見出し画像

「お受験に向かない」と言われる娘を、それでも抱きしめて。

1月21日
娘は、いわゆる「お受験向き」の子ではありません。

引っ込み思案で、人前に出ると小さくなってしまう。じっと立っていることが難しく、体はいつもゆらゆらと動いている。テレビを見ている時は驚くほどの集中力を見せるけれど、話しかけてもまるで別の世界にいるかのように親の声は届かない。

負けず嫌いな性格ゆえか、勝ち負けのあるゲームは「負けるのが怖い」からと避けて通る。質問をしても、考える前に反射的に「分からない」と答えてしまう。

小学校受験という枠組みの中で見れば、正直に言って、およそ合格に近いタイプではないのです。それでも私たちは、この道を選び、そして迷い続けています。

「なんでできないの?」怒りに支配された日々

受験勉強を始めた当初、私の心を支配していたのは焦りと怒りでした。

「なんでこの子はこんなにやる気がないんだ」
「どうしてさっき教えたばかりのことができないんだ」

ペーパーに向かう娘の姿勢が崩れるたび、質問に的外れな答えが返ってくるたび、私の胸の奥からどす黒い感情が湧き上がりました。それは「娘のため」という大義名分をまとった、ただの親のエゴだったのかもしれません。

感情のままに叱責を繰り返す日々。娘の瞳から光が消えていくのを感じながらも、私は止まることができませんでした。

恐怖に染まった娘の顔を見て

転機は、ある日突然訪れました。

いつものように勉強を教えようとした時です。ふと娘の方を見ると、そこには見たこともない表情がありました。

娘は、恐怖に怯えた顔で私を見ていたのです。

勉強をしたいから机に向かっているのではない。お父さんに怒られるのが怖いから、必死に鉛筆を握りしめている様子でした。

自責の念
私は今まで、一体何をしていたんだろう。
愛する我が子を、こんな表情にさせるために受験を始めたわけじゃないはずなのに。娘の成長を願うはずの時間が、娘を追い詰め、恐怖を植え付けるだけの時間になっていたのです。
「できない」のではなく「伝わっていない」だけ

深い自己嫌悪に陥っていたある夜、妻と話し合う機会がありました。そこで妻が何気なく言った言葉が、暗闇の中に光を灯してくれました。

「あの子、たぶん視覚優位なんだと思う。耳で聞いて理解するのには、少し時間がかかるだけなんじゃないかな」

その言葉に、ハッとしました。

そういえば、テレビや図鑑など「目に見えるもの」への集中力は凄まじい。一方で、口頭での指示が通じにくいのは、聞いていないのではなく「音としての情報処理」が苦手なだけなのかもしれない。

私は娘を「できない子」と決めつけ、叱るばかりで、娘のことを何ひとつ深く観察していなかったのです。

親としての気づき
「なんでできないんだ」と嘆く前にやるべきことがありました。
娘をよく観察し、この子の特性を知ること。そして、この子に合った学びの環境を整えてあげること。それこそが、親にしかできない役割なのだと痛感しました。
一喜一憂を手放して

それからの私は、少し変わりました。

娘が質問に答えられなくても、すぐに怒ることはやめました。「図に描いて説明してみようか」「カードを使ってみようか」と、娘の得意な「視覚」に訴えかける方法を探るようになりました。

今日できたことが、明日はできないかもしれません。でも、それでいいのです。今できているか、できていないかに一喜一憂することには、何の意味もありません。

大切なのは、昨日の娘より少しでも前に進んでいるか。そして何より、娘が恐怖ではなく、安心感の中で学べているか、ということだけです。

幼児は視覚で理解するのがほとんどというのは後々知ることになるのですが。

さいごに

「お受験に向かない」その「向かない」部分は、娘の素晴らしい「個性」であり、「繊細なセンサー」なのかもしれません。引っ込み思案なのは慎重さの裏返しであり、落ち着きがないのは好奇心の現れかもしれません。

受験の結果がどうあれ、私たちの愛する我が子であることに変わりはありません。焦りや怒りを手放して、ありのままの我が子を抱きしめることから、本当の成長は始まるのだと信じています。

いいなと思ったら応援しよう!