見出し画像

タントラとはなんぞや?⑪二つの『ラージャ・ヨーガ』それぞれの目的地

「ヨーガ・スートラ」と「ハタヨーガ・プラディーピカー」の目指す場所


 以前の記事で「ハタヨーガ・プラディーピカー」で語られる“ラージャ・ヨーガ”は「ヨーガスートラ」のサマーディとは全く別のものであることが、近年の学術研究で解ってきたことに触れました。



 「ヨーガ・スートラ」は、心の動きが完全に止まった時に現れる純粋意識(プルシャ)を立ち上がらせる「カイヴァリヤ(解脱)」が到達点です。
それに対し「ハタヨーガ・プラディーピカー」や他のタントラ系修行形態では、微細体を別の形に変容させることが目的となっています。



 「ハタヨーガ・プラディーピカー」でのラージャ・ヨーガが、なぜ「ヨーガ・スートラ」のサマーディと位置付けられたのかは諸説あります。
ですが、インドでこの説が通説とされているということ自体、ハタ系·タントラ系ヨーガはすでに形骸化されていて、ほとんどの霊的系譜は途絶えている、ということを表しています。




●「ヨーガスートラ」の道程


 「ヨーガスートラ」は、次の有名な一節から始まります。

yogaś citta-vṛtti-nirodhaḥ(YS 1.2)
「ヨーガとは心の働きを静止させることである」


「ヨーガ·スートラ」のゴールは「心を止め、純粋意識の孤在に至る」というシンプルな形で、身体の変容には触れないのが特徴です。
そして、その修行階梯8支則の最終段階『サマーディ』には段階があり、大きく分けると以下の二つで、その中で連続性を持ちながらもいくつかに分かれています。

【サヴィカルパ系(対象あり)】:光や音などに集中する段階。

savitarka-samādhi(有尋三昧)
言葉・概念を伴って対象に集中する段階
nirvitarka-samādhi(無尋三昧)
言葉や概念を離れ、対象そのものに集中する段階
savicāra-samādhi(有伺三昧)
精緻な思索を伴い、より微細な対象に集中する段階
nirvicāra-samādhi(無伺三昧)
思索を離れ、純粋に微細対象そのものに没入する

【アサンプラジュニャータ系(対象なし)】:対象そのものが消え、意識が純粋に輝く段階。

nirvikalpa-samādhi(無分別三昧/無想三昧)
すべての対象を超えて、純粋意識のみが残る
asaṃprajñāta-samādhi(無種子三昧)
認識作用も対象も完全に止滅し、解脱に直結する境地





●「ハタ・プラ」及びタントラ系の道筋


 一方、カシミールの哲学者アビナヴグプタ(10–11世紀)が著した、全37章から成るタントラ思想の大系的著作『タントラーローカ』にはこう説かれています。

śarīraṃ dehalī-bhūtaṃ devatābhiḥ samāśritam |
śuddhaṃ bhavati saṃsārāt paritrāṇāya yoginaḥ ||
(TA 29.227)
「身体は神々の住処となり、門口となる。純化された身体は、ヨーギンを輪廻から救うものとなる」


 タントラ系経典では、修行の成果によって光や音、プラーナが立ち上がり、それを神々の現れとして受けとめるとされ、五大(地水火風空)は融解し、再編され、外見は変わらずとも微細体は神的身体=divya-deha(神的身体への道筋はdevatva-prāpti)へと形成されていきます。(英語圏ではdivinization)

文献を比較すると、微細体が直接神体化するケースと、神々の出入口として神殿化するケースの両方が語られていますが、両者が明確に分かれているかは定かではありません。




【まとめ】


「ラージャヨーガ」という同じ言葉でも

  • ヨーガ·スートラのラージャ·ヨーガは「止滅による解脱」

  • タントラ系のラージャ·ヨーガは「変容による神化」

と、まったく違っています。

二つの道は時に重なり合う部分もありますが、最終的に目指す先は大きく違っています。



参考になりましたら♡を
ヨロシクお願い致します。

貴方の心が平和でありますように。

ॐ श्रीमातृभ्यः नमः
om śrī-mātṛbhyaḥ namaḥ

いいなと思ったら応援しよう!