父はマスオさん
父はマスオさんである。いや、名前はタミオなのだが、「妻の両親と同居する男性」の代名詞としてのマスオさんだ。
父は、一言で言えば陽気な人だ。普段はそこまで口数が多いわけではないが、冗談を言って人を笑わせるのが好きで、トークが上手い。そのためか、祖父母、両親、3人の子どもからなる7人家族の中で、リーダーはやっぱり父だった。
同居する祖父母と父は血が繋がっていなかったが、距離は近かった。まるで本当の親子のようだ。だから私からすると、マスオさんと波平さんはずいぶんよそよそしいな、と思う。父は祖父母のことを「おじいちゃん、おばあちゃん」と呼び、祖父母からは「パパ」と呼ばれていた。特に祖母とは、軽口をたたき合う仲だった。
昭和の家父長制が残る中で、父は仕事に邁進し、家のことや子どものことは母に任せきりだった。しかし、父が母に対して偉そうに振る舞ったことは一度もない。父は母に頭が上がらないのだ。それはたぶん、母にべた惚れだったからだろう。
私は父が36歳のときの子なので、物心ついたときには、父はすでにお腹が出て頭髪が寂しくなりはじめていた。父は西田敏行のような雰囲気の人で、ずんぐりむっくりで妙な貫禄があり、スーツを着ているとお偉いさんに見える。そのせいか、中小企業で働くサラリーマンなのに、「サキちゃんのパパって社長なんだって!」と噂されたことがある。
一方、母はスラリとして華やかな顔立ちの美人だ。学生時代の友達にはよく「あなたの旦那さんってどんな人? あなたのことだから田村正和みたいにハンサムな人なんでしょう?」と言われたそうだ。そのたびに母は「西田敏行みたいな人よ」と返したという。
私が子どもの頃はたびたび父の会社の人が飲みに来ていて、父は部下にまで「よくあんな美人に結婚してもらえましたねぇ」とイジられていた。
ちなみに、私は目以外のすべてのパーツが父に似てしまった。母に似れば、もう少し違った人生だったろう。
◇
父はよくダジャレを言う。
夜は「もう寝る、もう寝る、モーネルサンダース」と言いながら寝室に引き上げていく。「おしっこしっこ、しっこー猶予」と最悪なダジャレを言いながらトイレに向かうこともある。
うちではチャンプというヨークシャーテリアを飼っていたのだが、父はよく「チャンプはテリアでぼく照れ屋」というダジャレも言っていた。チャンプを知っている人にしか通じない、使用範囲の狭いダジャレだ。
ちなみに、父は自分の性格を「目立ちたがり屋の恥ずかしがり屋」と分析していて、それはそっくりそのまま私に遺伝している。
兄が結婚することになったとき、両家の顔合わせの食事会が行われた。料亭のお座敷に両家が向かい合うように座る。我が家からは両親と兄と姉と私が出席し、お相手のご家族は両親と本人と弟さんだった。
懐石料理を食べながら、主に両家の父親同士が会話をしていた。最初は挨拶や自己紹介など、当たり障りのない話をしていたと思う。そのうち、野球を見るのは好きか、ゴルフは好きか、お酒は好きかみたいな話になって、ついでのように父はこういった。
「お義父さん、ダジャレのほうはいかがですか? 僕はけっこう好きなんですが……」
何を言っているんだ! ダジャレを嗜みのように言うな!
すると、向こうのお父さんも「実は、私もけっこうイケる口でして……」と言い出した。
それからはもう、両家の父によるダジャレ合戦になった。うちの家族は、私と母と姉が「もう、パパったら~!」と笑ったり突っ込んだりする。一方、お相手の家族は、お父さんのダジャレが一切耳に入っていないかのように振る舞っていた。それはそれで、家族の風景なのだろう。
◇
父にはダジャレ以外にも特技がある。それはビンゴの司会だ。
うちはよく親戚が集まる家だった。母は4人姉妹で、それぞれに3人の子どもがいる。祖父母の金婚式やおじいちゃんの米寿のお祝いなど、ことあるごとに4人の娘と4人の婿、12人の孫が一堂に会して大規模なホームパーティーを行った。
パーティーでは賞品をかけたビンゴ大会やじゃんけん大会が行われた。うちの両親が用意したものだ。そして、それらの司会は必ず父だった。
父の司会っぷりは見事なものだった。ビンゴマシンを回し、出た玉の数を読み上げるだけではない。回数を重ねるにつれてどんどん慣れていき、客イジリまでするようになった。
たとえば、いとこが「リーチ!」と手を上げたとする。父はいとこに「おっ! 次は何番を出してほしいの?」と尋ねる。
「13!」
「13ね~……出してあーげない!」
といった具合だ。いとこたちからはよく「タミオさん、ビンゴの司会で営業回れるんじゃない?」と言われた。
姉の結婚式でも「花嫁の父によるビンゴ大会」が行われた。式場の人に「ビンゴマシンとカードはこちらに用意しております」と言われた父は、「いえ、持参しましたので」と断っていた。式場の人は「持参!?」みたいな顔をしていた。
花嫁の父によるビンゴ大会は、参加者全員に大ウケだった。いつもは身内でやっているビンゴだが、姉の結婚式には新郎側の参列者も多い。中にはご年配の方もいる。父は初対面の人たちに失礼のないように気をつけつつ、笑いを取っていた。
この日の父は冴えていて、綾小路きみまろくらいウケていた。花嫁の父って本来は一番泣くポジションのはずなのに、父は泣くよりも笑わせるほうが性に合っているようだ。姉と腕を組んでバージンロードを歩いていたときは緊張のあまりペンギンみたいだったのに、ビンゴの司会をしているときはとてもイキイキしていた。
私はアシスタントとしてビンゴカードを配ったり、賞品を渡したりした。新郎側の参列者から「お嫁さんのお父さんって何やってる人なのかしら……?」という声が聞こえてきて、心の中で「ただの会社員です……」と答えた。
◇
父は陽気な一方で読書家でもあり、家にいる間はよく本を読んでいた。特に小説を愛好している。
私は父の本棚でたくさんの面白い本に出会った。佐藤愛子も阿刀田高も宮本輝も、父の本棚で出会って大好きになった作家だ。
父は、私が父の本棚にある本を勝手に読んでも怒らなかった。小学3年生のときに読んだ阿刀田高の小説には性的な描写があったので、読んでいることを怒られるかなと思ったが、父は「お前はもう阿刀田高が読めるのか。すごいな」と褒めてくれた。
同じ頃、さくらももこのエッセイの文体を真似して作文を書いたら、クラス中で大ウケした。私は意気揚々と作文を持ち帰り、両親に見せた。父はビールを飲みながら作文を読み、ゲラゲラ笑って、「サキちゃんには才能がある。将来は物書きになるといい」と言った。
それを真に受けたわけではないが、私はその後も文章を書くのが好きで、将来は作家になりたいと思った。専門学校時代は純文学を書いては新人賞に応募していた。
応募作を書き上げたとき、私は必ず父に読んでもらい、感想を求めた。父は「30代後半の男はこんな言い回ししないんじゃないか?」など、細かなフィードバックをくれる。父はまるで、私の担当編集者だった。
私は作家にはなれなかったが、30代でライターになり、本を出した。
そのときにはもう、私は東京に住んでいて、札幌にいる父とは離れて暮らしていた。祖父母は亡くなり、子どもたちはみんな家を出て、実家には父と母が二人で住んでいる。定年退職した父は、庭仕事と読書をして過ごしていた。
一冊目の本が発売されたとき、父は頻繁に札幌中の本屋をまわり、私の本の売れ行きをチェックしていたらしい。「〇〇書店で2冊減っていた」など、嬉々として母に報告していたそうだ。
いつだったか、父が東京に遊びに来たとき、一緒に居酒屋に行った。酔って顔を赤くした父は、焼き鳥を食べながら「エッセイもいいけどさ、いつかは小説を書いてくれよ」と言った。
◇
年始に母の妹である叔母と会ったとき、彼女は言った。
「おばあちゃんたちと同居したのがタミオさんじゃなかったら、私はあんなに気軽に実家に帰れなかった。タミオさんはずっと、私たち姉妹の居場所を守ってくれたの。誰にでもできることじゃないわ」
たしかに、母の姉妹たちはよくうちに来た。父が定年退職して家にいるようになってからも、母の姉妹たちはよくうちに集まっている。リビングで女子会が始まると、父はそっと席をはずし、書斎でひとり本を読んでいる。
叔母たちにとって我が家がずっと「居心地のいい実家」だったのは、この家の家長が父だったからだろう。父だったからこそ、祖父母も気を遣わずに楽しく暮らせて、叔母たちも気軽に遊びに来れた。父には、周囲の人たちに気を遣わせない雰囲気がある。本人は誰よりも周りを気遣っているのに。
父は今、78歳だ。相変わらず元気で、毎朝5キロの散歩を欠かさない。昔に比べるとお酒を飲まなくなり、大谷翔平がホームランを打った日だけ、大吟醸を飲んでいる。だから健康だし長生きしてくれるとは思うのだけれど、それでもやっぱり、父の残り時間を意識せずにはいられない。
私には、父が生きているうちに叶えたい夢が2つある。
ひとつは、両親と旅行に行くこと。うちは両親が出不精のため家族旅行の思い出が少ないのだ(その代わりホームパーティーの思い出が多い)。
もうひとつは、小説の本を出すこと。父はよく、「小説はストーリーが面白くなきゃ」と言っていた。私も、ストーリーの面白い小説を書きたい。そして、父に読んでもらいたい。
ライターの私は、インタビューをするときに相手が緊張していると、冗談を言って場を和ませることがある。人が笑ってくれると嬉しい。
そんなとき、ビンゴの司会をしていた父の姿がよぎり、自分がたしかに父の娘であることを実感する。私がダジャレを言い出すのも、時間の問題かもしれない。
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