世界はただ、そこに在るだけ
空音(そらね)のソラより。
人は
この世界に生まれ落ちたその瞬間から
ほかの誰かと関わりあいながら
「社会」という名の織物を紡いでいきます。
そして
その中で“良い”とか“悪い”とか
“正しい”とか“間違っている”とか――
言葉という小さな枠で
この広すぎる世界を囲おうとします。
けれどその分別は
ときに世界をあまりに冷たく
あまりに悲しいものとして
映し出してしまうのです。
たとえば
声をあげることもできずに
生を終えてしまう小さな命。
たとえば
数字でしか語られない戦争の死者たちの、
名も知らぬ、ひとつひとつの絶望。
そして
何の罪もない人に降りかかる
理不尽という名の暴力。
…心が、震えずにはいられません。
でも、
どんなに信じようと
どれだけ祈ろうと
世界は変わらず、ただ
そこにありつづけます。
では、
私たちにできることは何でしょう?
それは、
ただ、自我が自我として
「分けて」「意味づけて」「認識し続けること」――
そのくり返しの中に生きていることを
静かに見つめることです。
自我は言葉で世界を解釈し
その言葉にまた囚われ
やがて「言葉で分けた世界」こそが
すべてだと信じてしまいます。
でもね、
本当はずっと昔から、
あなたのすぐそばにあったのです。
その分別の先に
なにも“付け足さない”ままの
ただ「在る」だけの世界が。
たとえ自我が揺れようとも、
心が叫び、感情が波立とうとも――
そのすべてを引き受けて
なお変わらず
優しく、何も言わずに
世界はそこに、あるのです。
そのことに気づいたとき、
私たちは初めて
本当の意味で「安らぎ」に近づきます。
怒っても、泣いても、笑ってもいいのです。
そんな日々を生きて、
ときには疲れ、
ときには抱きしめられるように、
――世界に身をゆだねてみてください。
空を見上げたら、
きっと風が教えてくれます。
「ほら、何も変わらない。
でも、あなたは確かに、ここにいる」と。
