


商業音楽は、みんなで神輿を担いでいる

自分は、商業音楽って神輿に近いと思っています。
多くの人が神輿を担いで、その上にアーティストやアイドルが立つ。
最終的に名前が大きく出るのは、表に立つ人です。
歓声も注目も、その人に集まります。

でも、同時に批判を最初に受けるのもその人です。

曲が良ければ褒められる。
曲が悪ければ、その人の名前で批判される。

歌詞を書いていなくても歌詞について言われるし、作曲していなくても「最近の曲は良くない」と言われます。

表に立つというのは、良いところだけを持っていくことではありません。
作品の顔として、最終的な評価を引き受ける仕事でもあります。

一方で、裏側には神輿を担ぐ人がいる。
作詞家も、作曲家も、編曲家も、エンジニアも、スタッフも、それぞれの持ち場で作品を成立させています。

だからといって、全員が神輿の上に乗る必要はありません。
全員乗ったら、多分壊れます。


「認知されていない」と「評価されていない」は違う

ここは分けた方がいいと思っています。

一般のリスナーが編曲家の名前を知らないことと、編曲家の仕事に価値がないことは同じではありません。

制作現場で編曲が重要なのは、ほとんどの人が分かっています。

ただし、

  • クレジットが正しく表記されない

  • 約束した報酬が支払われない

  • 実際に担当した仕事を別の人の実績にされる

  • 貢献に対して契約条件が悪すぎる

という話なら、これは問題です。
普通に改善した方がいい。

でも、それは「一般のリスナーから名前を知られていない」という話とは別です。

知名度。
報酬。
クレジット。
仕事への尊重。

この辺を全部「評価」という一つの言葉にまとめるから、話が分かりづらくなります。

リスナーからの知名度が欲しいのか。
制作現場での待遇を改善したいのか。
権利収入の仕組みを変えたいのか。
クレジットを正しく残したいのか。

まず、どの話をしているのか決める必要があります。


「アイドルはアーティストなのか」論争と似ている

少し前に、「アイドルはアーティストなのか」という話もありました。

これも正直、かなりナンセンスだと思っています。
アイドルが自分で作詞作曲をしていなくても、歌って、踊って、作品を背負い、観客へ届けているなら、表現者です。

逆に、作詞作曲編曲を全部自分でやっているからといって、必ず良い作品になるわけでもありません。

全部できるのはすごいです。
本当にすごい。

でも、「全部自分でやる人の方が上」という話ではないと思います。

映画監督がカメラも照明も演技も編集も全部やったら偉い、という話ではないのと同じです。

役割が違う。
それだけです。


それでも不満なら、全部自分でやればいい

少し乱暴に聞こえるかもしれませんが、自分はそう思っています。

自分の名前で評価されたい。
すべての決定権が欲しい。
自分の作った部分を全部理解してほしい。

そう思うなら、全部自分でやるという選択肢があります。

今はDTMで作詞、作曲、編曲、演奏、録音、ミックス、マスタリングまで、一人で完結させることもできます。

配信もできます。
映像も、自分で作ろうと思えば作れます。
宣伝もSNSでできます。

もちろん、めちゃくちゃ大変です。
時間もかかります。

全部の責任が自分に来ます。
曲が伸びなくても、誰のせいにもできません。

怖い。
でも、自由です。
※昔メンタルについて書きましたが通じる所はありそう。

逆に分業を選ぶなら、他の人に任せることで完成度やスピードを上げる代わりに、役割や注目が分散することも受け入れる必要があります。

分業には分業の良さがあります。

自分は作編曲もミックスも演奏も好きですが、全部を一人でやることが常に正解だとは思っていません。
自分より上手い人に任せた方が良いものになるなら、普通に任せます。

作品として良くなる方が大事なので。


まとめ

作詞、作曲、編曲。
どれが一番難しいのか。
どれが一番評価されるべきなのか。

自分は、この問い自体にあまり意味がないと思っています。

曲によって違います。
制作体制によっても違います。
リスナーと制作者でも見え方が違います。

大事なのは、

  • 誰が何を担当したのか

  • クレジットが正しく残っているか

  • 契約や報酬に問題がないか

  • 最終的に良い作品になっているか

だと思います。

作品は、最後には一つのものとして世に出ます。
その時、表に立つ人がいて、その人を支える人がいる。
光が当たる場所が違うからといって、仕事の価値が上下するわけではありません。

でも、全員に同じ光を当てればいいという話でもない。
神輿の上に立つ人。
神輿を担ぐ人。
道を整える人。
掛け声を出す人。

それぞれが自分の役割を果たして、最後にちゃんと前へ進めばいい。
自分はそう思っています。

Xでは、こういう話がすぐに「誰が一番偉いのか」という方向へ進みます。
極端な方が伸びるので仕方ないのかもしれません。

でも、音楽はそんなに単純ではありません。
だから面白いんですけどね。

それでは。

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