見出し画像

もう願望実現はいらない。現実は“確定する”だけだった。


人生を幸せに生きたくて、いろんなことを学んできました。
私の人生の大半は苦しいものだったので、
幸せに生きたかったんです。


様々な出会いがありここ十数年程は、激動ではありましたが人生は好転してきました。
結婚、出産を経験し、一軒家も購入し「外側」の部分は、安定しているようにも見えました。

けれど「内側」の深い部分は手つかずだったために、
3年ほど前に私は“詰んだ”状態になりました。
子育ても人間関係も自分が積み上げてきたと思っていたものも、なし崩しに崩れていくような、そんな感覚でした。

20代のどん底だった頃に感じていたような、
身体も頭も鉛のように重たくて動けなくなるような、
そんな時期がありました。


そこから少しずつ、内面を見つめるようになり、
私はこれまでずっと興味はあるのに触れられないでいた、スピリチュアルの分野に目を向け始めました。
そこで学んだ知識は、世界の解像度を格段に上げ、
自分という存在を深く理解していく大きな推進力となりました。


ここ一か月程の間で、
現実が望んだ通りに展開していく体験を何度もするようになりました。

それは私がこれまで学んできた仏教、潜在意識、引き寄せの法則、そしてスピリチュアルの知識が、私が最も腑に落ちる形で集約された結果、それが現実となって現れたのだと思います。


スピリチュアルや引き寄せの法則は、現実的な努力を否定するものではありません。
そういった見えない世界について興味を惹かれる人というのは、見えない世界(非物質領域)で物事を動かしていく才能(性質)を持っているのだと思うのです。

その性質が特別ということではなく、
例えば足が速い人、走るのが苦手な人、
数学が得意な人、数学が苦手な人、
絵を描くのが得意な人、絵を描くのが苦手な人が居るように、
ただ単純に個体差だと私は考えています。

ですが、足が速い、絵が上手いなどの目に見える性質と違い、非物質領域を理解する能力というものは物質世界ではあまり理解されません。バカにされがちだったりもします。

そういった性質を持った人たちがもっと評価されるべきだと言いたいわけではなく、そういった性質を持つ人たちは、
もっと存分にその性質を使って幸せに生きていいと思うのです。

目に見えるものが評価されがちな物質世界の中で生きていると、どうしてもその基準に合わせて思考したり判断しがちになります。
社会を生きる上でそれは大切なことでもありますが、その中で自分が本来持っている性質を、否定したり過小評価するのはとてももったいないことです。

見えない世界を理解する性質を使って生きることは、周りから評価されるためでも何かになるためでもありません。
それはあなたが持って生まれた才能を生かして、ただあなたが幸せに生きるということです。
あなたが幸せであれば、あなたの周りから幸せが拡がって行きます。


この記事では、「願望を叶える」という前提そのものが外れたときに起こる現実の変化とその仕組みを、私の体験を基にお伝えします。
読み終えた時、“現実の見え方が変わる感覚”を持ち帰っていただけたら嬉しいです。
(約7,000字、無料でお読みいただけます。)




<必要な情報は必要なタイミングで現れる>

まず始めに、私がなぜこの記事を書こうと思ったかについて、少し説明させていただきたいと思います。

スピリチュアルについて学んでいると、よく、
「スピリチュアル難民」
「引き寄せ難民」
といった言葉を目にします。

願いを叶えたくて、スピリチュアルや潜在意識について学ぶ人の多くは、様々なメソッドに出会いそれらを実践しても、なかなか思うように現実が展開していかない体験があると思います。
私もそのような経験があります。

そのような状況に陥ってしまうものとして、私は2つの大きな理由があると考えています。

それは、
『情報の受け取り方』と、
『これまでの社会構造で考えているから』
です。


スピリチュアルの分野についての情報は、様々なもので溢れ返っています。
中には高額な商品やサービスを「救済」や「癒し」といった言葉を用いて正当化し、不安や自己否定感を抱えた人々の心理につけ込む搾取のような構造も存在しています。

そういったものに関わらなかったとしても、溢れかえる情報の中で、一体何が正解なのか、どのメソッドが正しいのか、誰の言っていることが正解なのか、
そういったスタンスで溢れる情報の中から「正解を選ぼうとする」結果、何が正解なのかわからずに迷ってしまいます。

同じスピリチュアルの中でも、
「願望を強くイメージする」と言っている人も居れば、
「願望に執着せず手放す」と言っている人、
「思い込めば現実になる」と言う人も居れば、
「思い込みは嘘になるから実現しない」と言う人も居ます。

そういった情報を発信している人たちの性格や人生の状況も、
情報を受け取る側の性格や状況ももちろん違うために、
その中から今、自分にとって必要な情報を見極めていくのは、難しいことだと思います。


私は常々、
『必要な情報は必要なタイミングで目の前に現れる』
という信念の基に情報を取捨選択してきました。

これはスピリチュアルの分野の情報に限らず、人とのご縁も、出来事や場所も全て含まれます。
この信念を持つことはとても大切なことだと感じます。正しいものを選ぶのではなく、今の自分に必要なものは、必要なタイミングで驚くほど自然な形で現れる。
その経験を何度も重ねてきたためです。


例えば、
私がスピリチュアルの学びの最初に触れたものは、ルイーズ・ヘイの「ミラーワーク」でした。
鏡に映る自分の目を真っすぐに見つめて、
『あなたを愛している。あなたを心から愛している』と言うものです。
これをやることにより、自分が自分に対して持っている思い込みが明らかになります。

私が数年前にこれを実践してみた時、鏡に映る自分の姿も声も、気持ちが悪くて仕方がありませんでした。
このミラーワークや、ルイーズ・ヘイが提唱する様々なメソッドをきっかけに、自分を心の中で絶えず否定し続けていたことに気付いていきました。


例えばこの時に、エイブラハムなどが伝えている「ただ気分よくいましょう」という情報に触れていたとしても、まったく響かないか、心の奥で激しく自己否定を続けながら表面上「気分よくいる」ことをしてしまい、余計に拗れてしまったと思うのです。

その時々で、自分にとって必要な情報がやって来る。
それをまずは信頼することだと思います。


膨大な情報の中から『正しいものを選ぶ』のか、
『必要な情報は目の前に現れる』のか。

同じ情報に触れていても、根底にどんな前提があるのかによって、受け取り方は大きく異なってきます。
そしてそれは時に「間違い」に見えるようなものも含まれます。
あとから振り返った時に、「あれは間違いだった」と感じるものがあったとしても、その時の自分にとってはその体験も含めて必要なものなのだと感じます。

盲目的に信じることや、全てを委ねることではなく、
自分の内側にある違和感や微細な声にも、同じように耳を澄ませ続けることが大切です。


スピリチュアルの情報で迷子になってしまう2つ目の理由として、
『これまでの社会構造で考えているから』を挙げましたが、これは私が昨年の後半あたりから違和感として感じ始めていたことでした。

情報を学ぼうとする時に多くの場合、著名な人からまずは学ぶと思います。
著名な作家やフォロワーの多いインフルエンサーは、わかりやすい結果を出していて、多くの人に支持されており、その人が発信する情報はとても正しいように思えます。
その人の表現するものは、人を惹きつける魅力があるからこそそれが結果として現れているのであって、それ自体が間違っているわけではありません。

でも、
これだけ多様性が広がった社会で、多種多様な情報が選べる中で、
みんなが同じ人から確信を得られる情報を受け取れるわけではないと思うのです。

私もこれまでに、著名な作家やその分野で大きな結果を出している人、
平たく言うと「凄そうな人」から学んできました。

人は「実績がある人」「多くの人に認められている人」を、無意識に信頼しやすくなります。これは 権威バイアス と呼ばれます。
多くの人が支持しているという社会的証明
確かな答えが欲しいという正解への欲求などから、
それらの「凄そうな人」から学び続けるという行動が生まれます。


自分がその構造に自ら組み込まれてしまっていたことに気づいたのは、昨年の後半のことでした。
最初は違和感として感じていましたが、それをはっきりと言語化することはできませんでした。

ですが、そこから私はその自分の中にある違和感を大切にし、そういった著名な方から学ぶということを少しづつ止めていきました。
先に述べたように、『必要な情報は目の前に現れる』信念を前提に、自分の内側にある違和感や微細な声を無視せず従うことを大切にしたためです。


「自分で考える」ことよりも、「自分の感覚に従うこと」よりも、
階層の上に居る人たちの情報に従うことを優先する。
これらはヒエラルキーや権威に従うといったこれまでの古い社会構造の中で成り立っていた仕組みです。

どこに自分の判断を預けるか。

これまでの社会ではそれが外側(権威)にあり、
現代では徐々に内側(自己)へ移行しつつある。

今はその移行段階にあるように感じます。


私がここ一か月程の間に、現実創造の仕組みを言葉として腑に落とすことができたのは、「無名の人たち」が発する情報でした。
誰か一人が発信する情報で腑に落ちたわけではなく、複数の人たちの言葉や体験によって、少しづつ見え始めた、といった感じでした。

彼らは「途中の人」でもありました。
何か大きな結果を出しているわけでもなく、有名人なわけでもない。
自分の望む人生を歩もうと、必死で生きている人たちでした。

私は彼らの失敗も弱さも隠さず、何かに向かって必死に生きているその姿から、熱量と誠実さを感じ取っていました。
自分の人生の体験から紡がれた嘘偽りのない生きた言葉に、私の心は共鳴し始めました。

それはまるで、「一緒に進んでいく」ような感覚でした。

大きな結果や富を得て、多くの人からの支持を得ている「完成した人」の言葉からは感じ取れなかった質の熱量を、確かに感じていました。

そういった著名人の在り方が間違いなわけではありません。
役割の違いだと思います。
著名な方々は、何かに気付かせるきっかけとなる役割があり、広く多くの人の気付きを促します。
そこから具体的にどう生きていくのかを実践と共に見せてくれるのが、
「途中の人」の役割なのだと思います。そのどちらも重要な役割です。


これまでの「縦の繋がり」から、「横の繋がり」が主軸になってくるのではないかと私は考えています。
noteはその新しい社会の構造が現れている場だと感じます。
自分の繋がりたい人と繋がり、著名人ではなくてもメンバーシップを開設して収益を得ることが出来る。
本を出さなくても有料記事を出すことが出来る。

「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする」というnoteの基本コンセプトは、新しい社会を創る明確な思想を表しています。



私は「答えを持っている人」ではなく、
まだ「途中の人」です。

私がまだ何者でもない彼らから大切な気付きを得たように、私だからこそ渡せるものがあると思っています。
私という窓口から受け取れる人が居るのだと思っています。
それが私が有料記事を書く時の信念です。


<引き寄せの法則はあるのか>

引き寄せの法則は、あるとかないとか、信じる信じないといった類のものではなく、重力と同じで、この世界に絶えず働き続けている力だと私は考えています。

自分を「引き寄せ難民」だと認識すれば、引き寄せの法則に従い、引き寄せ難民だと思えるような現実が創られ続け、
自分にとって必要な情報は必要なタイミングで現れると信じていれば、そうなります。
それを知識として理解し、自分の人生の中でどうすれば上手く活用することができるのか。

大事なのは、ただ「信じる」ことだけではなく、
「腑に落ちる」ことです。



前置きが大変長くなりましたが、ここまで書いてきたテーマも私が今お伝えしたいことだったので、丁寧に書かせていただきました。

ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございます。


ではここから本題に入りたいと思います。





<願望実現ではなく現実確定>


まず結論からお伝えします。


これからは「願望実現」するのではなく、

【現実確定】することで願いは叶った状態になります。


これは私の体感覚から出てきた言葉です。この記事を書くにあたり、どの言葉が最も的確かを考え、当てはめた言葉です。
誰か使っている方もいるかもしれないと思い調べてみたら、量子力学で使われていました。
有名な二重スリット実験において、観測前は確率的に存在していた波(電子など)が、観察・測定することで1つの粒子として位置が特定され、物理的な現実が確定する現象のことを、【現実確定】と名付けられていました。
私がお伝えしたいのもまさしくこの現象についてです。

微妙なニュアンスなのですが、「現実創造」とも異なります。


読んで字の如く、現実を確定させるのです。

え、それって、
「アファメーション」とか
「思い込む」とか
「予祝」と、
どう違うの?

と思われた方もいらっしゃるかと思います。

これがまったく違うんですね。
それらを否定しているわけではありません。アファメーションなどに取り組むことで良い気分になれるのなら、それは効果的なことだと思います。
でも私がここでお伝えしたい【現実確定】とは、質が異なると感じます。

そしてそのために必要になってくるものが、
【本当の望み】です。



<本当の望みの推進力>

私は約1ヵ月ほど前に、これまで自分でもはっきりと気付いていなかった【本当の望み】が明らかになるという体験をしました。
これまでの私の人生の目標は、思考によって導き出したものでした。でもこの時に明らかになった本当の望みは、思考を外したところから浮かび上がってきた、とても純粋な願望でした。
そこには思考によるジャッジが存在せず、良い悪い、社会的に見てどうかなど、あらゆる制限が介入できない純度を持っていました。


この記事の中でも書いていますが、その純度の高い【本当の望み】と繋がると、選択や行動は自然と変わって行きます。
人間の脳は安全の確保の為に変化を恐れるように出来ているので、その過程で怖さも強い葛藤も生じます。

自分の人生が大きく変わって行くことのへの怖さを、恐らく本能的に感じます。
だけど【本当の望み】は、その怖さすらも軽く突破できてしまう程の推進力を持っています。
思考では突破できなかった壁を、突破する行動が自然に取れていきます。


【本当の望み】
と繋がったところから望む現実が創造されるまで、それを邪魔しなければ、ほぼ自動的に起こることだと私は考えています。
邪魔をするとは、
「そんなのありえない」
「私には無理」
「現実的じゃない」

などの思考を持つことです。
特に「現実的じゃない」という思考は、私という存在を現実に強く固定しようとする自我の働きで、望みを根っこから断ち切ってしまうくらいの強さを持っています。

本当の望みとは、自分が持っている「魂の望み」でもあります。その体験をしたくて今、ここに生きているのなら、私たちをそこへと向かわせる力は、弱いものではないはずです。

ですが多くの人が、この魂の望みと一致していない状態にあるのではないかと思います。
魂の望みと思考による望みの違いは、外側の価値観の介入があるかどうかです。

例えば、結婚して子供を持つのが良い生き方だ、とか、収入が多いほうが幸せだ、などです。今の社会の中で生きていれば、外側の価値観によって作られた望みを持つことは、自然なことです。
だけどその望みを叶えるためにがんばっていても、またはその望みを叶えたとしても、何か満たされない。
それはこの「魂の望み」があることを、どこかで感じているためではないでしょうか。

「魂の望み」とは、高尚な望みのことではありません。
むしろ一般的な価値観で推し量ると「低俗」とされるものである場合もあります。
その望みがどんなものであれ、自分の純度100%と言える望み。
それが魂の望みです。

私の場合、何かのメソッドに従った結果、望む現実が現れ始めたわけではなく、この【本当の望み】が明らかになった結果、そうならざるを得なかった、といった感覚に近いです。
「自動的にそうなった」と言えます。その仕組みや心の動きを分析し整理して、この記事に落とし込んでいます。

【本当の望み】と一致した時、私たちは深く満たされ、歩む道のりは、そのプロセスもすべてが充足になるのです。
ネガティブな感情や困難な状況が無くなるわけではありませんが、根本的には「ある」を感じられるところから、物事を俯瞰して見れるようになっていきます。



<願望を実現させる必要がなくなった>

【本当の望み】が明らかになると、それが叶った状況を、思い描くことができます。

ここで、現実を確定させます

これは、タフティが説いている、“未来のコマを照射する”ということに近いです。
タフティが説いているものは、今見えている現実というのは既にスクリーンに映し出された映像であり、変えるのはそのスクリーンの映像ではなく「映写機側」だというものです。
それを、“三つ編み”のメソッドなどを用いて説明しています。

私は1ヵ月以上前に、YouTubeでタフティの解説動画などを数本見て、面白そうだと思い本を購入しました。
でも実は、私はこの本を最初の数ページしか読んでいません。今ご説明した内容は、解説動画で得た知識です。

本を購入した時の私は、「願望を実現したい状態」でした。
ですがその後に起こった出来事や、そこで得た体感により、
恐らくこの本に書かれていることを体感覚でわかってしまいました。

本の続きを読まなかったのは、面白くないからではなく、
読む必要性がなくなった=願望を実現させる必要がなくなったからです。

そしてここが最も大切なポイントです。
願望は、実現させる必要がないのです。


タフティはせっかく買ったし、読み物として面白いので、最後まで読もうと思います。



<気分よくなろうとしなくていい>

では、願望を実現させる必要がないとはどういうことか。

スピリチュアルが好きな方であれば、
「願いは放った時点で別の次元に存在している」や、
「それが叶っているパラレルワールドが存在している」や、
「ハイヤーセルフ側の自分は全部叶っている」や、
「願った時点で叶っている」
などといった言葉を、聞いたことがあると思います。
私も何度も聞いてきたし、実際にそう感じると安心したり希望が持てたりしたことも確かです。


でもこれ、
わかりにくくないですか?

目にすることも触れることもできない「高次元」を感じることはできないし、
叶っていると言われても、目に見える現実は何も変わっていない。

「気分よくいる」ことが、「高次元」と繋がっている証拠であり、
叶った状態を引き寄せているとも聞きます。


「気分よくいること」に異論はないのですが、
それが腑に落ちていない状態で、ただ「気分よく」過ごそうと思っても、
どこか懐疑的なのです。

そして「ただ気分よくいること」が、願望を叶える方法だと聞いた時に、多くの場合、
『願望を実現させるために気分よくいようとする』状態が発生します。

ここが、現実が変わらないポイントです。


エイブラハムの教えなどで、「ただ気分よくいる」ことを知り、それに対して純粋に信じ、純粋にワクワクし、純粋に気分よくいられる人は、現実が叶うこともあると思います。

だけど私はここが、腑に落ちていませんでした。
そしてこの記事は以前の私と同じように、ここが腑に落ちていない方に向けて書いています。

もちろん、気分がいいに越したことはないのです。
気分が悪い状態よりも気分が良い状態のほうが、物事がスムーズに進むことは間違いありません。

だけど、
願望を実現させたいために、「気分よく」いようとすることと、
「願望を実現させようとする」ことは、

どちらもなかなか現実が変わらないのです。


なぜなら、

どちらも不足のエネルギーだからです。

「気分がいい」状態は、充足の状態です。
ですが「気分よくいようとする」ことは、
気分がいい状態ではないところから、「気分がいい」状態になろうとする行為です。

この状態こそが、不足のエネルギーを発しています。

「願望を実現させようとする」ことも同じです。
一見前向きで良いことのように思えますが、
「今、それがない」「ないから手に入れたい」という、不足のエネルギー状態です。

本来の自然な充足の状態とは異なるのです。
つまり、不自然な状態であると言えます。


では、どうすれば自然に充足の状態になれるのか。
なぜ願望を実現させようとしないで望みが叶っていくのか。


ここから先は、私が実際に「すでにある」という感覚を体で理解し、現実が動き始めたプロセスをお伝えしていきます。
私自身の深い体験に触れていく内容になります。

頭での理解ではなく、“体感として腑に落ちるポイント”に触れていきたいと思います。





《もうそれ以外は生きれない》


ここから先は

9,605字
この記事のみ ¥ 1,200
Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

マガジンをご購入いただくと、これから追加される記事もすべてお読みいただけます。記事の追加に伴い、価格を変更することがあります。

自己受容と現実創造をテーマに、内面と現実の変化を体験を基にまとめたマガジンです。一度ご購入いただくと、これから追加される記事もすべてお読み…

Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?