【オトナになることのうた】TOMOO その1●「17」でせめぎ合う”子供”と”大人”
わが家(主に女性陣)は、盆踊りが好きでしてな。よく行っています。
金曜は、浜松町での「ハマサイトの夏祭り」に初めて行ってきました。文化放送の後ろだてがあるみたいですね。
仕事帰りのみなさんが多かったですね。そしてそれぞれのファンのガチ勢も。
僕は初めて生で見ましたが、新浜レオンは西城秀樹に寄せてますね~。「YMCA」のカバーもハマってた。なにしろスター性あり。チバテレビの番組ではたまに見かけてたけど(自分が千葉ブームの頃)。
中野くんには妙な(でも薄めの)縁を感じます。これは後日、詳報を。
DJ KOOは初めて観たのかな? いや、90年代にイベントで観てるか。
このイベントで陽真というシンガーを知りました。シティ・ポップのセオリーという感じ。過去にNight Tempoのプロデュースでリリースをしていたとのこと。
ただしこの催し、いちおうBON DANCEをうたってはいたものの、盆感は……カギカッコ使ったほうがいいか、「盆」感は希薄。要所で本人の歌唱が入るJ-POPのDJイベントという趣でした。そんなの気にしてる人もいなかったと思うけど。
その前の日には神聖かまってちゃんのイベントに行きまして。まあ熱い夜でした。の子のキレ芸がすごい領域に入っている。しかもその切実さが、生涯をかけて続いている。
その他、地元の盆踊りにも行っております。やはり盆は回ってなんぼ。
それから、THE YELLOW MONKEYの映像作品について書いた記事が出ております。よしなに。
では今回からはTOMOOです。
TOMOOは年齢について独特の感覚を持つアーティスト?
僕がTOMOOというシンガーソングライターの存在を知ったのは、彼女がメジャーデビューしてからだった。今から4年ほど前である。
その後に、この人はずいぶん前から活動をしていたと知った。そのデビュー後にBREIMENのメンバーが彼女の話をしている記事をどこかで読んだからである。両者は幾度か共演していて、縁はインディ時代からあるとのこと。それは現在も続いている。
それとは別に、僕はこのアーティストについて時々、なんだか引っかかる点を感じていた。
たとえば2年前のこのアーティスト写真だ。彼女の身体がこちらをまっすぐ向いておらず、また傾いてるように見えて、なんだか違和感がある。ただ、それを良しとするアーティストであり、スタッフなのだろうと思う。となると、その普通ではない感覚がむしろ気になってしまった。ただ者ではないな、と。
それともうひとつ。
僕がTOMOOを初めて生で観たのは一昨年の日比谷音楽祭だった。そのステージで彼女は数曲ほど唄い、イベントのプロデューサーである亀田誠治と少しだけ話をした。どんな流れだったのかは詳しく覚えていないが、この時の短いMCでTOMOOは「私は今、28歳なんですけど」というひとことを口にしたのである。それがちょっと意外に感じた。
調べてみるとこの人は1995年6月の生まれで、2024年のこのイベントの時点では、たしかに28歳である(このすぐ後に、もうひとつ年をとっている)。意外というのは、彼女の雰囲気からして、もう少し若い人だという印象を持っていたこと。それに加えて、自分の年齢について当たり前に話していることだった。
TOMOOはこの時よりさらに2年前、メジャーデビューのシングル「オセロ」をリリースしている。それは2022年8月のことで、彼女は27歳だった。
昔と違い、現代はアーティストの年齢にはそこまで執着しない風潮がある。背景には、音楽リスナーの年齢層が上に向けて広がったことも関係していると思う。
ただ、多くのメジャーレーベルは、とくに若い世代にアピールしたい新人アーティストは、できれば若いうちにデビューさせたいという思考であることが多い。また、これも昨今は減ったが、若い新人であれば、やたらとその若さ、とくに10代ならその事実を前面に出したがる傾向がある。
すぐに頭に浮かぶところでは、過去に尾崎豊や渡辺美里、それにDragon Ashなどは、10代で衝撃のデビュー!みたいに大きく打ち出されたものだ。
ただ、この動きもまた、近年はそこまで強くはない。それにTOMOOの27歳でのデビューも、とくに遅いわけでもない。
ただ一昨年の時点で、自分が28歳であると自然に口にした彼女のことが、自分の心には残った。
それに加えて、今度は今月7日の『ミュージックステーション』出演時のこと。番組中、出演者が過去のMステからもう一度見たい名場面を選ぶ企画があった。そこでTOMOOは2009年の椎名林檎の「ありあまる富」をセレクトしている。
この時の自分は家事をしながらだったので(またしても)うろ覚えだが……TOMOOはたしか「私は今30代なんですが」と話し、その上で2009年当時、30歳で先ほどの曲を唄う椎名について話したのだ。
この時の椎名は、自分は30代に憧れる、ということを話していたそう。それを聞いてTOMOOはうれしく感じたようだ。17年前なので、彼女自身は中学生だっただろうか。
そこで思い出した。そうだった。昔、椎名林檎は、大人に憧れると話していたことがあったものだ。ちなみに、その一端がアルバムとして表出したのが、東京事変の『大人』だった。タイトル通り、ズバリである。
なお、この時のMステでのTOMOOは、同い年というあいみょんとの共演があった。あいみょんは早生まれなので、学年はTOMOOがひとつ下。
さて、TOMOOについてである。
この人が出演した番組や掲載された記事をつまびらかに見てきたわけでもない自分だが、その少ない接触の中で、彼女は自分の年齢についてこんなふうに2度ほど言及したのだ。しかも今回は、Mステというメジャーな番組で、自分が30代であることを話している。
これは彼女が、とても自然体で生きている人ということかもしれない。もしくは逆に、年齢というものを強く意識しているのかもしれない。その結論は、すぐには出せない。
ともかく僕は、TOMOOという人は、年齢について、やや独特の感覚を持っている人ではないか、と思う。
と、ここまで、話が年齢のことに集中してしまっているが(それがこのnoteのテーマのひとつでもあるのでご容赦いただきたい)、僕は彼女のステージを昨年のフジロックで観ていて、それがとても心地よく、ポジティヴな時間だったという経験があることも書いておこう。ライヴでのアレンジが思った以上にジャジーだったり、あるいはシックだったりで、TOMOO本人の歌はもちろん、引き締まった演奏も含めて、音楽的に高い地点を目指しているアーティストであるという事実を感じた次第だ。
「17」にあった”脳内のラスト夏休み”
そんなTOMOOの曲の中で、ここからは「17」について書こうと思う。
2022年10月リリース、メジャーでの2作目のシングル曲である。
歌詞にセブンティーンアイスという言葉が出てくる。そしてそのあとに<17歳の頃にさ 君に出会っても/きっと好きになったよ ぎゅっとイメージして>という歌詞が唄われている。
もし17歳の頃の自分が……とイメージした歌のようだ。というわけで、これは【 #年齢のうた 】である。
リリース時、TOMOOはこの曲について、いくつかのメディアでインタビューに応えている。
「17」は、去年の秋頃に作っていた曲なんです。私が本格的に音楽活動を始めたのが17歳だったので、今年で10年。27歳のうちに「17」を出したいという思いがあったんです。
それと、「オセロ」はちょっと力が入っている感じの曲だったので、次はリラックスして聴ける曲を出したいという想いもあったので、このタイミングでのリリースとなりました。
ー“人が大人になれるのは、隣に誰かいるから。でも人がこどもに帰れるとしたら、それもまた隣に誰かがいるから。”というテーマは、どんな着想から得たのでしょうか?
私は今27歳ですが、22歳ごろはまだ10代に目が向いていて、「20代になっちゃった」という感覚があったんです。でも、25に近づいてくると「いよいよ大人になるんだな」という思いに変化して。そのときに、ただ年を取ったから大人になるのではなく、「自分の大事な人が近くにいるから大人になれるんだろうな」って思ったんです。人と接して摩擦が起こるからこそ、大人になっていくというか。
ー10代から20代にかけては環境や心境の変化が多い時期ですよね。すごくわかります。
共感してくださって嬉しいです。「大人になっちゃう」と寂しく思う気持ちと、「大人になるって悪いことではないよね」とポジティブな感情が揺れ動く20代の情緒を綴っています。
“人が大人になれるのは、隣に誰かいるから。でも人がこどもに帰れるとしたら、それもまた隣に誰かがいるから。”というのは、実は曲を作った後に書いた言葉なんです。制作後に振り返ってから「こういうことが言いたかったんだな」と思い浮かんだんですよね。だから歌詞には“大人になる”という言葉も出てこないですし、この言葉を知らない方がいきなり曲を聞いたら、「これはどういう状況なの?」って思うかもしれないですけど(笑)。
ー歌詞には「17」に掛け合わせた「セブンティーンアイス」も出てきますね。
実はセブンティーンアイスを見て書いた曲でもあるんです。そこから17が自分にとって印象的な年齢であることや、モラトリアムが終わりに差し掛かったタイミングであったことが繋がっていったんです。
私は、「17歳といえば高校生で青春の日々を過ごしている」というイメージがあって。自分が10代だった頃を思い出すというより、「17歳の頃に出会っていたらどうだっただろうね」という空想の方がイメージに近いですね。
やはり、27歳の時の彼女が、10年前の自分だったら……という想像から書いた曲のようである。
そしてTOMOOは、ここで話しているように、ポジティヴとネガティヴの相反する感情の両方をすくいとるアーティストではないかという印象が、僕にはある。
――「17」は17歳の頃を思い出す曲というより、もやもやとしたモラトリアムなどから抜けだすような情景を感じました。<暗いビルの出口>という歌詞は、青春のその先にあるものをイメージさせますね。
たしかに青春のその先というのはテーマにありました。内容も17歳の頃を思い出しているのではなく、20代半ばの目線から「たとえば17歳の頃にこの人と出会っていたらどうなっていただろう」という、抽象としての「17歳」を表現しました。「これから本当に大人になっちゃうんだ」という現実感がひしひしをわいてきたその先について歌っています。
――まさに大人に向かっていく様子ですよね。ちなみにTOMOOさんはいつ頃から大人の実感を得ましたか。
周りは就職しているけど、自分はバイトしながらミュージシャンをやっていたときです。そこで「私の土台はこれなんだ」とあらためて気づかされたんです。練習帰り、仕事終わりの同年代と会って「ハッ」となって大人を意識しました。ただ10代のときは良くも悪くも先が見えないことが、つらかったり、逆に希望になったりしていたけど、20代になってカオスに見えていたものの視界がだんだんすっきりしていきました。いろんなものを整理できるようになり、自分の立ち位置やその先も見えるようになって、そこで大人になった気がしましたね。
――視界がひらけたような?
感情とか自分のなかの感じ方が整理できるようになってきたんだと思います。人と会話しているときも、それまで感覚的に喋っていたけど、徐々に人との共通言語みたいなものを見つけることができて。ズレが少ない形で話ができるようになっていきました。きっと、ある程度の物事に対して初体験感情じゃなくなっているから思います。いろいろ引き出しが増えていて、カテゴライズもできて、物事を俯瞰して見ることもできて。10代のときって何かに対してわけも分からず圧倒されて、大きく受け止めていたから。そういう感覚がしぼんでいるので、ある意味、安心感もあるけど寂しさも感じます。
(中略)
――「17」ではモラトリアムから抜け出す雰囲気が描かれていて、「酔ひもせず」(2022年)でも<子どもじゃないのよ いいかげん>と歌っていらっしゃいました。TOMOOさんは、子どもとして見られること、もしくは子どもっぽく見られることへの違和感をかかえていたんじゃないかなって。
10代の頃はそうだったのかもしれません。音楽活動を始めた17歳のとき、大会に出たら同世代もたくさん出ていて。そこで大人の人たちから「君は本当に成熟していないね」というようなことを、よく言われていたんです。悪気があったわけではないでしょうけど、当時は「私って子どもっぽいんだ」とガーンと落ちましたね。
――あどけなく見られている風には感じられなかったんですね。
「頼りにならない」「守られて生きている」「タフではない」とか、そういうニュアンスを強く感じ取りました。それからは「自分は子どもっぽいんだ」というコンプレックスが根づいてしまって。たとえば「レモン」(2017年)では、10代の目線で「大人になりたい」という心情をあらわしました。そういう気持ちがずっとあったので、「あなたのことを理解したいけど、私の生き方ではまだ無理なんだろうな」という歌が多かったかもしれないですね。
――たしかに「子どもっぽい」と言われると複雑ですよね。
当時はすごく悲しかったです。大人っぽく見られたいんじゃなくて、「君には理解できないだろうね」と言われている気がして。そうやって線引きせず、もっとちゃんと、人と人で接したかったから。
どうしても子供のように見られがちだったことから、大人への意識も芽生えた、というところがあるのだろうか。また、こちらは彼女のさらに過去の楽曲にまで言及している。
それから……本題から若干ずれるが、音楽を含め、すべての夢見る若者、理想の自分を目指す若者にとって、モラトリアムであるという気持ちは、大きな焦点になっていると思う。時にそれは大切なものでもあり、また、安住してしまう怖いものでもある気がする。
TOMOO:“17歳”と“セブンティーンアイス”を絡めて書いた曲です。イメージとしては“大人”と呼ばれる年齢に差し掛かっている目線から、“17歳”を見下ろしているような。モラトリアムっぽい状態から抜けていくときの気持ちを歌っています。そういうときってやっぱり“もう戻れない”という悲しさや寂しさがあるというか。
──そうですね。当たり前にあったものを失うような。
TOMOO:“脳内のラスト夏休み”が終わるなあって。でもだからこそ、過去を思い出すと心のなかに“懐かしい”という美しい気持ちが生まれるとも思うんです。それに大人になっていたとしても、お互いの心の柔らかい部分をありのままさらけ出せるような大切な人がいれば、人は子どもみたいに戻れるイメージがあるというか……それがひとつの希望なんじゃないかと思うんです。
──資料に記載されていた“人が大人になるのは、隣に誰かがいるから。でも人が子どもに帰れるとしたら、それもまた隣に誰かいるから”という思いは、そういう背景から生まれたものだったんですね。
TOMOO:この曲を書き終わったあとに書いた言葉です。だからこの曲に書いた気持ちは23、4歳の頃のものでもあるんですよね。
──先ほどおっしゃっていただいた“モラトリアムを抜けるタイミング”ですね。
TOMOO:わたしだけでなく、周りの同年代の子たちもそういう時期だったなと思います。でも音楽やクリエイター系の活動をしている人は、そういう感覚が来るのが遅い傾向にある気がしていて。自分も“何歳までに芽が出なかったら音楽を諦めるの?”とか、“そろそろちゃんと就職したら”みたいな言葉を掛けられることも多かったので、自分はモラトリアムを抜けられていないんだなと実感したり。
──周りの同年代の子たちは大人になっていくけど、このままでいいのかなという戸惑いとか。
TOMOO:そうなんですよね。顔見知りくらいの高校の同級生が、わたしのバイト先にたまたま来て。その子は間違いなく就職して働いている、しっかりとした服装で。わたしはその子の持ってきた商品をレジに打ち込んで、破れやすい薄っすいレジ袋にそれを詰めるっていう(笑)。その瞬間はきつかったなー……ああもうそういう年齢なんだなって。その頃は音楽活動もふわふわしていたので、行き場がなかったんです。だからなおさらそのときに“脳内のラスト夏休み”と思ったりもしたんですよね。その頃によく通っていた場所に、セブンティーンアイスの自販機があって、そのイメージが合わさって曲になっていて……本当にいろいろ混ざっているんですよ。
──確かに。とても観念的な曲だとは思います。
TOMOO:エレベーターの描写が入っているのも、自分が昔通っていた場所で見ていた景色なんです。あと、“もしこの人と17歳で出会っていたらどうだっただろう?”や“17歳の頃に会えていたら楽しかっただろうな、高校時代のこの人を見てみたかったな”と思ったときのことも込められていて。それも20代になってからならではの感覚だとも思うし、自分以外の人も抱きがちな感情じゃないかなと思って。自分とsomeoneがあやふやになる感じというか。
この話の中で出てくる「脳内のラスト夏休み」……「夏休み」という表現。これはモラトリアムの、あるいは子供でも大人でもない、ちょっとフワフワした、楽しいような不安定なような感覚を表す、ひとつのキーワードになっている感がある。
これについては、あたらめて書きたいと思う。
そして、これらのインタビューの内容と少しかぶる話ではあるが、この曲の MVの背景を捉えたこの映像で、彼女はこんなことを言っている。
本だとして帯を付けてそこに何か書くとしたら
「人が大人になるのは隣に誰かがいるから」
「人が子供に帰れるとあいたらそれもまた隣に誰かがいるから」
<TOMOO その2 に続く>

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