「ジェンダー」は、なぜ「自分で変えられるもの」になったのか

現在、「ジェンダー」という言葉は、

「自分のジェンダーは自分で決める」
「ジェンダーは変化することがある」
「男性でも女性でもないジェンダーもある」

といった文脈で使われることがある。

しかし、これはもともとの「gender」という言葉の使われ方とは、かなり違う。

重要なのは、言語学のgenderがそのまま発展して、現在のgender identityになったわけではないということだ。

同じ「gender」という単語に、20世紀以降、まったく異なる概念が次々と載せられていったのである。

1.もともとのgenderは「分類」だった


genderの古い用法として代表的なのが、言語学の「文法的ジェンダー」である。

たとえばドイツ語では名詞が男性・女性・中性などに分類される。

ここでのgenderとは、簡単に言えば、

「あるものが、どのカテゴリーに分類されるか」

という概念である。[1]

もちろん、話者が

「私は今日からこの名詞を女性名詞だとidentifyします」

と宣言すれば分類が変わる、という話ではない。

言語の文法体系の中に存在する分類である。

つまり、もともとのgenderは基本的に、

主体が自分自身を定義するためのidentityではなかった。

2.1950年代、ジョン・マネーが人間へgenderを持ち込む


大きな転換が起こったのは1950年代である。

性科学者ジョン・マネーは1955年、性分化に関する研究の中で「gender role」という概念を使用した。[2]

マネー自身は後年、

genderという言葉を文献学・言語学から借りて性科学・心理学へ導入した

と説明している。[3]

ここでgenderの対象が変わった。

それまでの、

言葉を分類するgender

から、

人間の男性/女性としての役割や行動を扱うgender

へ転用されたのである。

ただし、この時点でも「genderは本人が自由に選択できる」という意味ではない。

マネーらはむしろ、gender identityは幼児期のかなり早い時期に形成・固定されると考えていた。

1964年、精神科医ロバート・ストラーは、マネーらの立場について、

「子どものgender identityは人生の非常に早い時期に固定され、2〜3歳を過ぎて変更しようとすることには大きな危険がある」

という考え方だったと説明している。[4]

つまり、

genderを生物学的性別とは区別したことと、genderを自由意思で変更可能にしたことは同じではない。

ここを混同してはいけない。

3.1960年代、「gender identity」が独立する


さらに1960年代、ロバート・ストラーが「gender identity」を心理学的概念として明確に論じるようになる。

1964年には、

“A Contribution to the Study of Gender Identity”

という論文を発表している。[5]

gender roleが行動や社会的役割まで含む広い概念だったのに対して、gender identityは次第に、

「自分が男性なのか女性なのかについての心理的認識」

として切り分けられていった。

ここでgenderは、外から観察できる「役割」だけではなく、

人間の内面に存在するidentity

という性格を持ち始める。

これが非常に大きな転換だった。

しかし、ストラーの「core gender identity」も、今日一部で見られるような、

「自分で好きなgenderを作り、それをいつでも変更できる」

という概念ではない。


むしろ、かなり安定した心理的自己認識として扱われていた。[6]

4.フェミニズムでは「変えられる」の意味が違った


1970年代には、genderという言葉がフェミニズムに広く取り入れられる。

アン・オークリーは1972年の『Sex, Gender and Society』で、生物学的なmale/femaleと、社会や文化による男性性・女性性、役割などを区別して論じた。[7]

ここから、

生物学的性別(sex)と社会的genderを区別する

という考え方が広く普及していく。

そしてフェミニズムにとって、

「genderは変えられる」

という主張には重要な意味があった。

それは、

「女性だから家事をするべき」
「女性だから男性に従うべき」
「男性だから泣いてはいけない」

といった社会的役割や規範は、生物学によって決められているわけではない。

だから、

社会を変えればgender roleも変えられる

という意味だった。


これは、

個人が自分のgenderそのものを意思によって変更できる

という話とは別物である。


ここでも「変えられる」の主語は、もともとは個人のidentityというより社会制度や社会規範だったのである。

5.クィア理論でgenderはさらに不安定なものになる


1980〜90年代になると、genderの概念はさらに変化する。

代表的なのがジュディス・バトラーのgender performativityである。

バトラーはgenderを、人間の内部に最初から存在する固定された本質として捉えるのではなく、社会的行為の反復によって成立するものとして論じた。[8]

ここから、

genderは固定された本質ではない

という考え方がさらに強くなる。

ただし、ここにも大きな誤解がある。

バトラーのperformativityは、

「人間は自由意思で好きなgenderを選択できる」

という意味ではない。


後の研究でも、バトラーの議論を「自由にgenderを選べる」というvoluntarismとして解釈するのは不正確だと指摘されている。[9]

つまり、

バトラー → genderは自由に選べる

という一本線で理解することもできない。

6.決定的だったのは「分類」から「自己定義」への転換


では、現在見られる、

「自分のgenderは自分だけが決められる」

という発想はどこから来たのか。

ここでは、genderの意味がもう一段階変化している。

かつてのgenderは、

社会や言語体系が人や物を分類する概念

だった。

gender roleでは、

社会の中で男性/女性としてどのような役割を担うか

だった。

gender identityになると、

本人が自分を男性/女性としてどう認識しているか

が問題になった。

そして現代の一部のgender概念では、そこからさらに、

本人自身が自分のgenderカテゴリーを定義する

という考え方へ進んでいる。

整理すると、

文法的gender
言葉を分類するカテゴリー



gender role
男性/女性としての行動・役割



gender identity
自分を男性/女性としてどう認識するか



社会構築的gender
社会によって形成される役割・規範



クィア理論のgender
固定的本質ではなく、行為や言説を通じて構成されるもの



現代のidentity型gender
本人が自分自身について定義するidentity

という変化が起きている。

「genderが変えられるようになった」のではない

だから、

「昔はgenderは変えられなかったのに、いつから変えられるものになったのか」

という問いには、少し言い換えて答える必要がある。

genderという一つの概念が、途中で性質を変えたのではない。

同じgenderという単語が、

分類
→ 社会的役割
→ 心理的自己認識
→ 社会的構築物
→ 本人が定義するidentity

と、別の概念を表すために繰り返し転用されてきたのである。


そして最大の変化は、

「誰がgenderを決めるのか」

にある。

文法的genderでは、

体系 → 対象を分類する。

社会学的genderでは、

社会 → 人間へ役割を与える。

gender identityでは、

本人 → 自分の内面を認識する。

そして現代の自己定義型genderでは、

本人 → 自分が属するカテゴリーそのものを定義する。

ここまで来ると、もともとの言語学的genderとは、構造がほとんど逆転している。

さらに興味深いのは、1970年代のフェミニズムがgenderを、

「女性や男性に押しつけられた社会的役割だから、固定化せず解体すべきもの」

として扱ったのに対し、現代のidentity型genderでは、

「その人の内側にあり、他人が否定してはならない重要なidentity」

として扱われることがある点だ。

同じ「gender」という言葉を使っていても、この二つは必ずしも同じ思想ではない。

むしろgenderの歴史を見ると、

「社会による分類を批判するために使われた概念が、最終的には個人による自己分類を尊重する概念へ変化した」

と見ることができる。

そして、「genderは自由に変えられる」という考え方は、言語学的genderから自然に導かれたものでも、マネーやストラーが最初から提示していたものでも、バトラーが単純に主張したものでもない。

20世紀後半から21世紀にかけて、genderの中心が「分類・役割」から「identityと自己定義」へ移っていった結果として成立した、かなり新しい考え方なのである。


引用元・参考文献


[1] Merriam-Webster, “Gender.” 文法的genderを、語・文法形式のカテゴリーとして定義。 (メリアム=ウェブスター辞典)

[2] Money, J., Hampson, J. G., & Hampson, J. L. (1955), “Hermaphroditism: Recommendations concerning assignment of sex, change of sex and psychologic management,” Bulletin of the Johns Hopkins Hospital, 97(4), 284–300. (PubMed)

[3] Money, J. (1985), “The conceptual neutering of gender and the criminalization of sex,” Archives of Sexual Behavior, 14(3), 279–290. Money自身が、genderをphilologyから性科学的心理学へ借用したと説明している。 (PubMed)

[4] Stoller, R. J. (1964), “Gender-Role Change in Intersexed Patients,” JAMA, 188(7), 684–685. (JAMAネットワーク)

[5] Stoller, R. J. (1964), “A Contribution to the Study of Gender Identity,” International Journal of Psycho-Analysis, 45, 220–226. (PubMed)

[6] Sadjadi, S. (2019), “Deep in the Brain: Identity and Authenticity in Pediatric Gender Transition,” Cultural Anthropology, 34(1). Stollerのcore gender identityを、安定した中核的identityとして整理している。 (AnthroSource)

[7] Oakley, A. (1972), Sex, Gender and Society, Maurice Temple Smith. (Google ブックス)

[8] Stanford Encyclopedia of Philosophy, “Feminist Perspectives on Sex and Gender.” Butlerのgender performativityについての整理。 (スタンフォード哲学百科事典)

[9] Wehrle, M. (2020), “‘Bodies (that) matter’: the role of habit formation for identity,” Phenomenology and the Cognitive Sciences. Butlerのperformativityはgenderを自由意思で選択できるという意味ではないことを整理している。 (DOI)

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