【響きのコラム189広島での祈り】
祈りとは
母の心なのかもしれない。
原爆の日を前にした先週末、
広島では初めての「いのちの地球(ほし)」のフラWSがあり
フラ講師のあっきーと2人で伺って、最後にみんなで平和記念公園で踊った。
ワークショップの前日、
子どもの時以来の久しぶりに資料館に入った。
きっと、年齢による変化もあるのだろう。
以前は気づかなかったことが、心の奥に残った。
それは、母たちの想いだった。
広島のかなしみは
いのちへのかなしみであり
すべての母のかなしみだった。
それは地球という母のかなしみでもあった。
大切ないのちが苦しみを抱えることへのかなしみ。
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広島は、人が人のいのちを、
類を見ない規模と残酷さで扱った記憶を残す土地。
その苦しみを覆い尽くそうとするかのように
母の深いかなしみと慈しみが、幾重にも幾重にも折り重なり
静かな祈りとなって、沈黙の光を放っていた。
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人は人を傷つける。
それ以上の愛で、人は人を抱きしめたいと願い、幸せを願う。
それは生き物としての本能でもある。
一心にだれかの幸せを思うとき
無心に祈るとき、
その想いはなにがあっても、消えることはない。
どのような出来事があっても。
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ヒロシマの傷はヒロシマだけの傷ではなく
人類の普遍的な傷でもある。
この世界が癒されるとすれば
母なる想いが、癒されることからはじまるのかもしれないと感じた。
わたしたちが癒されるためには、
すべてを超える愛を、ひかりを、自分の中に、人の中にもう一度見つけなければならない。
あまりに深い闇を見たとき
それは簡単ではないかもしれないけれど
わたしたちは
何度も何度も傷つき、挫折しながら
それでもいつか揺らがぬその場所に辿り着くことをあきらめずに
歩み続けている魂だ。
それが、祈りなのかもしれない。
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旅に出る前に、いとこや叔母に連絡をとって、会うことになった。
私の知るもう一つの大好きな広島。
毎年夏になると、大自然が迎え入れ育んでくれた、その原体験がわたしの中にある。
一緒に遊んだいとこたちと、見守ってくれた祖父母や親戚のおじさんおばさん。
思いがけずそのままワークショップに参加した叔母が、
最後に何気なく、
「みんなのお母さんが見てるからね」と言った。
まるで、母なるものを代弁するかのようで
はっとした。
叔母はまた、
「賀子ちゃんの曲がこんなにみなさんに愛されて嬉しい」
と、身内らしい感想を口にした。
それはごく平凡な、けれど誰の中にもある、人を育む「母なる思い」だった。
大切ないのちが、素晴らしい出会いや喜びを感じ
自分らしい生を全うすること
それが母の自然な願いであり、祈りだ。
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いのちの地球を共にしてくださったみなさんの
純粋で深い想いにつながれたことに、
心が満たされた。
涙を流したり、
喜び合って、あたたかな時間を共にできることが幸せだった。
ありがとう、広島。
祈りの地。
ありがとう、地球。
光を見失わないでいたい。
祈っているようで、見守られていたのだと感じている。
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