失敗を減らそうとしていた頃、わたしの説明は増えていた。
「まずここを確認してください」
「次はこの順番で進めてください」
「途中でこうなったら、このやり方で対応してください」
新しい仕事を渡すとき、わたしは大抵ここまで説明していた。
経験があるぶん、先につまずきそうな場所が見える。
ここで迷うだろうな。
このまま進めば、あとで手戻りが出るだろうな。
そう思うたびに、説明を一つ増やした。
失敗は減る。やり直しも減る。仕事は予定どおりに進む。
当時のわたしは、それを「丁寧な指導」だと思っていた。
ある日、部下から上がってきた報告書を見て、手が止まった。
指示した順番、指示した項目、指示した書き方。すべてそのとおりにできている。
なのに、報告書のどこにも、本人の考えが見当たらなかった。
「ここは、こう考えて書きました」
そんな一言もない。
「言われたとおりにやりました」
その言葉だけが、静かに置かれていた。
もっと自分で考えてほしい。
そう感じながら、ふと立ち止まった。
考える場所を、先に全部埋めていたのは、わたしのほうではないか。
何を見るか。どの順番で進めるか。詰まったときにどうするか。
そこまで先回りして渡していたのだから、本人に残っていたのは「そのとおりに動くこと」だけだった。
細かく指示すれば、相手はその指示にきちんと応える。
「ここまでお願いします」と言えば、そこまでで止まる。
「この方法で」と言えば、その方法から外れない。
部下からすれば、頼まれたことを、頼まれたとおりにやっているだけだ。
それを見て「指示待ちだ」と感じていたのは、身勝手だったと思う。
もう一つ、認めないといけないことがあった。
答えを先に渡すのは、正直、気持ちがいい。
自分の経験が誰かの役に立つ。困っている相手に、すぐ手を差し伸べられる。その場もすぐ収まる。
だからこそ、答えが浮かぶと、口に出す前に止まれなかった。
今も、答えが浮かべば、まず口にしたくなる。その気持ちは今も変わらない。
それでも、口に出す前に、一度だけ止まるようになった。
これは相手のために言おうとしているのか。
それとも、自分が答えを渡したいだけなのか。
そこを、以前より疑うようになった。
今は、仕事を渡すときに、あえて全部を説明しないことがある。
「この部分は、一度自分で考えてみてください」
そう伝えて、やり方までは決めない。
出てきた答えが自分の想定と違っても、すぐには直さない。まず、何を見てその判断をしたのかを聞く。
わたしなら選ばない方法でも、理由を聞くと納得できることがある。逆に、抜けている部分があれば、そこだけを一緒に振り返ればいい。
ただ、「自分で考えてみてください」と言えば、誰でもすぐ動けるわけではない。
「どうしたらいいですか」
そう聞かれて、
「あなたはどう思いますか」
とだけ返しても、考えが止まったままの人もいる。
そんなときは、問いを渡して終わりにせず、一緒に考える。
「今、どこで詰まっていますか」
「どうなれば、少し前に進めそうですか」
「そのために、まず何を確認できそうですか」
答えではなく、考える手順を一緒につくる。
最初は隣に座る。慣れてきたら、途中から手を離す。
もちろん、すべての仕事をこうして渡しているわけではない。
急ぎの仕事。手順が決まっている仕事。安全や品質に関わる仕事。
そこでは、迷わずはっきり指示を出す。
「今日はこの手順でお願いします」
それで十分な場面はある。何でも考えさせればいいわけではない。
一方で、これから任せたい仕事、自分で判断できるようになってほしい仕事は、少し遠回りをする。
答えを渡せば5分で終わることに、20分かかることもある。忙しい日ほど、その差は重い。
だから、すべてを育成に使おうとは思わない。
ただ、育成に使うと決めた仕事なら、その遠回りの時間ごと、渡すものだと思うようになった。
自分でやったほうが早い。答えを渡したほうが楽。今でも、そう思う瞬間はある。
それでも、毎回こちらが埋めてしまえば、次の仕事でも同じことが起きる。
部下に考えてほしいなら、その分の時間を、こちらも差し出す必要がある。
以前のわたしは、失敗を減らすために説明を増やしていた。
今は、説明する前に、まず一つ考える。
ここは教える場面か。任せる場面か。まだ難しいなら、一緒に考える場面か。
仕事を終わらせることと、人を育てることは、似ているようで、必要な関わり方が違う。
育成に使うと決めた仕事だけは、早さよりも、その人が考える時間を優先するようになった。
