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夜桜幻想 #シロクマ文芸部

 夜桜というのはたいがい恐ろしい。なぜかというと、桜といえばまず梶井基次郎の 『桜の樹の下には』の「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」を思い出すからで、そうすると自動的に坂口安吾の『桜の森の満開の下』を思い出すからで、さらには成田美奈子の『エイリアン通り』をオートマティックに想起するからである。残念ながら私は、村上龍の『桜の樹の下には瓦礫が埋まっている』は読んでいない。
 梶井基次郎の植え付けたイメージ、そのイマジネーションというものはとんでもないものである。桜=屍体、檸檬=爆弾、と、反射的に思い浮かべる日本人はまだ絶滅してはいない、はずだ。いやもう絶滅寸前なのだろうか。ともかく、一九九九年のノストラダムスの大予言と同じレベルで、私は夜桜が怖かったし、今も怖い。知ってしまった以上植え付けられ、逃れられない恐怖というものがあるとすれば、子供の私にとって夜桜と大予言はまさにそれで、梶井基次郎が言うように「どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない」ものだった。梶井基次郎も坂口安吾も、幻惑する桜が咲いている時間を夜とは言っていないと思うが、私の頭の中では酒宴で騒ぐ人が見上げるのは夜桜である。
 ところで私が大人になってから知ったことで、この「美しいものの下には何か途方もない闇が横たわっている、そしてその美しさは闇を養分としているから刹那に美しいのだ」といったことを思い出したのは、関東大震災の後、瓦礫や死体の処分に困り、埋め立てた上にあるのが横浜の山下公園だと聞いた時である。そう書いてから、もしかしたら村上龍氏が書いた『桜の樹の下には瓦礫が埋まっている』はそのような物語なのだろうかと検索したところ、どうやら氏の著書はエッセイ集であるらしく、東日本大震災の後に纏められたエッセイ集だと書いてあったので、なるほどど思った。
 私たちはなにか、都合の悪いことや闇に隠しておきたいものを埋めた場所に美しいものを飾りたい衝動に駆られるのかもしれず、しかし美しいものにはその下になにか底知れないもの、たとえば根や茎といった植物学的なもののほかに、たとえ目に見えなくても確実に「根の国」、つまり黄泉の国があることを決して忘れられないのかもしれない。そしてそれは私たちが地面の下にそうした深層や潜在といったものを抱えているせいなのかもしれない。
 それと同じ原理で、人は「塔」を立てたがる。私の中でこれは人類七不思議のひとつである。おそらくは天と繋がりたい余り、梯子を伸ばす気持ちで上に向かうのだろうけれども、アッパーな世界から下を見下ろしたい欲求、上にいれば闇から遠ざかり清くなるといった幻想、そうしたものがあるのではないかと疑ったりする。タロットカードでは「塔」は最悪のカードである。ひっくり返そうがいい意味にはなりようがない。崩壊の後に再生が来るという慰めしか残っていないように思う。バベルの塔のイメージもあるし、塔はある種、不吉なものなのではないかと思うのだが、現代人は地震などものともせずに「世界一の」冠を争うように塔を建て、何億も出してタワマンの最上階に住みたがる。地震大国日本でも続々と建物は上に向かっていて、心から不思議に思うけれども、歴史上一度たりとも地震はこないところだからと安心して塔を建てている国も多い。「絶対に地震がない」という保証は誰がしてくれるのだろう。地球は動いているのに。不思議だなと思う。
 夜桜から遠くまで来た。
 そんな理由で、私は夜桜を恐れている。


 「シロクマ文芸部」のお題はしばらくお休みすることにしていましたが、文学フリマに出す自作本が完成して、ふとお題を見たら「夜桜と」だったのでなにか突発的に書きたい欲求に駆られて書いてみました。

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