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降りてくる、ではなく ~絵を描く、という繋がり方~

パステルアートを始めて、10年を超えた。
指先で粉を溶かし込むようにして描くこの技法に出会ってから、個展を開いたり、グループ展に参加したりしながら、絵と向き合ってきた。
それでも、今まで「どんな絵を描いているか」について、あまり言葉にしたことがなかった。

今日は少し、その話をしてみようと思う。




下描きはしない。

パステルの粉を削って、指先にとって、画用紙にのせていく。
何を描こうかは決めない。決めないまま、手を動かす。
下描きなしの、一発勝負なのだ。

そのうち、うっすらと何かが見えてくる。
花なのか、人の輪郭なのか、光なのか。
それを、手が拾い上げていく。私はただ、その動きについていくだけだ。


描いている最中、自分がどんな状態にあるのか、あまり考えたことがなかった。
無心とも違う。むしろ、ひどく集中している。
納得がいくまで、手は止まらない。
気づけば、二時間、三時間と経っている。時計を見て、いつも少し驚く。
ゾーンに入るという言い方があるが、そんな感じだと思う。


「描いてるときは、何かが降りてくるの?」

と、よく聞かれる。

実は「降りてくる」という言葉が、昔から少し苦手だった。
どこか大げさで、わざとらしく聞こえる気がしていた。
けれど、こうして手を動かしながら考えてみると、少しはそうなのかもしれない、とも思う。

正しくは、降りてくる、ではないのだろう。
何かと、繋がっている。そんな感じに近い。


自分の内側の、ふだんは触れられないところ。
そこに絵を描いている間だけ、するりと手が届く。
届いた先にあるものを、そのまま外に出してあげる。
作っている、というより、出している。そんな感覚だ。

何と繋がっているのかは、わからない。わからなくていい、とも思う。
名前をつけたとたん、何かが違ってしまう気がするから。

描き終えたあと、画用紙の上に現れたものを眺める。
天使だったり、花だったり、動物だったり、その日によって違う。
自分で描いたはずなのに、どこか他人事のように「ああ、こうなったんだ」と思う瞬間がある。
全部の絵に共通するのは「光に満ちている」ということだ。


決めずに始めて、決めずに終わる。
予定や段取りに囲まれた毎日の中で、この時間だけは違う流れで動いている。

指先から、何が出てくるのか。
それは、描き終えるまで、私にもわからない。



最後までお読みいただきありがとうございました。


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碧乃よしえ@やさしいエッセイマンガ 最後まで読んで下さりありがとうございます。いただいた応援は、マンガや文章など、誰かの心がほっとする作品づくりに使わせていただきます。これからも一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。